「春のセンバツ」に出場する神奈川県の慶應義塾高校は元祖Enjoy Baseballのスタイルで知られる。球児は丸刈りがほとんどだが、塾高は脱丸刈り。むやみやたらな声出しもせず、グラウンド入退時の一礼をしなくてもいい。スポーツライターの清水岳志さんが慶應義塾幼稚舎の教員でもある同校監督の森林貴彦さんに取材した――。

■「さあ、行こうぜ」「元気出そうぜ」は無駄なんです

塾高の練習風景はやはり静かだった。

開催中の甲子園のセンバツ大会、第4日目の第三試合に登場する神奈川県の慶應義塾高校(以下、塾高)。本番を控えた3月中旬にグラウンドを訪ねると、筆者が前回に取材したときとまったく同じ空気に包まれていた――。

3年前、ある雑誌の取材で訪ねた時と何も変わっていない。「静けさ」こそが塾高らしさなのだ。

東急東横線日吉駅、慶應義塾大学キャンパスの銀杏並木の奥に高校があって、校舎を突き抜け“マムシ谷”を降り、登っていくと金属バットで硬球を打ち返すカキーンという音だけが聞こえてくる。それ以外は何も聞こえてこない。

撮影=清水岳志
清原和博氏の次男・勝児内野手(2年)も注目されている。 - 撮影=清水岳志

前監督で昨秋まで慶大野球部コーチを務めた上田誠(65歳)が「声のない」理由を教えてくれた。

「私は慶大(野球部)の監督をしていた前田祐吉さんに誘われて塾高の監督になったんですが、ある時、大学の練習を見に行ったら、『静かに集中してやれ、余計な声はいらない』って前田さんが学生に言っているんです。『さあ、行こうぜ』とか『元気出そうぜ』とか、無駄なんですよ」

上田のあとを引き継いで8年になる現監督の森林貴彦(49歳)も当然、声出し否定派だ。

「選手間で必要な声は3つあると思います。『ゴロが来たらゲッツーね』という準備の声、『間に合わないから投げるな』という瞬時判断の声、『今のナイスボール』『ナイスバッティング』という評価の声。声を出すことが目的ではない。声を出して選手同士、選手とベンチの一体感、意識を共有すること。試合をうまく運ぶための会話をすることが大事です。

翻って、例えば練習時のキャッチボールで声を出すことが必要なのか。意味があるか。自分自身で考えてほしい」

意味のあることか否か。そこが肝だ。確かに誰かに出せと言われて出すことに何の意味もない。

「元気出そうぜ」といった声出しは、実は理にかなっていないと語った前出の上田はこうも言っていた。

「グラウンドに入るときに礼をする選手がいます。グラウンドは神聖な場所だから礼をする、と言いますが、教室は違うのか。教室に入るきにいちいち、おじぎをしませんよね。うちは各自の判断で、どっちでもいいんです」

礼儀や精神論重視のやり方とは一線を画す。それが昔も今も一貫した慶應スタイルなのだ。

慶應義塾高等学校 野球部 公式サイトより

■なぜNHKは“長髪”の塾高の映像を映さなかったのか

近年は、全国の多くの高校野球部が「自由・自主性」「エンジョイベースボール」といったことをうたっているが、元をたどればその根源は慶應だ。

1908年、慶大野球部がハワイ遠征をして日系人の腰本寿を連れて帰ってくる。腰本は大学でプレーした後に塾高の監督になって、第2回夏の甲子園(当時は中等学校選手権)に優勝する。

「腰本さんは日本の野球は武士道、修行みたいだから、もっと楽しくやろうと。前田さんが影響を受けて、エンジョイベースボールは慶應がやるべきもの、と今まで継承されてきた」と上田は言う。

撮影=清水岳志
上田誠前監督 - 撮影=清水岳志

エンジョイベースボールを端的に表しているのが頭髪だ。かつて、塾高が甲子園に出場して負けて引き上げるときに、ネット裏の観客から「髪の毛を切って出直してこい」とヤジられたそうだ。でも、そんなことで慶應生は一切ぐらつかない。このヤジ騒動から数十年経った今も、元選手たちは「当時から髪は長かった」と自慢するそうだ。

