BMWを2輪撤退決断から甦らせたユーザたちが支えるイイ話!【このバイクに注目】(このバイクに注目)
BMWといえば2輪メーカーとしてスーパーバイクS1000系からボクサーのRシリーズなど、スポーツバイクで世界トップに位置づけられるメーカー。
そのBMWが、実は1970年代に2輪生産から撤退を決断するまでの状況にあったのをご存じだろうか。
1923年にR32で、航空機エンジン製造からオートバイメーカーとしてスタートしたBMW。
それまでオートバイ生産はエンジン製造メーカーから買い付けたアッセンブリー工場が、変速機(ミッション)やクラッチにホイールやタイヤにチェーンなどをパーツメーカーから調達していたのを、BMWはホイールやタイヤなどを除きほとんどを自社で生産する方式がはじまっていた。
なぜなら天才エンジニアのマックス・フリッツによって、水平対向(ボクサー)エンジンはクラッチからミッションまでひとつのユニットに収め、駆動系をシャフトドライブにして一体化した設計だったからで、当時では考えられない耐久性を誇っていた。
さらに水平対向エンジンは、クランクシャフトから上にシリンダーなど重量パーツがない構造で、この地を這うような低重心はまだ非舗装路だらけだった道路環境で抜群の安定性からレースでも最速。
しかも第二次大戦ではアフリカのロンメル将軍の戦車部隊を無敵とするサポートが、BMWの水平対向と知られ世界中の軍用バイクがBMWをコピー(米陸軍のハーレーも!)していたのだ。
2輪生産から撤退の窮地から甦らせたユーザーの購買運動そんな無敵を誇ったBMWも、戦後は舗装路化が進みコーナリングでシリンダーヘッドが接地するボクサーは、トライアンフやBSAなど英国メーカーにシェアを奪われ、ツーリングバイクとしての道を切り開きつつあった。
そこへ決定的なダメージとなったのが、ホンダCB750フォアを筆頭とする日本メーカーの4気筒攻勢。
英国メーカーは倒産し、イタリアンが細々と続くなか、空冷ビッグツインは排気ガス規制で大幅な性能低下から逃れられない将来が明白となっていった。
パワーダウンを排気量アップで凌ぐ排気ガス規制想定テストで、1,600ccでも40psにしかならない結果に、BMWは2輪撤退を議論、一時は終了する結論まで至ったが、クルマメーカーとして世界のトップクラスにあるBMWのルーツは2輪。
やめることは容易いがそれならば独自の道を歩むことに徹して、マイノリティでもオートバイメーカーとして誇りある活動を続けようという気運が高まったのだ。
BMWは開業時のR32コンセプトへ原点復帰しようと、将来的に排気ガス規制への対応が可能な1,000cc水冷4気筒DOHC燃料噴射エンジンを開発、それを縦置きにしてシャフトドライブまでを一体化する構成としたのだ。
だがこのK100シリーズの開発中に、BMWではひとつの「事件」が勃発していた。
それはパリダカール・ラリーへの参戦だった。
アフリカの砂漠を突っ走るパリダカ……BMWエンジニアはふと思った。砂漠で無敵なのはそもそもボクサー。これはイケるかも。
そして第3回となる1981年にR100の改造マシンで出場、いきなり優勝してしまったのだ。
その後も続けて勝ち続ける破竹の勢い。単気筒オフロード系で闘っていたメーカー達を慌てふためかせた。
そんなマイノリティなストーリーが大好きなのは、アメリカのツーリング族。
サバイバルな闘いで勝ち抜くポテンシャルこそ、旅バイクとしてふさわしい!と大きな燃料タンクに巨大な荷物箱と大きなウインドスクリーンという、まさにその後のGSスタイルをカスタムでつくり上げ、旅ライダーたちの流行りとなっていった。
こうしたアメリカのユーザーたちに触発され、BMWはGSシリーズをボクサーに加え、ツーリングバイクのスタイルを従来のフルカウルで前傾するR100RSだけではないラインナップへと変わりはじめたのだ。
ボクサーの再開発とアドベンチャー系の先駆けGSの強み!そして新しいコンセプトのK100系が1983年にデビュー!ネイキッド、ツーリングスポーツ、そしてツアラーとラインアップを整え、それまでOHVボクサーを作り続けてきた本拠地ミュンヘンの工場から新たにベルリン工場を興し、世代交替を進めていく「筈」だった。
が、根強いボクサーファンにも対応しようと、ベルリン工場は水冷直列4気筒のKシリーズと空冷水平対向2気筒のRシリーズが混在できるベイ方式のラインとなっていた。
これは現在も受け継がれ、S1000RRからR1800系まで混在したまま生産する独自な方式を守っている。
とはいえ差し迫る排気ガス規制に、BMWは最後まで残ったOHVボクサーのR80系を、今年度の生産で終了する宣言をしたのだ。
ところがアメリカを中心としたボクサーファンが、それならばと買い続けるため、3年経っても生産を打ち切れず、広告に今度こそ最後!と謳っていたのを揶揄される始末。
それは遂に、新規にボクサーエンジンを開発するプロジェクトをスタートさせることとなったのだ。
そして1993年、空油冷の新ボクサーR1100RSがデビュー、続いてネイキッドにもちろんアドベンチャー系もラインナップされ、ふたつの大きな柱を得て邁進することとなったのだ。
ところがR1100GSにはじまりR1150GS、そしてR1200GSからR1250GSとなっても、アドベンチャー人気の元祖GSがBMWの総生産数で最大の存在であり続けるという途方もない状態が続いてきた。
この勢いにDOHC化した水冷1200系の新世代が誕生後も、空油冷も継続してRnineTの誕生や、何とR18系の最大排気量ボクサーを搭載したフラッグシップ・クルーザーまで世に出ることとなった。
かつて2輪から撤退まで追い詰められたボクサーは、いまやDOHC化から可変バルブの高度な最新メカニズムとなり、4気筒も縦置きにスーパーバイクへ参戦するハイパフォーマンス戦線の横置き4気筒もスタート、いまやMの称号を与える世界の頂点マシンを誇るまでになった。
そしてつい先日、アドベンチャー系を全メーカーが生産する世界的な潮流へとリードしてきたGS系で、よりマッチョなコンセプトへと変身したR1300GSが発表された(日本での発売時期や価格は未定)。
こうして再スタートを切ってからのBMWは、初の全車種フューエルインジェクション化にはじまり、世界に先駆けたABSの安全装備、電子制御化でもリーダーとしてチャレンジを続ける、常に勢いのあるエネルギッシュな活動を途絶えさせたことがない。
それもこれも、ユーザーに支えられたひと幕もふた幕もあった経緯を尊重する姿勢が貫かれているからだ。
新しいニーズが新しいライフスタイルから生まれる……BMWは徹底的に走り続けるスタッフ揃いで、その当事者でいる努力を惜しまない。