井上雄彦×渡邊雄太スペシャル対談01「やっと自分がNBA選手になれた気がしました」
井上雄彦×渡邊雄太スペシャル対談01
8月下旬から始まる2023 FIBA Basketball World Cupが迫るなか、ビッグな対談が実現した。
漫画『SLAM DUNK』作者の井上雄彦氏と、NBAで5シーズンを戦い抜き、さらに新シーズンから新天地フェニックス・サンズでのプレーが決定した渡邊雄太選手。
日本にバスケットボール人気が根づき、拡大してきている今、興味深すぎる対談の内容は多岐にわたった。
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井上雄彦氏(左)と渡邊雄太選手(右)の貴重なツーショット
ふたりが最後に会ったのは4年ほど前。渡邊選手がメンフィス・グリズリーズと契約した頃だ。以来、NBAという苛烈な競争の世界で着実にキャリアを積み、成長し続けてきた渡邊選手を、井上氏はずっと見続けてきた。
渡邊選手本人にとって「ターニングポイントになった」というNBA2022-23シーズン。井上雄彦と渡邊雄太のビッグ対談は、まずこの話題から始まった。
渡邊 NBAでの5シーズン目は、間違いなく僕の分岐点になるシーズンでした。後々、自分のキャリアを振り返った際に「ターニングポイントはどこでしたか?」と聞かれたら、2022−23シーズンだったと答えると思います。
シーズン前に契約をもらえず、当初はGリーグでまたイチから始めようと思っていたくらい。そんな時に(ブルックリン・)ネッツから無保証で「まずキャンプに来てほしい」と言われて。これが本当に最後、という覚悟で臨んだシーズンでした。
井上 それまでも日本人がやってきていないことをどんどんやってきていたから、今回のシーズンだけで何をどう捉える、ということはなかった。でもすごかった。
それこそ"リンサニティ"(ニューヨーク・ニックスで2011-12シーズンに大ブレイクしたジェレミー・リンを称賛する造語)を彷彿とさせるようなすごい時があって。すごく力をもらった。ワクワクし通しだったし。
渡邊 1、2点を争う時間帯、本当に終盤3分を切ったような大事な時間帯で試合に出られるようになったのは、今までのシーズンにはなかったことでした。実際に僕のシュートで勝った試合もありましたし。そういう意味で戦力としてチームにも、チームメイトにも認められたと言いますか。やっと自分がNBA選手になれた気がしました。
井上 ケビン・デュラント(KD)といったスーパースターからの信頼を勝ち取っているのは、見ていてもわかって、それもすごいことだと。本当にどこまでも行ってくれ、という感じで見ていましたよ。
一方で、その後にKDやカイリー(・アービング)がチームを去り、完全に違うチームになってしまった。そしてベンチにいる時間が長くなった。あの時期はメンタルをどう保っていたの?
渡邊 (トロント・)ラプターズ所属時も、状況は違えども似たようなことがありまして。特に2021-22シーズンは少しずつ試合に絡めるようになってきて、でも新型コロナウイルスに感染してしまって、その後パフォーマンスが落ちてしまいました。それでベンチを温める時間が増えてしまった。
ですが、その時と比べると、今回は意外と冷静でした。自分としてはやれている感覚があって、チームの方針上、仕方のないことだと完全に割りきれていました。
井上 自分がダメなわけではないと。
渡邊 はい。コートに出してもらえれば活躍できる自信も正直ありました。ラプターズの時は試合に出られずきつかったんです。自信もなくなりましたし。それもあってシーズン前はNBAでなくても(Gリーグでも)いいのではないか、と考えたこともありました。
でもネッツでのシーズンは、状況を冷静に第三者目線で分析できました。(試合に出られない間)モチベーションが下がらなかった、と言ったら嘘になりますが、極端に下がることはなかったです。
井上 だから「NBA選手になれた」と。
渡邊 それまではベンチから試合を見ていても「今、ここで自分がコートへ出されても、何ができるんだろう」と不安になっていた時もありました。でもネッツでは、ベンチにいる間も「いつでもいけるぞ」という感覚でいられたので。NBA選手として自信がついてきたというのはあると思います。
井上 では、まだ自信を獲得する前のラプターズ時代、その前のグリズリーズ時代。1秒も出場しない試合もあったわけで。その時はどういうふうなメンタルの持ちようで乗り越えてきたの?
