でんがんさん(写真:でんがんさん提供)

浪人という選択を取る人間が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。

今回は、県立芦屋高等学校から1浪し、大阪大学に合格。合格後、大学で出会ったはなおさんと登録者170万人のYouTubeチャンネル『はなおとでんがん』を運営し、現在は『日常でんがん』で教育に関する動画を作っているYouTuber、でんがんさんに話を伺いました。

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教育系動画で人気を誇る


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みなさんはYouTubeチャンネル『はなおとでんがん』をご存知でしょうか。

「はなお」と「でんがん」による「理系・高学歴」を生かした教育系・エンタメ系動画で、チャンネル登録者数は170万人と、若者を中心に人気を集めています。2人が大阪大学在学中から動画投稿を始め、2023年の3月20日に、はなおさんが30歳を迎えたことを機に惜しまれながらも解散した伝説のYouTuberでした。(ちなみに「でんがん」というのは、本名の苗字「田丸」から来ているそうです)

それから「教育」という道で生きることを選び、YouTubeチャンネル『日常でんがん』で教育系動画を投稿しているでんがんさんには、浪人の経験がありました。その経験が、今のYouTuber活動の原動力になっている側面があるそうです。

浪人生活で彼は何を身につけたのか? 浪人を経験したことが、現在の活動にどう生きているのか? 今回は、数多くの10〜20代に影響を与えてきた、彼の人生と今後の展望を深掘りしていきます。

でんがんさんは、1993年2月、大阪府の門真市に生まれました。小さいころの彼は「問題児」だったそうです。

「『やれ』って言われてもやらず、やるなって言われたことをやりたくなる変わった子どもでした。授業を一方的に聞くのが嫌いで、つねに先生に『どういうこと?』って聞くような感じでしたね」

小学校時代は勉強が嫌いで、ほとんどの科目で平均点以下の成績だったそうです。

中学に入ると理数系に力を入れている知人が通っていた集団指導塾に通いはじめ、成績が普通より少し上になったそうですが、「緑という漢字を書けるようになったのが中学生のときでした」と話すように、成績や勉強に対する意識が大きく変化することはなかったそうです。

そんな中学時代が終わり、高校は県立芦屋高等学校に進学します。

部活に集中し、勉強できていなかった

「陸上部の活動に集中していたので、数学や理科、英語などの科目に力を入れて取り組めませんでした。高校の定期テストは特別難しいわけではありませんでしたが、英語では40〜50点くらい、物理のテストでは20点を取ったこともありましたし、成績はよくありませんでしたね。この時期に模試を受けていたら、10点以下しか取れなかったと思います」

今でこそ「理系動画」で世の中に広く認知されているでんがんさんですが、この当時に関しては「算数や数学の計算スピードは速かったですが、謎解き感覚でやっていただけで理解はできていなかった」と、まだ片鱗が見えなかったことを語ります。

高校1〜2年生当時の第一志望校は、神戸大学でした。

「家から近いところがよかったので、いったんそう言っていただけです。大学に興味がなかったわけではないですが、行けたらいいなとは思っていました」

そんなでんがんさんは陸上部を引退した高校3年の秋から本格的に受験勉強を始めます。

本気でやっていたことが一区切りついて、勉強に集中し出したそうですが、模試は関関同立(関西大学、関西学院大学、立命館大学、同志社大学)以上の大学になると、E判定ばかりだったそうです。

迎えたセンター試験では5教科7科目で58%程度。この点数を踏まえ、現役での受験は大阪市立大学に出願しますが、残念ながら合格はできませんでした。

「合格最低点に200点くらい届かずに落ちてしまいました」

私立大学では同志社大学、関西大学を受験して、関西大学には合格したものの、不完全燃焼で現役の1年を終えます。

「本質的な理解」を念頭に置いて頑張った

関西の名門私立大学である関西大学に、E判定から合格したでんがんさん。「気持ち的には行ってもよかった」そうですが、悩んだ末に浪人を決断します。その理由として、「もう1年頑張りたいという気持ちがあった」と語ります。

「学歴そのものを重んじていたわけではありません。自分は秋から受験勉強に真剣に取り組んだので、体感で3カ月くらいしか勉強を頑張っていなかったんです。だから、少し攻めた選択をして、もう1年頑張って納得するまでやり抜いたほうが、大学生活が充実するんじゃないかと思って決断しました」

彼は、現役の受験で成績が伸びきらなかった理由を「本質的に理解できていなかったから」と分析します。

「高校の物理では万有引力を習っていませんでした。当時通っていた研伸館という予備校でその範囲を教えてもらったら、見事に大阪市大の試験で出たんですが、アウトプット不足で解けなかったんです。理解が低いまま事実だけを覚えていたから、どのようにその式を使って問題を解くかまではわかりませんでした」

この現役時の失敗を生かそうと思ったでんがんさんは、浪人生活では「本質の理解」を念頭に置いた勉強をしようと考えます。予備校は駿台神戸校に入り、現役時に目指していた神戸大学という目標をワンランク上げて、大阪大学を目指すことに決めました。

「浪人をはじめる段階でいったん何を目標にして頑張るかを考えました。神戸大を目指していたら、自分の思うように進まなかったときに志望校を下げないといけないと思ったので、ワンランク上の大学を志望校に設定して頑張ろうと思ったんです」

そう考えた彼は、まず志望校に行くためにはどれくらいのレベルが要求されるのかを調べるため、大阪大学の赤本を3〜4年分購入して読んでみたそうです。

「目標を知らないと筋道を立てられないので、現時点で肌感覚でどれくらい通用するかを調べてみたんです。結局、数学の問題で10分考えて何も浮かばなかったので、これは全然基礎が足りてないんやな、とわかったんです。3月末で志望校への距離感を把握できたのがよかったですね」

