荒木絵里香さんが現役引退後に大学院進学を決断した理由とは【写真:窪田亮】

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THE ANSWER的 国際女性ウィーク4日目「女性アスリートのライフプラン」荒木絵里香インタビュー後編

「THE ANSWER」は3月8日の国際女性デーに合わせ、さまざまな女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を今年も展開。「スポーツに生きる、わたしたちの今までとこれから」をテーマに1日から8日までアスリートがインタビューに登場し、これまで彼女たちが抱えていた悩みやぶつかった壁を明かし、私たちの社会の未来に向けたメッセージを届ける。4日目はバレーボール日本代表で五輪4大会連続に出場した荒木絵里香さんが登場する。

 テーマは「女性アスリートのライフプラン」。生き方の多様化が進み、さまざまな人生設計ができる現代社会。荒木さんはスポーツ界において、それを象徴するようなキャリアだ。海外挑戦も経験した現役時代、結婚・出産を経て、バレーボール界の第一線で長年活躍。2021年東京五輪を最後に引退した後は、大学院に通い始めた。後編では大学院進学を決断した理由、女性アスリートのライフプラン構築の課題について思うことを明かした。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 2021年東京五輪を最後に引退した荒木絵里香さんが踏み出した一歩は「大学院」だった。

 現在は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科のエリートコーチングコースに通う1年生。「もう授業はほとんど対面ですね。1限の時は小学校がある娘より早く家を出ています(笑)」。自宅のある千葉から東京・東伏見まで片道2時間かけて通い、学びの日々を送る。

 成徳学園(現・下北沢成徳)で全国3冠を達成した高校時代、進学の希望があった。しかし、日本代表に近い実力もあり、より高いレベルを求めて実業団入り。早大ラグビー部出身の父、体育教師の母から「大学はまたいつでも行ける」と言われたことも大きかった。

 ただ、結婚・出産を経て、五輪4大会に出場しても“学び直し”の想いは薄れることがなかった。

 バレーボール界の先輩である吉原知子さん、多治見麻子さんが大学院に進学。「こういう選択肢があるんだ」と知り、いつかは自分も……と姿を重ねた。現役引退から半年、「今までバレーボールの現場でしか社会の経験も知識もない。大学院に進学して研究し、次のステップに進んでいきたい」とセカンドキャリアの第一歩に選んだ。

 早大でバレーボール部の監督を務める松井泰二教授のゼミを志願。研究テーマに「ブロック」を掲げた。Vリーグで8度のブロック賞を受賞した代名詞に、学術的にアプローチすることを目標に志望動機、研究計画を提出。面接を経て、2022年4月、37歳で学生になった。

 瞬発的動作の「ブロック」も経験やセンスで片づけてしまえばそれまで。「選手時代に“暗黙知”として言語化できず、人に伝えられなかったものを“形式知”として言語化し、誰かに伝えられる形にしていきたい」。言語化力が単に研究のみならず、社会生活やビジネスの場で汎用されるのは言うまでもない。

「でも、本当にゼロからのスタートでした。私自身、大学も行っていないし、いきなり大学院となっても、パソコンすらバレーボールの映像を見ることでしか使ったことがありませんでした。書類を書いたり資料を作ったり、ましてプレゼンしたりなんて今までの人生になかったことなので……」

 エリートコーチングコースに在籍しているのは、年齢も競技も異なる5人。一緒に学ぶ中で多様な価値観に触れる。

 社会というくくりで見れば、スポーツの一競技の世界は広くない。「この競技はこういうことが常識なんだ、こういうことが問題なのかと知ることができて、すごく勉強になります。バレーボールの何が良い点だったのか、問題だったのかを客観的に見ながら学べることが日々新鮮ですね」と充実した毎日だ。

理事を務めるママアスリート支援団体「MAN(マン)」の理念

 代表主将、海外挑戦、産後復帰、社会人進学……。「ひと通り、いろんな経験はさせてもらった」という荒木さんはスポーツ界の後輩からキャリアについて、さまざまなアドバイスを求められる。女性アスリートのライフプランに課題も感じる。

「一番は、そもそも選択肢があることを知らないし、想像もできない。まずはこんなことをやっている人が実際にいると知ること。できる・できないは置いておいて、知ることがすごく大事。じゃあ、いろんな選択肢もある中で、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかを考えることが必要だと思います」

 その中で力を入れているのが、一般社団法人「MAN(マン)」の活動だ。

「Mama Athletes Network(ママ・アスリート・ネットワーク)」の頭文字を取ったママアスリートの支援団体。子供を持つアスリートが集まり、子供を持つアスリート、これから子供を持つことを希望するアスリート、指導者・トレーナーらの競技関係者を支える情報発信、ネットワーク構築を目的に設立された。

 クレー射撃で5大会連続出場した中山由起枝さんが代表理事を務め、サッカー・岩清水梓選手、陸上・寺田明日香選手ら、現役のママアスリートが賛同。荒木さんは理事として「妊娠・出産・育児というライフイベントと競技を両立する選択肢があることを伝えることができれば」という活動理念を実現すべく奮闘中だ。

「みんな子供を持ったアスリートなので、話しているとここでしか言えないような悩みが多い。そういう課題を共有して『この人も一緒なんだ』『じゃあ、自分も頑張ろう』ということを発信し、活動を発展させていく段階。(ママアスリートは)やっぱり少数だから、他競技はこうなんだと知ることで励まされ、刺激になります。

 よく話題になるのは、合宿などで離れる時の子供の反応や自分の心の整理の付け方。逆に、子供がこんなリアクションしてくれたよ、という話題もあります。もう成人するくらいのお子さんがいる人もいらっしゃるので、子供は結局こうだったよ、みたいな意見や体験を聞くと、まだ赤ちゃんの母親にとってはありがたいんです」

