ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<05>
下川甲嗣(東京サンゴリアス)後編

◆下川甲嗣・前編>>リーチマイケルも絶賛!「姫野さんのジャッカルのように...」

「日本代表になりたいとは、まったく思っていなかった」

 今年の秋にフランスで行なわれるラグビーワールドカップ開幕まで、残り5カ月──。ジェイミージャパンのメンバーに選ばれるべく、日々激しいポジション争いが繰り広げられている。

 選手層の厚いFWのなかで、24歳ながら存在感を光らせているのがFL(フランカー)の下川甲嗣だ。若くして桜のジャージーを掴みながら、大学卒業時まで日本代表への興味はほとんどなかったという。

 令和の逸材は、どのように育ったのか──。若きラガーマンの足跡を追う。

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下川甲嗣●1999年1月17日生まれ・福岡県福岡市出身

── 下川選手は「ラグビーどころ」福岡県の出身です。まずはラグビーを始めたきっかけから教えてもらえますか?

「父が西南学院大学でラグビーをやっていた影響もあり、僕は4歳ぐらいから福岡・草ヶ江ヤングラガーズで競技を始めました。ラグビーを始めたというより、兄(桂嗣/元・慶應義塾大FBフルバック)について遊ばせてもらっていた......みたいな感じでしたね。

 習い事はラグビーしかやってなかったですが、野球もめちゃくちゃ好きでした。小学校時代は平日ほぼ毎日、友だちと野球をやって遊んでいましたよ」

── ラグビーでのポジションは、今と同じFWですか?

「中学校まではSO(スタンドオフ)やCTB(センター)をやっていました。でも、足がめちゃくちゃ遅かった(笑)。今は大学時代のトレーニングのおかげで、少しは出足も速くなったと思いますが......。

 当時はスクールの友だちのお父さんたちからは『(下川)甲嗣がボールを持ったらスローモーションに見える』と言われていたくらいです(笑)。高校からFWに転向したのも、それが理由のひとつでしたね」

── 中学時代のラグビーの成績はどうでしたか?

「中学時代はスクールのチームが強かったので、九州大会で優勝して太陽生命カップにも出場して準優勝しました。その後、全国ジュニアに向けて福岡県選抜のセレクションを受けたんですが......落ちました(笑)。

 その福岡県選抜には、今サンゴリアスで同期のFL箸本龍雅(東福岡高→明治大)やSH(スクラムハーフ)神田悠作(東筑高校→東洋大学→九州電力)、CTB(センター)鬼木崇(修猷館→慶應義塾大)などが選ばれて全国優勝していました」

── その頃は将来、日本代表になりたいと思っていましたか?

「まったく思ってなかったです。日本代表の試合も見ていませんでしたから(笑)。トップリーグですら、地元のコカ・コーラや九州電力の試合の招待券をもらった時に見に行く程度。あとは日本選手権をテレビで見るくらいでした」

── 高校に進学する時、福岡と言えばラグビー強豪校の東福岡が有名ですが、下川選手はお兄さんと同じ進学校の修猷館(しゅうゆうかん)を選びました。

「7つ上の兄が卒業生だったので、昔から修猷館に憧れていたんです。中学校の福岡県選抜に落ちてしまった悔しさもあったので、高校でもラグビーを続けたいとは思っていました。

 勉強を頑張って中学校の校内推薦をもらえたので、推薦入試でギリギリ合格することができました。東福岡に誘われることはなかったので、普通に一般受験して合格しました。もし修猷館に落ちたら、東福岡でラグビーを頑張ろうと思っていました」

── 修猷館は2014年、東福岡に勝利したこともありましたよね。

「僕が入学してすぐの県大会(準々決勝)でヒガシ(東福岡)に勝ったんです! 僕はまだ1年生だったので、その試合ではボールボーイをやっていました。

 その年の秋の花園予選決勝ではヒガシにボコボコにされましたけど、僕はNo.8のポジションで試合に出ました。そして2年生になった翌年、花園は記念大会でふたつ出場枠があったんですが準決勝で筑紫に負けて、3年生の時も準決勝で東海大福岡に負けてしまいました。

 福岡の高校生にとって、ヒガシにチャレンジできるのは大きな楽しみです。しかし、挑戦できずに高校ラグビーが終わってしまった。最後にヒガシと対戦するところまで行けなかったことは正直、心残りですね」

