引退式での福永祐一騎手 (C)masamasa

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 2月末で騎手を引退し、1日付で調教師に転身した福永祐一技術調教師の引退が4日、阪神競馬場で行われ、多くのファンが駆けつけ最後の時を見守った。

福永祐一師、一問一答

●サウジアラビアでの騎乗、最後は海外での騎乗となりましたが、最後の瞬間鞭を置かれた時の気持ちはどうでしたか?
「本当にレース直前まではいつもと同じ感じで、レースに集中も出来ていましたし、あまり変わらないような状況だったんですけれども、やはりレースを終えて帰ってくるときには、競馬場で乗ることはこれが最後なんだなと思うと、やはり少し感慨深いものはありました」

●最後はサウジの空を見上げているような仕草も見受けられたんですが、その辺りの思いもあったんでしょうか?
「そうですね、はい。とてもキレイな空だったので。祖父のこととか色々思い返していましたね」

●チューリップ賞での誘導馬での騎乗についての感想をいただけますか
「本当にJRAの方々が色々考えてくださって、ああいう場を設けていただいて本当に良い記念になりました。自分が乗っていた馬の返し馬とかも近くで見れましたし、なかなか得がたい経験をさせていただきました」

●今の(27年間の騎手生活をまとめた)映像を見て、騎手人生27年間、今どのように振り返られますか?
「あっという間ではなかったです。本当に色々ありました。でも一番思ったのは、デビュー戦の映像を久しぶりに見ましたけど、ほんとセンスの欠けらも無いなと改めて思いますね(笑)若いジョッキー沢山いると思いますけど、みんな自信持ってやっていってくれたらいいなと思います。本当にめちゃめちゃ下手でしたね(笑)」

●注目を集め続けた20代、悔しい思いもあった30代、花開いた40代、そして次のステージへ。本当に時代時代で色んな思いがあるかと思いますが、どうでしょう?
「20代はとにかくどうやったら勝てるかっていうことしか考えてなかったですね。毎日そのことを考えて生活していましたし、30代は自分の技術を見つめ直して、どうやったら上手くなれるのかっていうことを中心にやってきた年代でしたね。コーチとの出会いもありましたし。藤原厩舎との出会いもあって、本当に自分の技術を改めて見つめ直していたのが30代で。40代からは本当に競走馬についてより深く考察するっていう年代だったと思います。そういったものが20代、30代で積み重ねてきたものが、40代で花開いたのかなとは思います」

●その騎手人生のスタートには、やはり家族とも言うべき、そして師匠とも言うべき北橋先生との歩みもあったと思います。この辺りの思いを教えていただけますか
「小さい時からうちは父親の介護で家族がみんな手かかってましたから、僕は2歳で生まれたばかりの妹はいましたけど、外食だったりとか動物園連れて行ってもらったりっていうのは、うちの家族はなかなか難しかったので、それを代わりにしていただいたのが北橋家だったので。そういったところから長く、騎手になってからもそうですけど、家族と同等、いやそれ以上の関係性を築かせていただいています」

●本日はコントレイル号での勝負服でのこのステージになりました。この名馬との出会いも最後に一つ教えていただけますでしょうか
「僕はもうジョッキーのキャリアの最後の方で切望していたのは、スターホースとの競馬誌に名を残すような馬との出会い、ただそれだけだったので。本当に自分のその最後の願いを叶えてくれたのがコントレイルでした」

●シークレットでのお二人(野村忠宏さん、市川團十郎白猿さん)の(メッセージ映像での)ご登場でしたが、どのようにご覧になりましたか?
「野村さんは本当に長いですね。結構長い間親しくさせていただいていて、今日も見に来ていただいていて、さっきまで話していたので、なんかちょっとビックリしましたけど。團十郎もほんと長いですし、エピファネイアでダービー負けた時に一緒に泣いてくれたりもしてましたしね。なんか色々思い返しますね。本当に嬉しいです、こうやってメッセージを寄せてくれて本当に感謝しています」

【写真】福永祐一騎手 引退式「幸せな騎手人生でした」
引退式での福永祐一騎手 (C)masamasa

●福永ジョッキーからファンの皆様へ最後のご挨拶です
「本当に今日は沢山の方に来ていただきまして、本当にありがとうございます。思い返すと色々あるんですけれども、福永洋一の息子として生まれてこなければ騎手の道を選ぶこともなかったですし、豊さんの存在が無ければ、またやっぱり騎手の道を志すことも無かったです。母親に対しては本当に全く競馬に興味がなかった自分が急に騎手になるっていうことで、ほんと驚かせましたし、本当に辛い思いをずっとさせ続けてきたなと、27年こんな親不孝はないなと思いながら続けてきましたけど、最後こうやって怪我はありましたけど、健康な状態で引退することが出来てようやく長きに渡った親不孝を終えることが出来て本当にホッとしていますし、本当に申し訳ない気持ちでもいます。僕は本当に福永洋一と北橋修二先生とその二人の作品だと思っています。ジョッキーとしては、本当に北橋先生には出来が悪くて本当に迷惑をかけてしまいましたけども、沢山の人が支えてくれたおかげで、これだけの勝率を積み上げてくるとこが出来ました。本当に僕は先ほどファンの方のメッセージにもありましたけど、努力の天才だって言って下さる方いますけども、僕が努力出来たのは本当に沢山の方が支えてくれたので、その方々の思いに報いるためには、自分は頑張ることしか出来なかったので、本当に思うような結果、もっともっと本当は勝たなければいけないぐらい応援してもらいましたけど、本当にそういった方々の期待に応えられたかどうかは最後まで分かりませんけれども、一生懸命真面目に勤め上げることしか自分は出来ませんでした。騎手としてはこの3月まで27年のキャリアを続けさせていただきました。これからは調教師として、全く一から福永祐一としての調教師としてのキャリアを積み重ねていこうと思っています。ようやく二人の元から巣立つことが出来たのかなと思っています。本当にデビューした時から本当に多くのファンの方にも応援していただいて、最後もこれだけ数多くの方に残っていただいて、本当に幸せな騎手人生でした。自分にはすぎた騎手人生でした。これから沢山応援していただいた方々の思いにまた応えていくためにも、競馬ファンの皆さんが皆さんに応援してもらえるような馬を、またこの競馬場に送り出していきたいなと思っています。東京競馬場でも言いましたけど、最高の騎手人生でした。本当にありがとうございました」