竹内力、自分の好きな路線を突き進み“Vシネマの帝王”に。伝説のトレンディードラマでの役は「演じるのが苦手でした(笑)」
1986年、映画『彼のオートバイ、彼女の島』(大林宣彦監督)に主演し、俳優デビューを飾った竹内力さんは、映画『極道の妻たち』(五社英雄監督)、『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)など話題作に出演。
1989年、Vシネマ第1作『クライムハンター 怒りの銃弾』(大川俊道監督)をはじめ、『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズ、『仁義』シリーズ、『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』シリーズなど多くの作品に出演し、「Vシネマの帝王」と称されることに。
◆『101回目のプロポーズ』では日々監督に注意され…
1991年、力さんは、『101回目のプロポーズ』に出演。これは、亡くなった婚約者を忘れられない薫(浅野温子)と100回目のお見合いで出会い、薫に何度フラれても諦めない中年男・達郎(武田鉄矢)との恋を描いたトレンディードラマ。力さんは、薫と同じオーケストラのバイオリニストで彼女にプロポーズする沢村尚人を演じた。
−薫が達郎と婚約を果たすと2人の幸せを願うという、男気のある尚人。カッコよかったですね−
「あれはね、正直に言うと、俺はイヤイヤやっていましたね…。だいたいにして前髪を下げるのがイヤだったんだよね。なぜか金持ちのボンボン役が多かったけど、素の俺がそうじゃないからね。
俺が子どもの頃にテレビ放送が始まった『仮面ライダー』が爆発的にヒットして、最初の仮面ライダー1号。その頃、袋の中に仮面ライダーのカードが入っている仮面ライダースナックまで作られて、ヒットしたんだよ。
ライダーカードが欲しいから、金持ちの子たちは親から小遣いをもらって、それを箱ごと買ってカードだけ抜き取って、お菓子は全部そこら辺の川に放り投げて捨てていたんですよ。俺なんて貧乏だから『もったいねえ。こんなおいしいお菓子を捨てるなんて』って頭に来てさ。食べ物を粗末にするなんてって。そこからお金持ちに何か対抗意識みたいなものが芽生えたのかも」
−でも、『101回目のプロポーズ』の尚人さんは女性に大人気でしたね。男気があって−
「そういうのは、あまりわかっていなかった(笑)。毎日監督から注意されていましたからね。『ガニ股をちゃんと直して』とか、『肘をついてしゃべらないで』、『タバコの吸い方がヤクザっぽい』、『チンピラっぽい』とか。沸々とした思いもありました」
−その前に映画『極道の妻たち』にも出演されていましたね−
「トレンディードラマより、そういうジャンルのほうが自分でアドリブもバンバン入れられるし、芝居のアイデアも自ら提案できてやり甲斐があったんですよね。普段の自分と180度違う人間を演じるのがさすがに難しかったんです。だから『極道の妻たち』の話が来たときはうれしかった」
−印象的な役柄でしたね。岩下志麻さん演じる主人公の夫(組長)が出所して、ようやく会えた直後に目の前で射殺する−
「そうだったのかな。だいぶ前の作品だから忘れちまった(笑)」
−あのときにはもうこの路線でやっていこうという思いはあったのですか−
「とくにないですよ。でも、やっぱり自分がやりやすい役、自分が感情移入しやすい役っていうのはあります。自分の個性を活かせるのはうれしいことですからね。俺が子どもの頃見ていた日本の大スターである高倉健さん、菅原文太さんの演じられていた男気溢れる役柄に憧れていたっていうのもあります」
◆『ミナミの帝王』、『仁義』などヒットシリーズが続々
1992年に『難波金融伝・ミナミの帝王』シリーズがスタート。これは、大阪ミナミ界隈を舞台に、ヤクザも黙る高利貸しとして恐れられた金融王・萬田銀次郎(竹内力)の活躍を描いたもの。2007年まで60作品が作られることに。
−シリーズでという意識はありました?−
「そんな安易な考えは、俺も監督もなかったですよ。ヒットしてそういう風になっていったというだけで。最初は1本で終わるとみんな思っていたからね」
−最初に演じられたときはいかがでした?−
「自分で自由にやりたいなと思って、最初から意見を言っていましたよ。衣装作りからサングラスから全部自分で色々なキャラクター作りのアイデアを提案させてもらっていました」
1994年には『仁義』シリーズもスタート。これは、チンピラだった仁(竹内力)が、相棒の義郎(榊原利彦)の手助けを得て、ヤクザ世界で出世していく様を描いたもの。2007年までで50作品が作られた。
「『仁義』は、最初に映画版『JINGI 仁義』(長谷川計二監督)をやっているんだけど、そのとき俺は八崎義郎役だったから、役が逆だなって思っていた。その後、ビデオシリーズが始まるというので話が来て、『俺は神林仁の役だったら自分に近いから、仁の役だったらやる』って言ったらOKということで始めたんです。
『映画と同じ、漫画と同じだったらおもしろくない。アクションをどんどん盛り込んでいこうぜ』って言って、台本を修正していったんです。
松田優作さんの映画とかも、もちろん観ていたし、テレビの『西部警察』とかもガンアクションをやっている作品が多かったじゃないですか。だから、普通のヤクザVシネじゃなくて、ガンアクションものにしたかったんですよ。
当時『あぶない刑事』が大ヒットしていて、ヤクザの設定で同じようなことができないかなって思って、ヤクザ版の『あぶない刑事』みたいなことをやったらウケたんですよ。
だから、言ってみるもんですよ(笑)。俺はプロデューサーでもなんでもないけど、作品がヒットするために良いと思うことは遠慮せずにガンガン言っていましたね」
