横浜高校元監督とPL学園元コーチが古豪でタッグ 名門校時代とは変わった指導方針
横浜高校、PL学園と言えば、高校球界を代表する伝統と実績を誇る超名門校だ。プロ野球をはじめ、大学、社会人に多くの人材を送り出してきた。
その両校のOB指導者が揃って、彩星工科高校(前・神戸村野工業)のグラウンドでノックを放っている。
彩星工科の平田徹監督(写真左)と千葉智哉部長
神戸村野工業は、甲子園に春夏合わせて3回出場したことのある古豪。ところが1992年春のセンバツ大会を最後に甲子園から遠ざかり、近年は低迷が続いていた。これではいけないと創立100周年記念事業として、今年4月から彩星工科高校に校名を変更。新校舎を建設し、コースも再編。野球部をはじめとした強化指定運動部も強化を図り、ユニフォームも新調した。
指導者も一新。横浜高で監督、部長、コーチなど17年間にわたって務めた平田徹氏が昨年7月から指揮を執り、部長には2016年に廃部となったPL学園最後のコーチだった千葉智哉氏が就いた。
平田監督は現役時代、横浜高の捕手として甲子園に二度出場。2年夏はベスト8、3年夏には主将としてベスト4に進出した。さらにコーチで3回、部長で5回、監督として4回出場を果たすなど、実績は十分だ。
そんな平田監督だったが、2019年に暴言問題などで責任をとり退職。社会貢献活動の一環として小中学生の野球上達サポートを2年ほど務めていたが、22年4月に神戸村野工業の保健体育教諭として採用され、同年7月に監督に就任した。平田監督は言う。
「監督をやるなら新設校か、昔は強かったけど弱小チームになってしまった......という学校を考えていました。そんな時に村野工業からお話をいただき、自分としてやりがいがあると思い、お引き受けしました」
横浜高と彩星工科で指導の違いはあるのだろうか。
「横浜はみんな甲子園を目指していたし、プロや大学に進んで、野球で身を立てていこうという選手がほとんど。一方、こっちは3年後の就職を見据えて一般入部してきた子ばかり。当然ながら、"野球偏差値"は大きく違います。そういう生徒たちをちょっとでも意識改革させて勝利に近づけるようにやってきましたが、とくに気持ちの部分で持っていく難しさはありました。でも、やりがいはありますし、自分なりに丁寧にわかりやすくやってきたつもりです。
彼らには、横浜とPLのすごさはあまりピンときていないようです。それでも最初は警戒しているところはありましたが、今はそれもなくなり、勝つことで少しずつ成長している実感はあります」
【前田健太の1学年後輩】一方、PL出身の千葉部長は、どう感じているのだろうか。
「私は、ここには5年前からコーチとしてやっていて、今年春から部長の大役を担いました。(平田監督とは)PLと横浜は、多少の違いはありますが、野球観は似ていますので、タッグは組みやすいです。普段は監督と一緒にノックをしたり、バッティングピッチャーをやったりしています。そのほかにも部の管理、保護者とのやりとり、練習試合の設定など、運営面のバックヤードも担当しています」
千葉部長はPL学園時代、前田健太(ツインズ)の1学年下で、2006年春のセンバツは背番号16でベンチ入り。チームはベスト4まで勝ち上がったが、出場機会はなくブルペン捕手に徹した。
城西国際大では副主将として活躍。卒業後、PL学園で5年間コーチをし、中川圭太(オリックス)らを育てた。その後、PL学園中学の軟式野球部監督を2年間務め、再びPL学園のコーチとして2016年に最後の夏を見届けた。
そして現在の高校に来て5年目、丁寧な指導で選手の実力を伸ばしている。
「バッティングピッチャーをやるにしても、速いボールを投げるわけではありません。自信をつけさせるために打ちやすいボールを投げるように心がけています」
それは平田監督も同じ方針だ。
「『ナイスバッテイング』『振りが鈍いぞ』『体が開きすぎ』などと1球1球声をかけて、対話しながら気づいたことをわかりやすくかみ砕いて教えています。とくに投げる、打つというのは本人の感覚的な部分が大事ですから。手取り足取りではなく、選手たちをどうその気にさせるかです」
名門のDNAを受け継ぐふたりの指導者によって、新たなスタートをきった彩星工科はどう変わるのか。強豪ひしめく兵庫でどんな戦いを見せてくれるのか、注目したい。