目標へのレベル感を理解した彼は、予備校の授業も「受動的に内容を聞くだけの受講」ではなく、「能動的に情報を取りに行く受講」を意識して、その日、1週間の目標を決めて、授業の予習や復習の時間を設定し、システマチックに勉強をしていたそうです。

「最初の3カ月でスタートダッシュを決めると決めていました。1年考えたらモチベーションがもたないなと思っていたので、いったん6月の終わりまでしか考えないようにしていました。6月末に入試があるという気持ちでやっていましたね

その成果はすぐに現れます。5月、6月にそれぞれ受けた駿台全国模試では、ともに大阪大学のB判定を叩き出すという大きな成長を遂げました。

「4月の勉強の結果が出て、基礎を固めて成功だったと思いました。ほんまの基礎の基礎って、どんな科目でも出題されるんです。式は知ってるけど意味が理解できていないものを理解しようと取り組んだだけで、急激に理系科目の成績が伸びたんです」

一箇所理解した瞬間に全部つながって急に成績が伸びた」と語ったでんがんさん。近道をしたいときこそ、遠回りをする心持ちが物事を吸収するうえで大事なのだと、考えさせられます。

センター試験の結果が思ったよりよくなかった

こうしてスタートダッシュを決めたことが成功体験になり自信を深めたでんがんさんは、夏に受けた大阪大学の冠模試(各大学の出題傾向に合わせて出題される模試)でもB〜A判定を叩き出します。この結果を受けて「本当に阪大を受けてもいいかもしれない」と思った彼は、自信を持ってセンター試験に臨みました。しかし、この結果が思ったよりよくなかったことでひるんでしまったそうです。

「数学は満点、物理と化学も9割とれました。ですが、国語や地理で取れずに全体で70%くらいの得点に終わってしまったんです。ほかの阪大受験生は8割くらいは取ってくるので、2次試験で30〜40点ほどの不利を逆転しないといけませんでした」

そこで彼は、こう考えました。

「普通に受けたらかなり難しい点数で、今の自分の力でほかの受験生との間にある30〜40点の差を逆転できるか必死に考えました。親にお金を出してもらっているから、期待値が釣り合わないことはしたくなかったんです。結局、自分でこの1年の取り組みを考えた末に、勝負できると思って勇気を出して出願したんです」

こうして挑んだ大阪大学の試験。例年に比べて全体的に易しめだったため、受験者の平均点が高くなって逆転できないかもしれないという危機感を抱きながらも、いちばん苦手だった英語でいい出来だったためチャンスがあると思ったそうです。

そして迎えた合格発表の日、1浪ででんがんさんは大阪大学基礎工学部に合格しました。

「嬉しいというよりは安堵でした。親に払わせるお金が少なくて済むからよかったなって感じです。僕はこの1年、世界でいちばん勉強したと思うほどやり抜きました。現役で大阪市立大学に200点も足りなかった人間が阪大に受かったんで、自分がやってきたことは間違ってなかったなと思えましたね

やればやるほど成長できた

こうして密度の濃い1年を戦い抜いたでんがんさん。浪人してよかったことを尋ねてみると、「人間はほぼすべてのことで成長できると思った」と、頑張れた理由に関しても「やればやるほど成長すると思えたから」と語ってくれました。

「僕は勉強が好きじゃなかったんですが、浪人を通して『物事を突き詰められる』って感覚が手に入ったのが大きかったと思います。今でもしんどいことや結果が出ないことと、どう向き合って、何をやるべきかを考えるときは、当時の経験が現在につながっていると思います。『できなかったこと』が『できること』に変わったことで自信になったから、この年になってできないことにぶつかっても、成長できると思えるようになったんです」

そして、浪人の1年間で大きく変わったのは、「自分の脳みそで何ができるかを考えられるようになった」ことだと言います。でんがんさんはこのときの経験を生かそうと、YouTubeチャンネルを開設しました。


でんがんさん写真(写真:でんがんさん提供)

「僕は阪大時代にも塾で教えていたんですが、多くの受験生は『僕は何をやればいいんですか?』って聞いちゃうんです。でも、先生はその子の脳みそになれないから、一般的な意見しか言えません。自分で考えてやってみる過程で、『これをやっているんですけどどうですか?』って先生に聞くような視点があればいいなと思うんですね。そういう『自分の頭で考える人』のほうが時間はかかるけど伸びる傾向がありました。自分は浪人して、それができるようになったのが本当に大きいと思います

自分にしかできないコンテンツ作りを意識


現在、教育というフィールドで活躍するでんがんさん。最近では中学理科の参考書(『でんがん先生と学ぶ 中学理科のきほん 60レッスン』)も上梓しました。

そしてYouTuberも続けているでんがんさんは、「血が通う」動画を作ることをつねに意識して動画を作っています。

「ターゲットをイメージして明らかにすることが大事だと思います。たとえ似た企画をやるにしても、自分の血の通ったコンテンツを作ることを意識しています。成果物はその人の味があるかどうかで希少価値が上がると思うんです。だから、自分にしか出せない血を出すことを意識しています

「みなさんも一緒に、一生に一度の成果物を作りましょう」と語ったでんがんさん。かつて私が浪人時代に画面で憧れて見ていた彼はやはり、血の通った熱い人間なのだと思いました。

(濱井 正吾 : 教育系ライター)