AI時代を生き抜くための秘訣とは(写真:Graphs/PIXTA)

AIの発達した現代において、人間の持つ脳の真価が問われています。脳科学者の茂木健一郎氏は、自らの経験と脳科学的知見から、人間の脳には「身体性」の強みがあると話します。

※本稿は茂木健一郎氏の新著『運動脳の鍛え方』から一部抜粋・再構成したものです。

AIに負けない、人間が持つ身体性の強み

人間がAIに勝つキーワード。その1つが「身体性」です。

「身体性っていわれても、何かよくわからない……」

そんな人もいるかもしれませんので、身体性についてわかりやすく説明したいと思います。

私は毎朝、10キロのランニングが日課だと述べました。簡単に10キロといいますが、アスリートでもない私が毎朝10キロ走るのは、はっきりいえば実は面倒くさいことなのです。

ですから、5キロぐらいを通過するときに、「あー、疲れてきたな。もう5キロも走ったし、今日はここまでにしよう……」と、ついつい弱音を吐いてしまいそうになる私がいるのです。

でも、そこから「待てよ、ここはもうひと踏ん張りして10キロ走ってみるか!」という決断と行動が取れるのは、やはり毎日走るという習慣によって「嫌なことから逃げずにやり抜く」ということを、脳や身体に覚え込ませているからです。

結果として、そうした嫌なことから逃げずにやり抜く習慣が、面倒くさい仕事からも逃げなくなる。理屈でも何でもなく、これこそがAIに勝つための、人間が持つ身体性ならではの強さなのです。

フルマラソンで得た身体性の成長プロセス

もう1つ、これも身体性に関するエピソードです。恥ずかしい話ではあるのですが、私は過去に3回、フルマラソンを失敗した経験があります。どのレースも、30キロ地点で止まってしまい、どうしても完走することができませんでした。

それでも私は諦めずに4回目のフルマラソンに挑戦しました。それが2015年の東京マラソンだったのですが、初めて完走することができました。私がこのときフルマラソンを完走できたのは、ある1冊の本に出会えたおかげでした。

有森裕子さんをメダリストにまで育て上げた名指導者である小出義雄監督の著書『30キロ過ぎで一番速く走るマラソン』(角川SSC新書)によると、小出監督の長年の経験から見出した結論として、フルマラソンを失敗してしまう多くの原因はオーバーペースなのだそうです。

私はもともとジャンプするようなイメージでリズミカルに走るのが好きなのですが、それでは体力が追いつかず、絶対にフルマラソンを完走できないということを経験値から割り出したのです。

フルマラソンを完走するためには、もちろんトレーニングもしますが、ただ根性だけで練習すればいいというものではありません。最初の20キロ、30キロというのは、焦る気持ちを抑えながらゆっくりと走ることがフルマラソンを完走する秘訣だということを学びました。

さらには、これまでの経験値から導き出したサプリや糖分(私の場合はプチようかんでした)の摂取するタイミングも、比較的早い20キロ時点でおこないました。

栄養補給方法は、このタイミングで栄養補給しないと、30キロを過ぎたあたりから突然スタミナが切れて走れなくなってしまうのです。

前半をできるだけ抑え気味で走り、しっかり栄養補給して、ピークを30キロ過ぎにもってくるようにすれば完走できる。それを完璧に実践できたのが、初めて完走できた東京マラソンだったというわけです。

これぞまさしく、AIに勝つための、生身の肉体を持つ人間自身が過去の経験から導き出した、身体性の成長プロセスだといえるわけです。

「英語はスポーツと同じ」と考える理由

現在、英語の勉強を必死でやっているという人も多いのではないでしょうか。ただ、一方では「いやいや、英語力なんてAIが発展すれば必要なくなるでしょ!」と考える人もいるかもしれませんね。

たしかに昨今、目まぐるしく発達するAIの自動翻訳システムなどが、私たちの語学力をサポートしてくれる可能性は十分あるでしょう。ですが、それを差し引いても、英語を勉強することのメリットは、おそらく消えないだろうと私は考えています。

それはなぜか──。私は「英語はスポーツと同じ」という、新しい概念を提唱したいのです。

これがどのようなことかといえば、いくらAIが発達したとしても、知識やデータだけではスポーツを楽しむことはできません。やはり、身体を動かして脳や身体に負荷をかけて、汗をかいてこそスポーツを楽しむことができます。

これと同じように、英語にしてもただ単に翻訳して相手の言っている言葉を理解するよりも、その会話にある「人間味」やお互いの感情を表現し合うことに、英語を学ぶ喜びや感動を見出せると考えているからです。

私がよく例えるのは、恋愛が苦手だからといって自分が好きな人に対してロボットが代理で愛の告白をしても、その恋愛は成就しないのと同じです。また、ビジネスでの商談でさえ、お互いがしっかり目を見て話すほうが伝達力や説得力が増すのと同じです。単にAIを介して会話をするだけでは、やはり身体性が伴わないのです。

さらにいえば、英語の勉強における「聞く」「話す」「読む」「書く」という動作はいうまでもなく運動であり、身体性を向上させることができるからです。

それらの理由から、やはり英語を勉強するということのメリットは、おそらくなくなることはないというのが私の意見です(ただ、こうした私の考えを超えてくるようなAI技術が開発されるかもしれませんが……)。

英語圏で増加している新たな仕事

私自身は長年英語の勉強をしてきましたが、最近では新しい動きが生まれているのです。それは、英語を使った英語圏の仕事が増えてきたことです。


先日も、アメリカの有名なベンチャーキャピタルが主催する会議で基調講演を依頼されたり、海外のポッドキャストのインタビューを受けたり、私があるツイートをしたことがきっかけで原稿依頼が来たりと、こうした英語圏の仕事が増えたことによって、ますます私の英語力が磨かれているなと実感しています。

というのも、日本は文化的な成熟度が増し、海外のメディアは日本固有の文化やアニメ・マンガといった、世界に通用するエンターテインメントに関心を持つようになっています。それによって、海外からのインタビューでも日本のことをいかに英語で説明するかが重要になってきています。私にとって、こうした新たな英語への取り組みが、私の身体性を強化してくれているのです。

もちろん、皆さんは海外のメディアにインタビューを受けるという機会はそうはないと思いますが、英語で身体性を向上させたいというときに、身近でおすすめなのが映画鑑賞ではないでしょうか。

よく、「日本語の字幕が付いていると日本語を読んでしまうので、英語の勉強にならないのでは?」という人がいますが、日本語字幕はいわば、自転車に乗り始めたときの補助輪のようなもの。慣れてくると、次第に日本語字幕を読まずに、英語を聞くだけで理解することができるようになる。これもまた、人間の身体性がなせる業なのです。

(茂木 健一郎 : 脳科学者)