江戸時代に起きた「読書ブーム」きっかけとなった有名人とは?
260年あまりにわたった江戸幕府は、幕府も庶民も武士もおおむねお金がなかった。だからこそ幕府は貨幣制度に始まり、農商業の促進、流通システムの整備、米価の調整、倹約の徹底など、どうしたら経済が回るのかを考えた。どうにもならずに貨幣の改鋳を繰り返し保ってきた経済はやがて限界を迎え、破綻に至る。
そんな幕府の右往左往に振り回される庶民たちは、歌舞伎や落語、出版メディアといった独自の文化と商業を通して社会経済を活写した。江戸のサブカルは公儀権力と庶民の攻防戦の記録とも言えるのだ。
◾️江戸時代に起きた「読書ブーム」きっかけとなったのはあの将軍
『浮世絵と芸能で読む 江戸の経済』(櫻庭由紀子著、笠間書院刊)では、ライター、雑誌・書籍・ウェブの記事作成、創作を行う戯作者の櫻庭由紀子氏が、家康の読書好きがきっかけで盛り上がったエンタメ業界、大都市を支えるために仕方なく発展した江戸の今でいう「SDGs」的な施策、落語・芝居のお金ネタから見える貨幣経済の浸透など、現代に通じる視点で江戸幕府の経済政策の成功と失敗、それらに反抗したりネタにしたりする庶民の逞しさなどを紹介する。
豊臣秀吉に命じられ、天正18年(1590年)、徳川家康は東の新天地・江戸に入る。当時、東の地といえば鎌倉幕府があった鎌倉以外はほぼ田舎で、江戸は武蔵野に続く入江の小さな土地。農業に適さない土地で寂れた漁村だった。家康が目指した都市は、織田信長の安土城下だった。港があり、流通と商売があり、家臣たちを城下に住まわせることで経済を回す。家康が計画的に整備を進めることができたのは、信長のやり方を見てきたからだ。
江戸時代の下町とは、今の日本橋や神田界隈のことで、これは神田の山を切り崩したことで平地になったからだ。最初に江戸にやってきた職人や商人たちは、この下町に住まわされた。当初は江戸城や町づくりのために集められたので、同じ職業が固まった方が便利だろうということで、油を売る見世があれば通油町というように、町に職業の名前がついた。
実はこの江戸時代の町人たちの識字率は高く、小僧も奉公先で読み書きそろばんを教わっていた。識字率が高くなった理由の一つに読書ブームがある。そのきっかけをつくったのが、家康の読書好きと出版事業だ。戦国時代にヨーロッパや朝鮮から活字の技術が入ってきたことで、家康は関ヶ原の戦いの前年である慶長4年(1599年)から、その活字技術を使って自分の蔵書の中から選んで出版事業を始めたのだ。
そして、世の中が平和になり、庶民たちに余裕が生まれると、当然庶民のためのエンタメ、サブカルチャーが発生する。歌舞伎や文楽、話芸では噺家、講釈師が現れ始める。庶民の経済力が向上したことで生まれた庶民たちの芸能は、現代も伝統芸能として伝えられることとなるのだ。
江戸時代の経済事情を歌舞伎や浮世絵の背景に感じることができる。それと同時に、江戸経済の視点から浮世絵や歌舞伎、落語の演目をみて、江戸の人々のたくましさも垣間見えてくる。そんな本書から江戸の経済を学んでみてはどうだろう。
(T・N/新刊JP編集部)
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そんな幕府の右往左往に振り回される庶民たちは、歌舞伎や落語、出版メディアといった独自の文化と商業を通して社会経済を活写した。江戸のサブカルは公儀権力と庶民の攻防戦の記録とも言えるのだ。
『浮世絵と芸能で読む 江戸の経済』(櫻庭由紀子著、笠間書院刊)では、ライター、雑誌・書籍・ウェブの記事作成、創作を行う戯作者の櫻庭由紀子氏が、家康の読書好きがきっかけで盛り上がったエンタメ業界、大都市を支えるために仕方なく発展した江戸の今でいう「SDGs」的な施策、落語・芝居のお金ネタから見える貨幣経済の浸透など、現代に通じる視点で江戸幕府の経済政策の成功と失敗、それらに反抗したりネタにしたりする庶民の逞しさなどを紹介する。
豊臣秀吉に命じられ、天正18年(1590年)、徳川家康は東の新天地・江戸に入る。当時、東の地といえば鎌倉幕府があった鎌倉以外はほぼ田舎で、江戸は武蔵野に続く入江の小さな土地。農業に適さない土地で寂れた漁村だった。家康が目指した都市は、織田信長の安土城下だった。港があり、流通と商売があり、家臣たちを城下に住まわせることで経済を回す。家康が計画的に整備を進めることができたのは、信長のやり方を見てきたからだ。
江戸時代の下町とは、今の日本橋や神田界隈のことで、これは神田の山を切り崩したことで平地になったからだ。最初に江戸にやってきた職人や商人たちは、この下町に住まわされた。当初は江戸城や町づくりのために集められたので、同じ職業が固まった方が便利だろうということで、油を売る見世があれば通油町というように、町に職業の名前がついた。
実はこの江戸時代の町人たちの識字率は高く、小僧も奉公先で読み書きそろばんを教わっていた。識字率が高くなった理由の一つに読書ブームがある。そのきっかけをつくったのが、家康の読書好きと出版事業だ。戦国時代にヨーロッパや朝鮮から活字の技術が入ってきたことで、家康は関ヶ原の戦いの前年である慶長4年(1599年)から、その活字技術を使って自分の蔵書の中から選んで出版事業を始めたのだ。
そして、世の中が平和になり、庶民たちに余裕が生まれると、当然庶民のためのエンタメ、サブカルチャーが発生する。歌舞伎や文楽、話芸では噺家、講釈師が現れ始める。庶民の経済力が向上したことで生まれた庶民たちの芸能は、現代も伝統芸能として伝えられることとなるのだ。
江戸時代の経済事情を歌舞伎や浮世絵の背景に感じることができる。それと同時に、江戸経済の視点から浮世絵や歌舞伎、落語の演目をみて、江戸の人々のたくましさも垣間見えてくる。そんな本書から江戸の経済を学んでみてはどうだろう。
(T・N/新刊JP編集部)
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