−何本か拝見させていただきましたけど、ピッタリでおもしろかったです−
「自分の意見が通って視聴者の方に評価してもらえる。それって自分の感覚が認められたってことですからね」
◆自身の会社を設立。自分のやりたい路線をやっていくことに
1997年、力さんは33歳のときに独立し、芸能事務所兼製作会社「RIKIプロジェクト」を立ち上げる。独立してからは、自分の個性を活かせる作品と役柄にこだわり、Vシネマ、ビデオストレートの作品をメインに活動することに。多くのヒット作を誕生させた。
−テレビのオファーも多かったなか、自分のやりたい路線をやっていくと公表されたのは衝撃的でした−
「テレビドラマでは素の自分とは真逆の役が多かったからストレスも溜まっていたし、ビデオ作品のほうがやりたいことをやれるし」
−でも、メジャーな作品からオファーがあるのに、ビデオをメインでやっていくという方はいなかったじゃないですか−
「だからかな、普段の俺を知らない人からは今だに『急に突っ張り路線に変わりましたよね』って言われることが多い。あくまで役を演じていただけだし、テレビを見ている人はみんな普段の俺を知らないからね。
とくに銀行員をやっていたというのがあるから、余計そういう風に思うんだろうね。銀行員というのは真面目で、大学を卒業していて、勉強がよくできて…というのが世間のイメージ。
しかしながら、俺の場合はまったく違うからね(笑)。俺としては、タレントさんと違って俳優という職業柄、作品の役により髪型、洋服、声、動作などで扮装して演じなければならず、普段の俺とは別人格を演じなければならないのだが、視聴者の方からすると、トレンディーな役から急にVシネマの役になったことにより、イメージがガラッと変わって、役のせいでそっちに開眼したみたいに思われることが多かった。こっちがリアルなんだけど(笑)」
−会社を起こして、自分が好きな路線の仕事をやっていくという理想の形に−
「そうです。イヤなものはもう無理してやらないと。だから、好きな役柄、作品はどんどんやりました。365日のうち340日以上働いていましたよ」
−作品数もものすごく多いですものね−
「たくさんの作品に出演しました。主演以外に敵役なんかもあるからね。いつの間にか“Vシネマの帝王”っていう名前が付いた。『俺、“ミナミの帝王”なんだけど、“Vシネの帝王”って何?』みたいな(笑)」
−ものすごく本数が多いので、ほとんど毎日撮影、なおかつまた次の作品を考えてという感じで大変だったしょうね−
「いや、おもしろかったですよ。役を演じる上で自分を活かせるから。それで数字がどんどん良くなっていくわけですから、認められた感はありました」
−テレビや映画などメジャーなところでやっていらっしゃる方がビデオ映画をメインにというので、ビデオ映画の認知度が高くなったと思いますが−
「Vシネの最初の作品は、世良公則さんがやった『クライムハンター 怒りの銃弾』(大川俊道監督)で、俺も出ているんだけど。それが『東映Vシネマ』という、劇場公開じゃないビデオ映画の1本目。でも、あの頃は相当お金をかけていました」
−「Vシネマ」という名称は、東映のビデオ映画しか付けてはいけないそうですね−
「本来はね。でも、儲かるから、いろんなところが作り出したんですよ」
−原案、企画、製作、主演と幅広くやられていますが、会社設立時からそのつもりで?−
「最初は考えてなかったです。やっているうちにという感じですかね。『自分の意見を言ったほうが作品が当たるなあ』って思って(笑)。
それで、どんどんどんどん意見を出していったら、『これはもう自分で作ったほうが早いなあ』みたいな感じになっていったんです。監督とかプロデューサーになかなか自分の感覚が通じなかったりすることが、めんどくさくなっちゃって。
『岸和田少年愚連隊 カオルちゃん最強伝説』もそうなんですよ。村山薫っていう、ナインティナインがやっていた映画(岸和田少年愚連隊)の中に、めっちゃケンカが強い中年のおっさんが出てきて、そのキャラを今度は主役にしてVシネを作りたいって企画が来たんです。
『30代後半の中年の俺が、同じくらいの年齢のおっさんの役をやっても当たり前すぎて、普通でおもしろくないじゃん。この役がガキの頃の設定の話だったら、学ラン着て俺はやるよ』って言ったんです。
そうしたら、制作会社の社長が、『その設定がおもしろいね。じゃあそれで進めようか』ってなったんですよ。俺が『監督は宮坂(武志)という監督が俺はいいと思うから』って言って推薦して作ったら、ヒットしたんです。
ちょうど俺も『仁義』と『ミナミの帝王』で2枚目のイメージが強かったんですが、素はどっちかというと3枚目なので、3枚目のキャラがやりたかった。それで、カオルちゃんは、ああいう下品な感じのキャラクターにしたんです」
−思いっきり楽しんでやれたという感じですか−
「そうそう。あれもシリーズになって。今だに『またやって』って言われるけど、もう俺、首も腰も大手術しているから、もうアクションは無理してやらないようにしている。今やってもさ、こんな15歳、16歳がいたらおかしいじゃない(笑)」
俳優としてだけでなく、制作会社を経営し、プロデューサーとしても多くの作品を世に送り出し続けている力さん。常にお客さん目線で考えているという。
2017年には、自身が原案・製作総指揮・主演のオリジナル連続ドラマ『闇の法執行人』(J:COMプレミアチャンネル)、身も心も女性のキャラクター・大馬鹿代(おおばかよ)を演じた『大馬鹿代』(J:COMプレミアチャンネル)にも挑戦。
次回はその撮影エピソード、配信が始まったばかりの『欲望の街 No.1 報復への道』(U-NEXT)も紹介。(津島令子)