鮨好きにとって憧れの名店『すし匠』が、第一線を走り続ける理由
東京の鮨を語るうえで、名店『すし匠』は外せない。
1989年創業、四谷の今の場所に移転してからちょうど30年。多くの弟子を輩出し、一大勢力を築いた。
現在、予約を取るのは至難の業といわれる同店だが、今回は特別にその強さの源泉にせまった!
江戸前鮨の新たな時代を創った名店は、四谷の路地裏に佇む
今日ある江戸前鮨の礎を築いたとされる華屋與兵衛の名が入った看板に、新しい江戸前を志す覚悟が垣間見える。駅から近いロケーションだが、周囲に目立つ店のない閑静なエリアにあり、堂々たる店構えには品格が漂う
「親方の頃から内装は変えていません」と笑う勝又啓太さんは2017年から『すし匠』を率いる二代目。
明るく落ち着く店内も変えず維持している。おまかせ 30,000円〜
勝又さんが親方と慕う師こそ、先代の中澤圭二さん。50歳を機に新たな挑戦を自らに課し、ハワイの『Sushi Sho』を開店。日本以外の魚をタネに江戸前鮨を握った。
「本当にすごい人で、会った瞬間、その人間性に惚れました」
四谷以前は、千代田区二番町で鮨店を営んでいた中澤さん。平成5年に現在の場所に『すし匠』を構え、それ以来、常に第一線を走り続けてきた。まさにレジェンドともいえる存在だ。
この店から巣立った弟子は数知れず、それらの独立店が、それぞれ人気を博しているのは周知のとおり。
今や孫弟子もかなりの数に上り、一大勢力を築くが、この店の本当の凄さは独自に挑んだいくつもの取り組みにある。
例えば、タネの特性に応じて赤酢や白酢を使い分け、複数のシャリを用意する手法はおそらく、この店がはしり。
つまみと握りを交互に出して緩急あるおまかせを組み立てるのもパイオニアで、刺身だけではない、作り込んだ料理も提供してきた。
そして、後進に多大な影響を与えた最大の功績は“江戸前仕事のアップデート”。
古くから続くやり方をただ漫然と繰り返すのではなく、なぜそうするのか改めて見つめ直す。今、流通する魚の状態を見極め、変化する世の中の嗜好を踏まえてどんな仕事が適切か考える。
この思想が一門以外の職人にも伝播したから、今の鮨店の進化はある。
継承する覚悟と想いを胸に、日々自身の腕を磨き続ける
2017年6月より『すし匠』の2代目となった勝又啓太さん。初めて食べた親方の鮨に感激した勝又さんが入門を申し出たのは20歳のとき。それまでは京都『嵐山 吉兆』で修業する料理人だった。以来18年、付け台に立ち、店を守る
その仕事を受け継ぐ、勝又さんもまた凄い。
長年、通う常連の声に耳を傾けつつ、新しい客を迎え入れ、何人もいる若手をひとつのチームにまとめながら、総本山ともいえる大看板を守っている。
「けど、親方から“こうしろ”は一切言われていません。何も言われず、ただポンと肩を叩かれて“あとはよろしく”って(笑)」
名作があるから通いたくなる、ふたつの握りが示す『すし匠』の真価
江戸前の仕事をアップデートした結果、生まれたのは『すし匠』でしか味わえない握りの数々。代表する名物がこの2貫だ。
「おはぎ」はその形状から命名されており、赤酢のシャリをふんわり包むタネは叩いたまぐろ。
赤身の旨みが強い中落ちと脂の乗った皮ぎしを握る直前、丁寧に叩き、たくあん、ねぎと合わせている。食感は歯が要らぬほどに柔らかく、瞬時に解けていく。
口に入れれば、ただまぐろの美味しさだけが口いっぱいに広がっていき、たくあん、ねぎの食感が追いかける。残り香も美味しく、うっとりする。
まさに口溶けを味わう一品ともいえよう。
一方の「あん肝スイカ」はとろとろに柔らかい自家製あん肝が味の要。スイカの奈良漬はそれを受け止めるためにある。
海苔も、香りの出方で試行錯誤を重ねて、この幅に落ち着いたそうで、味のバランスに納得。
この計算し尽くされたバランスこそ『すし匠』の真価なのだ。
◆
以前、親方は「いい鮨職人に最も必要な資質は人間力」と語っていた。
客ときちんと意思疎通が図れ、来て良かったと思わせられるコミュニケーション力があるだけでなく、個々の魚と会話ができ、的確な仕事が施せる。勝又さんにはその力があると見抜いていた。
「この6年、自分なりにいろいろ考えましたが、今は守ることの凄みをひしひしと感じています」
重責を担う覚悟をさわやかに語る。
この脈々と続く人間力こそが、四谷への磁力にほかならない。やはり『すし匠』なくして、四谷は語れないのである。
■店舗概要
店名:すし匠
住所:新宿区四谷1-11 陽臨堂ビル 1F
TEL:03-3351-6387
営業時間:ランチ 11:30〜
ディナー [一部]18:00〜
[二部]21:00〜
定休日:日曜、祝日の月曜
席数:カウンター11席
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