2022年4月からパワハラ防止措置の義務化が大企業だけでなく、中小企業にも適用され1年が経った。

普段、職場上司の指示・指導方法に抱く不満。

それが果たしてハラスメントに当たるのかどうかの判断は難しい。

第3回は、あるベンチャー企業で実際に起きたパワハラ案件を取り上げる。

こんなケースの場合、あなたならどうする?

取材・文/風間文子

前回:就業後に若手社員3名がオンラインで密談。どうしても許せなかった上司を内部通報した理由




ケース3:創業5年目のベンチャー企業で起こった“悲劇”


50坪のオフィススペースには絶えず人が行き来しており、野原貴之(仮名・33歳)の頭のなかで顔と名前が一致する人間はほんの数人に過ぎなかった。

最初こそ必死で部下の顔と名前を覚えようとしたものだが、日に日に人が増えていき、次第に諦めた。

― 今や、自分が誰と仕事をしているのかさえわからない。

「野原さん、…野原さん?」

野原は自分の名前を呼ぶ女性の声に気づいて、ようやく我に返った。

当然、自分のデスクの前に立っている女性の名前も所属する部署もわからない。野原は、さりげなく女性が首から下げている名札を確認した。

彼女はシステム開発部の岡崎菜々子(仮名・25歳)。野原にとって入社時からの直属の部下だった。

「野原さん、顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」

自分の直属の部下の顔と名前すら忘れていたとは、とても言えない。笑って動揺をごまかす野原だったが、岡崎の報告を受けて再び青ざめた。

「それより先ほど広報部から問い合わせがあって、新製品の進捗をくれと、かなり焦った様子でしたよ」

広報部の部長からは新製品のリリースに合わせて事前キャンペーンを展開する旨が伝えられていた。

それに対して野原は、開発目処が付いたら自分から連絡すると約束していたのだったが、その新製品はすでに1週間前に完成していた。

「ヤバい、忘れてた!」

慌てて広報部のある別のフロアへと駆け出していく野原の背中を、岡崎は心配な面持ちで見つめた――。



野原が勤務するのは、自社SaaSプロダクトを扱う創業5年目のベンチャー企業だ。

もともとは大手機械メーカーのシステムエンジニアだった野原が、創業者であり社長でもある金本和也(仮名・35歳)に誘われ、転職したのは3年前。




入社当初こそ自社プロダクトの開発に携わっていたが、やがて実績が認められ、昨年からPM(プロダクトマネージャー)に昇進した。

一方、会社の業績は右肩上がりで、昨年度の売上は前年比300%を記録。社長の金本は、ここぞとばかりにベンチャーキャピタルから資金を調達し、事業拡大に取り組んだ。

おかげで野原のチームに配属される部下も日ごと増えていき、気がつけば、その人数は100人を超えていた。1人1人のタスク管理とフォローは、膨大な業務として野原にのし掛かっていた。

おまけに経営陣との会議では業績アップのための施策を求められ、本来の業務である自社プロダクトの品質管理も手を抜くことはできない。

所定の残業時間では仕事が終わらず、帰宅しても仕事。ようは、野原の業務量はとうに1人でできる限界を超えていた。

そんな状況のなかで今回の“悲劇”は起きる。


身を粉にして働いているのに、上司はいきなり目前で叱責…


新製品の事前キャンペーンは、何とか間に合わせることができた。

メディアからの問い合わせも殺到し、会社としては相当な手応えを感じていたことは言うまでもない。

しかし、リリースを直前にして新製品のシステムにバグがあることが発覚し、野原をはじめとするシステムエンジニア数人は会社に泊まり込んでの復旧作業に追われた。

連日にわたって始発で帰宅し、着替えてまた出社していく野原を見送る彼の妻はある晩、夫に泣いて懇願した。

「さすがに、これでは貴方の体が持たない!」

妻の言いたいことは野原にもわかった。とはいえ、彼としても何も考えずに働いているわけじゃない。

「君の気持ちもわかるけど、会社はいまが大事な時なんだ。

それに、今の会社は前の会社と比べものにならないくらいに高待遇なんだよ。その恩には応えないと…」

そうなだめても、妻は引き下がらなかった。よほど考えたうえだったのだろう。

「そんなの、貴方が潰れてしまったら何の意味もない!」

妻の想いを知った野原の頭に思い浮かんだのは、自分の上司である取締役兼システム部部長の牧野雄二(仮名・35歳)だった。

牧野は会社の創業メンバーの1人でもあり、彼のデスクは野原と同じフロアにあって声がかけやすい。彼に相談すれば、業務量を調節できるかもしれない。そう思ったのだった。

そうして野原は、無事に新製品がリリースしたことを見届けたうえで牧野に相談を持ちかけている。

しかし、“その場”に居合わせた他の社員たちは、野原が相談を持ちかけるなり、怒鳴るように叱責する牧野の様子を目撃していた。




「君は今がどんな時か、わかって言っているのか?

これくらいの業務量すら耐えられないなら、マネージャー失格だ!

そもそも君には『パッション』が足りない。いいか『パッション』だ。それがあれば無理だと思うことも絶対に乗り越えられるはずだ。

面接時の『一緒に上場を目指したい』と言った言葉は嘘か!

いいか、よほどのことがない限り休むな!」

翌日、野原は人事部に行き、虚ろな目でこう訴えたという。

「牧野部長から社員全員の前で罵倒された。パワハラだ」

さて、貴方はどうジャッジする?

解決編へ続く。


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次回は超仕事のできるスーパー上司のお話。ありえない要求に…!?



監修:株式会社インプレッション・ラーニング
代表取締役 藤山 晴久

全国の上場企業の役員から新入社員を対象とした企業内研修や講演会のプランニング、講師を務める。「ハラスメントに振り回されない部下指導法」 「苦手なあの人をクリアする方法」などテーマは多岐にわたる。