渡邊 グリズリーズの時も冷静で、Gリーグで活躍できたものの、NBAのコートではまだ何も結果を出せていない状態だったので、コートに立てないのは単純に実力不足だから当たり前、くらいに考えていました。
その後、ラプターズで試合に出だして、ローテーションに入るか入らないかくらいの時期が正直大変で。自分でも考えることがいろいろとあったのですが。
井上 苦しい時を乗り越えるための方法って、具体的に何かある? 誰かに相談するとか。
渡邊 僕は人に弱音をあまり吐かないんです。親に対しても絶対に弱音を吐いたりしませんし。でも唯一、吐き出せる大親友がいまして。現在は延岡学園でコーチをしている高校時代の同級生なんですけど。
彼に対してだけ「正直、今、すごいしんどいんだ」ということを打ち明けていました。彼とはすごくいい関係性を築いていて、彼からもしんどい時は話を打ち明けてくれますし、お互いを常に引っ張り合っていけています。
【努力し続けることができる特別さ】いわずと知れたバスケットボール世界最高峰の舞台・NBA。世界中のプレーヤーがこの舞台での活躍を夢見て挑戦してくる。その競争レベルは一瞬たりとも気が抜けない過酷なものだ。
そのNBAで5シーズンを戦い、さらに6シーズン目以降を見据える渡邊選手。日本人にとってはこれまで絵空事にすぎなかったほど遠い世界だったNBAで、しかもチームの中心選手として戦い続けていられるのはなぜなのか。井上氏の興味もその点にあった。
渡邊 NBAには毎年60人がドラフトで入ってきます。2巡目の選手にはNBAで生き残れるか、残れないかという話がありますが、(1巡目の)30人はまず確実に入ってくる。さらにドラフト外からの入団もあったりするなかで、とんでもない能力の選手を何人も見てきました。
そのなかで生き残れるのは、結局は最も単純なところで「努力しているか、いないか」なんです。どんなに能力が高かろうと、NBAを1〜2年で去っていく選手は「自分はコーチに好かれていない」「このチームが合ってない」などと常に言い訳ばかりを探している。
一方、長く生き残れる選手ほど、与えられた環境のなかで自分が何をできるか、答えを探しているんです。自分もその点を突き詰めていかないといけませんし、契約をしてもらえているとしても、もっとフォーカスしていかないといけないなと。
井上 渡邊雄太という人は、日本一の高校生だったわけで。NBAにはそれこそずっとナンバーワンだった選手たちが集まってくる。そのなかで、言い訳をしていなくなってしまう選手がいる反面、同じナンバーワンでも渡邊雄太はずっと努力を続けられた。なぜ「日本で一番」という立場に甘んじることがなかったんだろう?
渡邊 正直、アメリカでは「日本で一番だった」なんて、なんのステータスにもならないと言いますか。実際、初めてアメリカに飛び込んだ時、練習初日にチームメイトに圧倒されましたから。変なプライドのようなものは最初からありませんでした。どちらかと言うと、下の立場から這い上がらないといけない状況がその後もずっと続きました。
もともと高校も、いわゆる強豪校からのオファーはもらえず、県では勝っていても全国では勝てていない尽誠学園に進学したので。最後にウインターカップで結果は残しましたけど、当時から常にトップを走ってきたわけではなかったと言いますか。
井上 そういえば尽誠学園の時、いつも手袋をしていた。
渡邊 そうなんです。僕、けっこう手足が冷え性で。
井上 ああ、そうなんだ。
渡邊 日本の体育館は冬場、暖房設備がないところが多かったりで。ウインターカップの会場にはありましたが。尽誠学園は当時、冷暖房設備が体育館になかったので、冬場の練習はずっと手袋をしていたんです。だから試合でも。
井上 そうなんだ。むしろ手袋をしていたほうがしっくりくるみたいな。
渡邊 そうですね。
井上 でも、高校時代からあとの成長もすごい。いろんな面でずーっと成長している。身体も、おそらく内面もそうなんだろうけど、成長が止まらない。
「努力する」と言うのは簡単だけど、やっぱりできないですよ。努力し続けることができる、その点に特別さがある気がする。サボることもあるでしょう? 「今日はやりたくねえな」という日もあるじゃない。
渡邊 そういう時も、もちろんあります。それこそ、部屋を出るまでは自分のなかで「ああ、今日は練習、行きたくないな」という日もあるんですけど、体育館にひとたび入ってしまうとけっこうスイッチが入るといいますか、やれてしまいますね。
井上 体育館に入らないということはない?
渡邊 意図的に入らない日は作っています。休みの時とか。
井上 「今日はやらないぞ」とはっきり割りきる。
渡邊 はい。ただ、練習があるのに体育館に入らない、ということは絶対にないです。
井上 たしかに体育館に入ったらやるよね。俺も描き始めたら描くもの。あ、これはジョークだから(笑)。
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それぞれの分野のトップオブトップで日々研鑽を積んでいる者同士だから通じる言葉、空気がある。渡邊選手から「すごく力をもらった」という井上氏。スペシャル対談02(中編)では、逆に井上氏から「幸せな時間」をもらったという渡邊選手の"あの"お話が明らかに!
(つづく。02=8月1日配信予定)
◆井上雄彦×渡邊雄太・02>>コミックス31巻と渡邊少年の『SLAM DUNK』秘話
【profile】
井上雄彦(いのうえ・たけひこ)
1967年1月12日生まれ、鹿児島県伊佐市(旧・大口市)出身。1990年に週刊少年ジャンプにて『SLAM DUNK』、1998年にモーニングにて『バガボンド』、1999年に週刊ヤングジャンプにて『リアル』の連載を開始。2006年に「スラムダンク奨学金」を設立。2022年に監督・脚本を務めた『THE FIRST SLAM DUNK』が公開される。
渡邊雄太(わたなべ・ゆうた)
1994年10月13日生まれ、香川県木田郡出身。尽誠学園を2年連続でウインターカップ準優勝に導いたのち、アメリカ留学を決意。プレップスクールを経由して2014年9月にジョージ・ワシントン大に進学。大学卒業後、サマーリーグで結果を残してメンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結び、2018年10月に日本人ふたり目のNBA選手となる。その後、トロント・ラプターズやブルックルン・ネッツでプレーし、2023年7月にフェニックス・サンズと契約。ポジション=スモールフォワード。身長206cm、体重98kg。