 活動に尽力する背景には、ママアスリートとして現役時代に体験したことも影響している。

 働いているお母さんたちから「エネルギーをもらった」という声が多く届き、荒木さん自身のエネルギーになった。一方で「子供を家に置いて、なんでスポーツなんてやってるんだ」と言われたこともある。

「だから、社会全体がいろんな“こうあるべき”にとらわれず、みんなが温かい目で見守ってもえらえるとうれしい。家を空けるにしても父親なら何も言われないけど、母親なら驚かれるのは、そもそもおかしいよねと。それぞれの家庭の形がある。それに、今はこの問題に対して、ちょうど社会が変化してる時。今まであまり注目されなかった部分でしたが、女性の社会復帰をみんなで考えていこうというタイミングだと思うので、アスリートにとってもすごくいい機会に感じています」

 ただ、女性やアスリートの環境改善ばかりを訴えたいわけではない。育児は男性も女性も協力して行うもの。例えば、スポーツ界ではJOCのナショナルトレーニングセンター(NTC)にある託児所は女子選手が対象といい、「なんでママアスリートしか使えないの?」の声を聞いた時、はっとした。

 一番は職業や性別に関係なく、誰もが悩まない環境になること。だから、社会の一部であるアスリートも求めるばかりではなく、自覚が必要になる。

「出産していなくても大変な現役選手も当然います。現段階では、難しいところですが、競技者として一定の結果を出している、あるいは社会的な影響力があるアスリートじゃないとサポートする側も難しいかもしれない。将来的にはそういうことも関係なく、現役を続けたい人が、当たり前のように続けられる環境ができたらいいなと思います」

女性アスリートのライフプランに「もっと選択肢が増えていったら…」

 女性アスリートのライフプランをテーマにしたインタビュー。「もっと彼女たちの選択肢が増えていったら……」というのが、荒木さんの未来への願いだ。

「アスリートをしながら大学に進学する、結婚する、出産する……何か一つを選ばなくても、いろんなことが並行してやることができる。その選択肢から、なりたい自分、ありたい自分をアスリート自身が決断できる仕組みであることがいいなと思います。

『MAN』も賛同アスリートが増えてきて、次の若い女性アスリートに対して、こんなライフプランもできると示す形作りを練っています。それは月経など女性の体の問題も全部が繋がっていく。そういうところも伝えていくような活動をしていきたいですね」

 いわゆるデュアルキャリアを歩んできた荒木さん自身、一つの選択にとらわれないアスリートのロールモデルになるだろう。

 今年で39歳になる。不惑という節目が目前。9歳の娘の子育て、大学院の研究、「MAN」の活動のほか、バレーボールの解説業、Vリーグ・トヨタ車体クインシーズのチームコーディネーターなど活動は多岐にわたるが、家族との時間を大切にしながら、自分をもっと成長させていくつもりだ。

「まずは大学院を修了すること。加えて、まだまだやってみたいことがたくさんあるので、一つずつチャレンジしていきたい。例えば、私は英語ができないので、語学の勉強を始めて身につけたいし、指導者のライセンスを取得することも挑戦していきたいです。

 そして、自分が今まで経験してきたこと、学んできたことを伝え、今のアスリートたちがより良い環境になるようにお手伝いしていくことも自分の使命の一つかなと思っています。そういう活動もバレーボールと並行しながら、やっていければ幸せです」

【バレーボール・荒木絵里香さんが「新たな一歩を踏み出すときに大切にしていること」】

「迷ったら自分がワクワクする方を選択することです。私が結婚・出産する時も、選手として充実した時期だったので、正直すっごく迷いました。でも、このキャリアを1回ストップして出産する方がワクワクしたから決断できました。楽しいことって、笑っていることだけが“楽しい”じゃない。人から見たら大変だったり、『何やってるの?』と思われたりすることも含めて、丸ごと楽しめたら最高なこと。そこは自分の捉え方ひとつ。もし何かに新たなことにチャレンジしたい人がいるなら“こうあるべき”“こうでなきゃいけない”にとらわれないで、自分は本当にどうしたいのか、どうなりたい、どうありたいか……自分の本当の声に従って挑戦してほしいと思います」

※「THE ANSWER」では今回の企画に協力いただいた皆さんに「新しい一歩を踏み出す時に大切にしていること」「今、『変わりたい』と考えている女性へのメッセージ」を聞き、発信しています。

(THE ANSWER的 国際女性ウィーク次回は「女性アスリートとメイク」、パラ陸上・中西麻耶が登場)

■荒木 絵里香 / Erika Araki

 1984年8月3日生まれ。岡山・倉敷市出身。小学5年生からバレーボールを始める。成徳学園高(現・下北沢成徳高)では同級生の大山加奈らとともに高校全国3冠を達成。卒業後の2003年にVリーグ・東レアローズに入団した。1年目に日本代表デビューすると、2008年北京五輪に出場(5位)、2012年ロンドン五輪は主将として女子28年ぶりの銅メダル獲得に貢献。2013年に元ラグビー日本代表の四宮洋平さんと結婚、出産を経て2014年に復帰した。2016年リオデジャネイロ五輪(5位)に続き、4大会連続出場した2021年東京五輪(予選リーグ敗退)を最後に現役引退。VリーグでMVP2度、ブロック賞8度、歴代最多得点、最多セット出場数など。現在はトヨタ車体クインシーズのチームコーディネーター、バレーボール解説者などを務めながら、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に在籍。身長186センチ。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)