上田は塾高が代表校となったある甲子園大会開会式のNHKの中継録画を見て驚いたことがある。国旗掲揚の時だ。整列した代表校の選手が順番にモニターに映し出されていたが、慶應の順番になると突如違う画像に切り替わった。そして次の高校で元の画像に戻ったという。偶然なのか、それともNHKが丸刈り以外を放送禁止扱いしたのか。それはわからない。

上田は湘南高校から慶大野球部に進み、卒業後、英語教師に。最初の赴任校は神奈川県の桐蔭学園で野球部のコーチ・副部長を務めた。さらに公立校の監督などを経て、1991年秋から塾高の監督に就任する。

「県内の公立高校に行った時は、選手に髪の毛を伸ばしてプレーさせましたが、不評でした。(それまでの丸刈りと違う長髪だと)友達と街で会った時に恥ずかしい、と。親も怒っていたなぁ。試合をすると相手チームも嫌がるしね」

まだ、丸刈りが当たり前の頃だ。

1991年に塾高に移った時、部員は髪の毛は伸ばしていたが、厳しい上下関係は残っていた。

「(自分の出身校)湘南ではパワハラ的なことはされたことないし、監督は合理的な方だった。塾高のコーチになった時は、正座の説教はあったし、下級生はグラウンド整備を遅い時間までやっていた。どこかビクビクする中で野球をやるのはどうかなと思っていました」

そこで、新チームを預かるタイミングで監督に就任し、まず、緩くしようと提案する。

「1年生は体力がまだないし、早く帰って疲れを取るべきだし、宿題もしないといけない。だから体力のある上級生が整備をやろう」

塾高現監督の森林はこの提案をされた時、野球部の2年生だった。当時を振り返る。

「下級生は上級生の飲みたい物を買い出しに駅前まで行かされるし、(グラウンド整備で)最後まで帰れないし。そこに上田さんが監督になって、そういうのをやめないか、と。ガラッと変えてくれてうれしかったですね」

指導者も選手も、野球部の習慣を変えたいと思っていた奇跡的なタイミングだったのだ。

■慶應幼稚舎(小学校)の教員兼塾高野球部監督の二刀流

森林は上田が監督になっていなかったら、その後の野球人生は違っていた、と断言する。

慶大に進学しても野球部に入らずに、上田監督の下で母校・塾高の大学生コーチに就く。後輩たちの成長を見守り、夢の手伝いをすることに自身の存在意義を見いだした。

森林は今、塾高野球部の監督だが、本職は慶應幼稚舎(小学校)の教員だ。小学生と高校生を指導している。流行の言葉を使えば「二刀流」ということになる。

「片方をやっているからもう片方への相乗効果があるんです。小学生の良さと高校生の良さを毎日感じながらやれる。二刀流で多角的な視点でものを見られる。とてもいい経験をさせてもらっています」
「『球児』という言葉もあって、普通の指導者は高校生を子供扱いしてしまいがちです。私は小学生を知っているから、高校生を大人扱いしやすい。日々、対比しながら見ている中で、これくらいは任せられるとか、自分で考えられるはずだと高校生に接しています」

小学校教員をしている高校野球部監督……おそらく全国で唯一な存在。だからこそ、人材育成や組織マネジメントの方法や成果は、他の監督とはまったく異なるものになるに違いない。

撮影=清水岳志
監督を囲んで、円陣。塾高グラウンドにて。 - 撮影=清水岳志

もちろん、感謝は忘れない。

「いろんな人にサポートしてもらっています。監督面では学生コーチがいて顧問の先生がいる。幼稚舎でも、甲子園に行くなんていう長期の休みを取るときは担任代行に入ってもらっています。多くの方に支えられての二刀流ができているんです」

