人生100年時代、第二の人生をガラリと変える人もいます。結婚、子育て、離婚、病気の発症を経て、53歳でスペイン留学を決めたRitaさんの連載。今回は、なぜスペインという土地を選んだのか、決め手になったことなどをつづってくれました。

お金がなくても、スペインへ留学を決めた理由

やるべきことも、やりたいこともすべて終わったと思い込んでいた人生。「留学でもしてみたら?」と、娘のこのひとことで心が高鳴り、「人生を変える」ということに、必死にしがみつきたくなりました。

このとき、子どもたちは社会人となり、私は都内の賃貸住宅にひとり暮らし。両親は健康に気をつけながら生活をしてくれているし、仕事が辞めにくいのはいつでも同じ…。そのとき、私が日本にいなければならない理由がなにひとつないことに気づき、「このチャンスを逃したくない!」そう思ったのです。

●旅行で訪れたときのスペインの高齢女性を思い出して…

とはいえ、「どこで、なにをする?」。
今まで、海外との縁といえば、東南アジア諸国への旅行くらい。加えて、元夫の仕事の関係で中国へ在住したことがありました。このときは幼少期の子どもたちを連れ、日本人社会の中での生活。中国語のレッスンを受けても買い物言葉程度までしか上達せず、早くも自分の語学センスのなさに失望していました。

さらに、英語にも人一倍苦手意識があったため、どうせなら真新しい言語を習得してみたい! イチからがんばれるものがいい、と世界地図を思い浮かべるなか、スペインが候補に挙がってきました。

スペインは、以前娘が仕事で駐在しているときに訪ねたことがあり、人々の明るさが目に焼きついていました。見知らぬ人たちとも挨拶を交わし、笑い声が響き、夜遅くまで会話を楽しむ。まさに人生のお手本に見えたのです。

なかでも印象的だったのが、たまたま見かけた70代と思われる白髪婦人。真っ赤なドレスを着て赤ワインを一人で飲んでいた姿を見て、自分が年齢を理由に様々なことにフタをしていたことに気がつきました。
「あんなすてきな歳のとり方をしたい」「“もう”50代だと思っていたけれど、もしかすると“まだ”50代なのではないか…」
ご婦人の姿は、私をそんな気持ちにさせてくれました。「あの人の国に行きたい!」
胸が躍るという感覚が、久しぶりに押し寄せました。

●貯金がなくなっても「なにかを変えたい」一心で行動

スペインで、スペイン語のための留学…徐々に方向が固まりだし、同時に夜な夜なお金の計算をする日々となりました。離婚後は数種類の仕事をかけもち、なんとか生活が保てていたため、正直、貯蓄が始められたのは子どもたちが社会人になってから。大きな蓄えはありませんでした。

そのため、保険も崩せるものはすべて解約し、洋服やバッグ、書籍も思いきって売って、お金をつくりました。小さなワンルームの生活だったとはいえ、人生をスーツケースひとつに詰め込むにはほとんどの生活品を処分しなければなりませんでした。そして処分により生まれたわずかなお金も、渡航費として貯めていきました。

まずは250万円。語学学校の費用と生活費、この金額があれば1年間は生きていけると計算しました。あの口座にも少しお金があったかも…あの保険を解約すれば…この日まで待てば給料日だから…と、電卓ばかり叩いていました。
このとき、たとえ貯蓄が空っぽになっても「きっと、どうにかなる」と思えたのは、「なにかを変えたい!」という気持ちを失いたくなかったからです。それまでは国内旅行ですらもったいなくて行けなかったのに、あのとき動いた心は今考えても不思議です。もう一度、最後に自分の人生を生きてみたかったのかもしれません。

●ダメならまたイチからやり直せばいい

これまでの私は、〇〇家の奥さん、〇〇ちゃんのお母さん、〇〇会社の人、常に所属する場所があり立場に合わせたふるるまいが必要で、だからこそ守られた生活でもありました。渡航に向けて住民票を抜き、健康保険証を返却し、マイナンバーカードを失効…あらゆる紐づけから外れ不安が募っても、後戻りしたいとは思いませんでした。

「絶対なんとしてでも成功してみせる!」…そんな強い思いはまったくなく、もしもダメなら帰ってくればいいじゃない、同じ会社には勤められなくても、どこかしらに勤務して、またイチから始めたって大きく変わらない。たとえ給与が下がっても、この経験をもてた自分の方がいいじゃない! そんな、ふわっとした気持ちを大切にしていました。

若い世代とは違う留学、久しぶりすぎる勉学、健康面の不安…決して意気込みすぎず、「違う国で一人で生きてみる」ということを目標にしました。
そして出発日が近づくにつれ最大の不安は「無事にスペインへ到着できるのか」。トランジットもある23時間もの移動、じつは一人で飛行機に乗るのも初めてだったのです。