国枝氏とホンダにどんな関係があった!? 「クルマは必需品」と語る元プロ車いすテニス選手の想いとは
国枝氏が語るホンダ、そしてクルマとの関係性とは
2023年1月に現役引退を表明した元プロ車いすテニスプレーヤーの国枝慎吾氏。
同年2月12日にはホンダウエルカムプラザ青山にてスペシャルトークショーが行われましたが、引退を発表されて一躍時の人となった国枝氏からどのようなトークが飛び出したのでしょうか。
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ホンダは、ホンダウエルカムプラザ青山にて「福祉車両企画展示”Hondaハート Joy for Everyone”」を2月1日から13日まで開催していました。
会場には、展示車両として「ステップワゴン 車いす仕様車」、「ステップワゴン サイドリフトアップシート車」、「N-BOX 車いす仕様車」、「フィット テックマチックシステム」など多数の福祉車両が展示されました。
期間中の12日に行われたトークショーでは、ホンダの「すべての人に移動する喜びを提供し、夢の実現に貢献したい」という想いと、プロ車いすテニスプレーヤーとして活躍した国枝氏に「夢の実現に向けた努力とチャレンジすることの素晴らしさ」というテーマでトークが繰り広げられました。
ーー ホンダと国枝氏はどのような関係なのでしょうか。
ホンダさんとは本当に長い関係で、ぼくがプロに転向したときからスポンサードしてくださっています。
2007年に情熱大陸でぼくが運転している姿が放映されたのですが、その時に乗っていたのが「オデッセイ」だったんです。
その時にホンダさんの上の方の人達が見てくれたのかなと思っていて、その後お声がけをいただいてスポンサーになっていただいたという関係です。
ーー 国枝氏にとってクルマとはどのような存在ですか。
クルマは車いすの方にとって必需品だと思います。
18歳の誕生日くらいの時に免許をとったのですが「とにかく自分自身で動ける」という環境を欲していましたね。
その当時はまだ、電車を使ってもエレベーターが無かったりなどと、人の手を借りないと動けないっていう時代でもあったので。
電車よりもクルマの方が圧倒的に利便性は高いので、今でも移動の99%がクルマですし、やっぱり電車の何が面倒かというと、いちいち出口を調べないといけないんですよ。
その目的地にエレベーターがなくて階段しかないという状況が結構あるので。今は都内であればエレベーターがありますけど、最終目的地に行こうとすると結構遠回りしないといけない場面がある。
あとは雨。雨は車いすユーザーには結構大変で、傘をさしてこげないので、どうしてもカッパを着てという感じになってしまうので。そう考えるとやっぱりクルマなんですよね。
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今回、手で全ての操作ができるフィット テックマチックシステムに乗車したといい、その感想について国枝選手は「フィットはかっこよかったし、よくレンタカーで借りるんですが、後ろに荷物も載るし乗りやすかったですね」と語っていました。
国枝氏がテニスを始めたきっかけ…そして引退を決意した理由は?
ーー テニスをやるきっかけにはどのような背景がありますか。
新しいことにチャレンジするっていうよりも、皆さんがスポーツを楽しむように、ぼくもスポーツをしたかったからテニスをたまたまやっているだけで、そもそも(最初は)そんなにテニスをしたくなかったんです。
子供の頃は少年野球をやっていたので、いつか野球選手になってやるという気持ちでやっていて、テニスは、僕の中では伊達公子さんがアイコンだったので、「女性のスポーツ」という印象があったんですよね。
「あんまり気乗りしないなぁ」っていう中で、たまたま家から30分くらいのところにテニスクラブがあって、そこでは、当時から車いすテニスのレッスンがあったんです。
そんな民間のテニスクラブって世界中探してもそこしかなくて、家から30分のところにあるなんて最初の運命でしたね。
当時スラムダンクが流行っていて、みんなバスケ部に入る中、ぼくもそれに混ざりたかったんで、夕焼けチャイムがなる中でずっとバスケをやっていました。
車いすバスケがやりたかったんです。でも車いすバスケのチームが家から1時間半くらいかかった。
少し遠かったので、母がテニスクラブに連れていったっていう経緯があって、行ってみたらテニスの概念がガラっと変わりました。
「こんな激しいスポーツだったの?」ってところと、車いすの人達とも初めてそこで出会って、自分たちでクルマに乗ってテニスクラブに行ったり、車いすを自分たちで載せて、降ろしてというところを見て、「あ、車いすでも全然一人で生きていけるじゃん」って思ったんですね。そこで彼らからすごく大事な何かを学んだと思いますね。
ーー 引退を決意した理由をおしえてください。
パラリンピックの東京開催が2013年に決まってから、コロナで1年延びて、8年を費やしました。
8年分の想いがこもったのがあの舞台だったので、金メダルを取れて燃え尽き症候群も経験しました。
でも2022年はウィンブルドン(選手権)が残っている状況だったので、それに向かって、「なんとかそこまでは」という気持ちでやり、その想いが実ったのか、最終的にそこで優勝できて、芝生のコートでみんなと抱き合ったときに「もうこれで引退だな」と口に出たときに、もう十分やり切ったといえるテニス人生だと思いました。
アスリートって野心を持っていないといけないと思うんですよ。それがぼくの中から消えてしまったんですね。
この感じのままプレーするのは、自分が今までやってきたことに反するので、ラケットを置く決断をしました。
ーー 現役を引退してから気持ちの変化や変わったことはありますか。
朝起きてから身体の調子をチェックしなくなりましたね。現役のときより、よく眠れるようになりました。
現役時代は大会が迫ってくるとストレスを感じていたし、眠れなかった。そこからは解放されましたね。
朝ごはんとかも、9時半くらいまで寝てしまったときは、「もう食べなくていいや」という感じになってきましたね。
現役中は食べることも仕事だったので、「食べるっていう仕事も、今はしなくていいや」という気持ちになっていますね。
あとは、自分に「俺は最強だ」という風に言わなくなりましたね(笑)。
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最後に、夢を追いかけてチャレンジする人達に国枝氏は次のように語っていました。
「僕自身、何かにチャレンジしているときが一番楽しい。これからもそうありたいと思っています。
失敗も今まで何度もありましたが、間違ったらやり直せばいいし、戻ってくればいいと思っているので、とにかくなんでもやってみるということがキャリアを通して学んできたことです」