ママたちを追い詰める「よい母親」「しなきゃ」の呪縛(写真: Ushico/PIXTA)

日本における産後うつ病の発症率は10%以上で、コロナ禍を機にさらに増えているといいます。日本ではまだまだ「母親」にかかる育児家事の比重が高いのも要因の1つ。うまく手を抜ければいいのですが、真面目な人ほど「完全母乳でなくては」「しっかりしつけなくては」と完璧を目指して自分を追い詰めがちです。

「がんばらんでええ、テキトーでええ」をモットーにYouTubeで子育て情報を発信する人気助産師のHISAKOさんは、「下は2歳から上は25歳まで25年におよぶ12人の子育ての歴史の中で、半分近くは、『しなきゃ』の呪縛にがんじがらめになっていた」と語ります。その呪縛からどのように抜け出したのか。HISAKOさんの著書『5万組を子育て支援して見つけた しない育児』から抜粋してご紹介します。

「よい母親」よりも「ハッピーな母親」を目指そう

母乳で育てるべき、手づくりするべき、いつも穏やかであるべき、しつけをするべき、いっぱい遊んであげるべき、習いごとをさせるべき……こうした、いわゆる「よい母親像」は、令和となった今なおキリがないぐらいたくさんあります。

「こうあるべき」という圧は、親自身に大きなストレスを生み出します。たとえば、「ママは子どもと一緒にすごすべき」というイメージが自分の中で強すぎると、保育園に預けることに罪悪感を感じ、一緒の時間をすごせない自分は「よい母親」にはほど遠いと自らを追い込む結果になります。大きなプレッシャーと無力感の間に、多くのママが混乱しています。

12人育ててきて実感しているのは、ママパパ自身の心の満足度が高い状態こそが、子どもにとっていちばん大切だということ。完璧じゃなくても、手づくりじゃなくても、失敗しても、親が笑顔なら子どもはハッピーなんです。

親が幸せだと、子どもに与えられることも自然と増えていきます。そして、できる範囲で全力でがんばっているのだから、どんな選択をしようと“ 手抜き” なんてことはありません。

そもそも、1人の人間だった個人が、子どもという新たな命に恵まれた結果、たまたま親になっただけ。親になった途端、いきなり今までの価値観や考え方、欠点や習慣を劇的に変えられるはずなどありません。「母親なのだから」と気負うことなく、人間らしくときに失敗して罪悪感を覚えたり、反省したりしながら、子どもと一緒に成長していきましょうね。

好き嫌いは無理に直さず、野菜は「お供物」感覚で

子どもが野菜を食べない件は、親たちの永遠の悩みですよね。うちの12人の子どもたちは、同じように育て、同じように料理して、同じように食卓に並べたとき、比較的まんべんなく食べてくれる子もいれば、「私は絶対、好きなものしか食べへん!」と食わず嫌いを貫く子もいました。

つまり、子どもの「食べる」「食べない」は、単なる個性なんです。大人にも人それぞれ食の好みがあるように、子どもに食のこだわりがあっても不思議ではありません。

小さく刻んでも、凝った調理法を試しても、器用に野菜だけを指でつまんでポイッとされると絶望的になりますよね。無理に食べさせようとして、食卓が険悪なムードになったり。

「もう食事をつくるのやめたい!」という気持ちにもなるでしょう。

だから、もういっそのこと、無理に野菜を食べさせることはあきらめちゃいましょう。私の経験上、そんなにあわてなくても、そのうち食べられるようになります。

豆腐が食べられるなら、タンパク質は十分とれています。お味噌汁を飲むだけでも、野菜のエキスがたっぷり溶け込んでいるので、栄養面での心配はありません。

食べる努力ができるようになるのは「嫌いな野菜も、一口でもがんばって食べてみよう」という意識が芽生えてから。だから、5歳、いや小学生ぐらいまで待ってあげてもいいかもしれません。うちの子は、そんな感じで全員、ちゃんと野菜が食べられる子に育ちました。気長にその日を待ちましょう。