話を野球に戻そう。慶應の「自ら考える野球」「自主的に動く」という部分。上田の例えがわかりやすい。

「旅行に行くとして、個人ツアーとパッケージツアーのどちらを選ぶか。パッケージはスケジュールが組まれていて、何時にここに集合で添乗員さんがついてくれる。迷子にはならないけど、何線に乗ったか記憶に残らない。一方、個人旅行は目的地には何時にどういう移動手段がいいか自分で考える。個人旅行が楽しいだろって」

野球も同じだよね。森林もそう言われて合点がいったという。

「野球も、自分の野球を追求してほしい。監督に言われた通りの打ち方にして、それが面白いかと。自分がやりたくてやっている野球なのに、いつの間にか、言われたことだけをやっている。雨で練習中止になったら残念がってほしい。練習がますます楽しくなってきたというチーム、組織にしたいですよね」

自主性を大切に、などとあえて口に出すことは極力しない。

「自分で考える状況をつくるお膳立てをするのがこっちの役割かなと。教育って、教え育てるって書きますが、基本的には人は育つものだから。共に育つ“共育”だったり、協力して育つ“協育”の意味合いが強いと僕は思っています。

生徒の成長の邪魔をしない。良かれと思って教えているけど、もしかすると、逆に可能性を小っちゃくしてるかもしれない。曲げちゃっているかもしれない。教育者は自分の形やチームの伝統にはめたがる。それは間違いです。はみ出る人が世の中を変えていくわけで、こちらが予想できないような人物になってほしいんです」

■監督に従うだけではクリエイティブな力は養われない

3年前の取材時に「慶應だからこそ、二刀流を求めないといけない」と森林は言った。今回、改めて聞いてみた。

「文武両道と言いますが、文武双全という言い方がしっくりくる。二つを全うするという意味。その二つはつながっている。グラウンドで頑張ることは頭を鍛えることにもなる。

福澤諭吉先生も学者として理屈だけではなくて実学も伴わないといけないと説いています。両方やっていくのは学校の使命かなと。

スポーツなので勝利は求めますが、勝ちさえすればいいではなくて、社会貢献をして世の中にインパクトを残す。社会的意義があるような取り組みをしていきたいと常に考えています」

撮影=清水岳志
グラウンド整備はみんなで。塾高グラウンドにて。 - 撮影=清水岳志

侍ジャパンの活躍でWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は大盛況だった。しかし足元を見ると、国内では野球人口が減り続けていて、危機感を抱いている関係者は多い。

「野球界は旧態依然のことが多い。伝統だから続けていて、本当に必要なのか考えることを放棄している気がします。冷静に世間を見ている親世代は『野球は古い』と思っていて、野球に子供を預けない。野球というツールで人材を育てられるのか、かなり疑問符がついている。僕は相当な危機感を持っています。それを伝えていくことが慶應の使命。その自覚を勝手に持ってやっています。伝統校だから、新しいことにチャレンジシしなくちゃいけない」

そもそも高校野球の監督っていいことやっているのか。そんな原点を常に自ら問うているという。

「高校野球が生徒に何を与えられるのか。生徒は何を身に付けてくれているか。従来の体育会的な高校野球で監督の言うことに従って、横並びで悪目立ちしないことをよしとしたやり方で何か残ったのかなと。『甲子園に行きました』は素晴らしいことだけど、これからの人生、それだけでは食っていけない。身に付いたのは体力と礼儀だけではさびしい。野球を通じて、こういうことを学び、こういう人間になりました、と胸を張って言えるようになってほしい。

これからの日本を担うのは高校生を含む若い世代です。クリエイティブな力とか、失敗してもまた立ち上がる力とか、究極的には自分の幸せをとことん追求する力を付けてほしい。そのためには自分の頭で考えなきゃいけない。そう考えると、今の野球は逆行しているんじゃないかなって、不安です」

今春のセンバツに出場した全国36チーム中、丸刈りではなかったのは塾高を含む3チームだけ(香川県・英明、宮城県・東北)。

センバツの大舞台でルーツ校の思いは広がっていくだろうか。(文中敬称略)

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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーランスライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。
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(フリーランスライター 清水 岳志)