── 大学は慶應義塾大に進学したお兄さんと同じ道を歩まず、早稲田大に進学しました。

「高校3年時は現実的に時間がなくて(進学するのが)厳しかったので、浪人も覚悟しないといけないな......と思っていました。するとその時、早稲田大ラグビー部を指揮していた山下大悟監督(当時)から声をかけていただいたんです。

 早稲田大にも憧れがあったので、兄に相談すると『そんなチャンス、絶対にないぞ』と言われて(笑)。結果、スポーツ推薦で合格することができました。

 でも当時、体重は90kgくらいしかなくて、身長も今(189cm)より2〜3cm小さかった。正直、『山下監督はどこがいいと思ったのかな?』と思うくらいでしたね(笑)」

── しかし早稲田大では、1年生から試合に出ていました。

「1年生の春からNo.8(ナンバーエイト)で出場させてもらいました。そして2年生から4年生まではLO(ロック)。体もだんだん大きくすることができたので、大学3年時には齋藤直人さん(現・東京サンゴリアス)の代(4年時)に大学選手権で優勝することができました」

── 当時もまだ「日本代表になりたい」という気持ちは?

「全然なかったですね」

── それでもラグビーは続けようと思っていた?

「はい。ラグビーは好きでしたし、やりたくないという気持ちには全然ならなくて......。どこかの会社に就職して、どんな形であってもラグビーをやめたくないなと思っていました。でも、大学3年生で日本一になったくらいから『やっぱり社会人でもトップレベルで挑戦したい』と思うようになりました」

── サンゴリアス以外のチームからも声がかかったのでは?

「サンゴリアスも含めて4チームくらいから誘われました。1年生の頃から誘ってくださったチームもありました。トップリーグのチームから声をかけてもらえるチャンスは、みんながみんなあるわけじゃない......だからこそ、挑戦したほうがいいなと思うようになりました」

── 結果、東京サントリーサンゴリアスで社員選手として働きながらラグビーを続ける道を選びました。

「最後まで迷ったのは、東京のサントリーか、地元で働きながらラグビーを頑張るか......でした。ただ、高校時代に見ていたサントリーのラグビーは『かっこいいな』と思っていたし、一流選手が集まるチームだったので、自分も成長できるのではないかと。

 また、ラグビー選手を終えたあとの選択肢も考えると、サントリーでラグビーを続けながら仕事も頑張るのが自分にとって一番合っているのではないかと思いました。そう考えて、最後はサンゴリアスへの加入を決めました」

── サンゴリアスでは下川選手を含めて、若きバックローのポジション争いが激しいですね。

「バックローはほかのチームだと外国人選手が多いのですが、サンゴリアスでは日本人選手が頑張っています。箸本龍雅、山本凱(慶應義塾高→慶應義塾大)、そして今年は相良昌彦(早稲田実業高→早稲田大)も入ってきました。

 バックローのポジション競争は本当に激しいので、僕も負けていられない。自分のプレースタイルを変えるつもりはないので、どう強みを出していけるかフォーカスしています。ボールキャリーが孤立した時にどれだけ早く反応するか、どれだけハードワークできるかが大事です」

── ワールドカップに向けて意識して鍛えていることはありますか?

「フットワークを使って相手のマークをずらし、敵陣の裏に出ることは自分の強みだと思っています。その時、相手と1対1の正面で当たっても勝てるように、1kgでも1.5kgでも体重が増えるようにウェイトトレーニングをやっています」

── ラグビーファンには下川選手のどんなところを見てほしいですか?

「日本人のバックローらしく、泥臭いプレーをしつこく何度も繰り返す姿を見てほしいです。リーチさんと比べてワークレイト(仕事量)はまだ越えないといけないし、フィジカルでも劣っているので、誰にも負けないくらいに伸ばしていかなければなりません」

── 最後に、ワールドカップへの意気込みをお願いします。

「もちろんワールドカップに出たい気持ちはありますが、そこは今、あまり考えていません。まずはチーム内のバックローの競争に勝って試合に出ることが今のモチベーションになっています。

 また、それがワールドカップの選考への一番のアピール、近道にもなる。だから今は、そこだけにフォーカスしてやっています」

<了>


【profile】
下川甲嗣(しもかわ・かんじ)
1999年1月17日生まれ、福岡県福岡市出身。福岡・修猷館(しゅうゆうかん)高→早稲田大を経て2021年にサントリーサンゴリアスに加入。日本代表歴はジュニア・ジャパンやU20代表を経験したのち、2022年10月のニュージーランド代表戦で初キャップを獲得。ポジション=FLフランカー、No.8ナンバーエイト。身長189cm、体重106kg。