「ごめんなさい」を無理に言わせるのは意味がない

ブランコで遊んでいた3歳の子。お友達に「かーしーて」と言われて、「あーとーで!」とお返事しました。「替わってあげてもいいけど、今私が乗ったばかりだから、ちょっと待ってね」。「イヤ」と全否定はせず、かといって「いいよ」と相手の思いどおりにもさせず。やわらかさもあって、すてきな言い回しです。

わが子が「かして」と言われる場面に直面すると、「ほら、貸してあげなさい。順番でしょ!」と諭すママは多いですが、どんなときでも「かして」→即座の「いいよ」が正解というわけではありません。「使い始めたばかりなのに」「前回は使えなかったから、今回はたっぷり楽しみたいのに」といった子どもの気持ちを無視して「すぐに貸してあげられる子=い
い子」という図式に無理やりあてはめられるのはつらいもの。

また、わが子に「ごめんねって言いなさい!」と諭すとき。「何がごめんなのか?」が理解できないまま謝らせると、その子にとって、「ごめんね」はまったく意味のない言葉になってしまいます。「僕は悪くないのに」「わざとじゃないのに」といった言い分もろくに聞かず、体裁よく「ごめんね」「いいよ」でまとめてしまうのは、大人都合の短絡的な解決方法といえます。

子ども同士のトラブルが起きたときこそ、コミュニケーション能力を磨くチャンス。自分がどう思っていて、どうしたいのか。そして、相手の気持ちはどうなのか。それらを考えたうえで、心から悪かったと思えたら「ごめんね」、相手の気持ちを思いやることができれば「いいよ」が言えるようになります。

実は私、3人目ぐらいまでは、「ママ友づき合いはママとしての義務」と信じ、ママ友をいっぱいつくろうと必死でした。わが家は、常識からちょっとはみ出した人数の子がいるので、積極的にママ友つながりを大切にして、「私は変な人ではありませんよ〜」というアピールをしたんですね。


でも、発達障害のある7人目の子で、「理解してもらいにくい子どもを育てているママ」というバージョンを初めて経験。彼女に向き合うだけでも大変なのに、さらにママ友づき合いにまでエネルギーを消費するのは無理、と気づいたのでした。

現在の私は、LINE がつながっているママ友は3人ぐらい。よく「小学校になったらいろいろ聞けるママ友がいたほうがいい」とも言われますが、質問があったら学校に聞けばいいのです。ママ友より、担任の先生と仲よくなったほうが便利ではないですか?(笑)

責任感の強い真面目な人ほど、「子どものために」とがんばりすぎてしまいます。でも、ママ友はあくまで子どもを介した存在であり、学生時代の友達とは異なります。みんなわが子がいちばん大切だからこそ、トラブルも起こりがち。

私もある日突然無視されるなど、傷つく経験もしました。ママ友づき合いフリーの今はとにかく快適。参観日や行事のときは、明るく挨拶しておけばオールオッケー! わが子がよくお邪魔するお宅の保護者に「いつもお世話になってます」ぐらい伝えるのはマナーかな。何かあったときに声をかけ合ったり、助け合えたりするママ友はほんの一握りで十分です。

母親たちはみんな追い詰められている

私はこれまで12人の子育てを通して、離婚や再婚、子どもの壮絶な反抗期、障害児育児など波乱万丈、山あり谷ありのジェットコースターのような人生を経験してきました。「こんな私の経験が、誰かの役に立つのなら」という思いで、沖縄の離島から情報発信をしています。講演会やオンラインで、私の顔を見るなり泣き出す人もいて、「日本の育児はそんなにつらいのか、ママたちはそこまで追い込まれているのか」と、正直、絶望することもあります。

そんなママたちを「1人でも多く救いたい」というのが、今の私の原動力です。親も子もみんなが笑っていられる世の中になりますように。これからも全力で応援していきます。

(助産師HISAKO : 助産師)