決勝で利用されるルサイル・スタジアムは8万人を収容できるカタールで最も大きなスタジアムだ(写真:Christopher Pike/Bloomberg)

中東が初めて舞台となったサッカーワールドカップ(W杯)がペルシャ湾岸の小国カタールで11月20日開幕した。23日夜には日本の初戦も控えており、日本でも一気に関心が高まると思われる。が、きらびやかな会場での盛り上がりの一方、大会の費用や出稼ぎ労働者などをめぐって欧米から批判も出ている。

今回の大会は「最も高額なW杯」と騒がれており、大会開催の推定関連支出は、2018年のロシア大会にかかった費用の約20倍に当たる2000億ドル(約28兆円)や3000億ドル(45兆円、フランスAFP通信)との数字も。世界第3位の埋蔵量を誇る天然ガスや石油の資源を背景に、スタジアム建設やメトロなどのインフラ整備に惜しげもなく膨大な経費が投じられた。

AFP通信によると、スタジアムの建設に65億ドル以上、無人運転のメトロシステムに360億ドルなどの費用がかかっている。2014年のブラジル大会の費用は推定115億ドルだったことを鑑みると、カタール大会は桁違いだ。

世界トップクラスの「金満国家」

ペルシャ湾岸諸国はカタールのほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などで脱石油を見据えた経済、社会の改革が進められており、カタールのW杯支出も「インフラ整備のための支出の多くはカタールの2030年成長プランの一環であり、W杯のために前倒しされた」(ジョージタウン大学カタール校の研究者)という。

カタールは、秋田県よりも少し小さい面積で外国人居住者を含めた人口は約280万人。カタール人に限ってみれば、30万人弱という規模だ。1人当たりのGDP(2021年のIMF推計)は約6万2000ドルだが、多くのカタール人の所得は1000万円超で、電気代や医療費、教育費など生活関連の費用の多くが無料だ。サウジは世界最大級の産油国だが、人口も多いために所得という面で見れば、カタールは世界トップクラスの金満国家と言える。

一方で、W杯に向けたスタジアムやインフラ整備で実際の労働力となったのがインドやパキスタン、ネパールなどの海外からの出稼ぎ労働者だ。湾岸産油国はどこも移民労働者で経済活動が支えられているが、カタールでも月数百ドルという低賃金労働で、酷暑の中で命を落とす者もおり、人権問題の存在が指摘されている。「恥のスタジアム」(英紙ガーディアン)との見出しで伝える海外メディアもある。

ただ、カタールでのW杯開催が決まって以降、海外からのカタールの移民労働者をめぐる実態が注目されたこともあり、2020年には、労働市場に関連した複数の法律が導入されるなどの改革が進展した。

「カファラ」という雇用者が保証人となり、仕事を提供してビザの発給も受けられる制度は、雇用者側に有利と批判されてきたが、これは廃止され、労働者は契約終了前でも自由に転職できるようになった。さらに、国籍を問わずにすべての労働者に対する同一の最低賃金も定められたほか、雇用者側は住居や食事についても費用負担を求められることになった。

在ドバイの経済関係者は「カタールの移民労働者の問題に脚光が集まったことで、ほかの湾岸諸国よりも改革が進んだことは間違いないだろう」と指摘する。

ただ、国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は、こうした改革を歓迎しながらも、「改革は労働者の権利を守るためにはひどく不十分であり、法的にもあまり履行されていない。W杯開催に向け、厳しい視線が向けられたにもかかわらず、移民労働者は賃金に関する不当な扱いや法外なリクルート費用という問題に直面している」と指摘。移民労働者の死は十分に調査されず、遺族も補償を得られていないと批判している。

6500人以上が死亡したという報道も

ガーディアン紙は2021年2月、インドとパキスタン、ネパール、バングラデシュ、スリランカからの移民労働者6500人以上が、カタールW杯開催が決まった2010年から2020年の間に死亡したと報じている。政府や現地大使館の数字を集計したもので、移民労働者が多いフィリピンやアフリカ諸国などの数字は入っていない。

これに対し、カタール政府は病気や交通事故などによる死者も含まれており、不正確だと反発。W杯開催に向けた整備事業での死者は3人にとどまっていると主張し、移民労働者の権利を擁護する法制度も充実させてきていると訴えている。

数字に極端な乖離が生じたのは、労働に関連した死と認定する難しさがある。労災であるなら遺族に補償金を支払う必要が生じるため、カタール政府も企業も、労災認定に消極的という背景がありそうだ。

例えば、酷暑の中で歩いて十数階の高層ビルの建築現場で、30〜50キロ入りのタイルを運んだという移民労働者の体験談などが伝えられているが、米CNNは、米ニューヨーク大教授の話として、暑さに関連した死は、明確に死因を特定するのが難しいと紹介している。

このため、建築現場で暑さのために倒れて亡くなった労働者の死因が、病気や自然死とされるケースが少なくない。さらに、帰国後、数年経った後に臓器や心臓の不全という形で、暑さにさらされたことに伴う後遺症が出てくることもあるというが、こうしたケースも関連性があるとはみなされていない。 

国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長は開幕前日の19日、カタールの人権問題に対する西側諸国の批判は「偽善」であり、湾岸地域で画期的と称賛される労働条件、安全面の改革を実行してきたと主張した。

アムネスティ・インターナショナルとHRWは、W杯開催の準備期間中に死亡したり、負傷したりした移民労働者やその家族に対する補償基金の新設を求めてきたが、カタール政府やFIFAは、人権団体の動きは売名行為であり、既存の枠組みが存在するとして要求を拒否した。 

カタールW杯はこのほかにも、LGBTQ(性的少数者)への差別や、女性の権利侵害、アルコールの販売でも海外メディアに格好の攻撃材料を与えてきた。アルコール販売は、開幕の2日前になって一転して方針が変更され、会場周辺での販売が禁止された。

こうした話題が多く取り沙汰されたのは、文化的な価値観の違いが存在するためであろう。カタールはイスラム教国であり、シャリア(イスラム法)に基づいた法律や制度、また伝統的な文化や習慣で、国家や社会が運営されている。

海外メディアの洗礼で改革進展も

欧米メディアの主張に対し、インファンティーノ会長は、ヨーロッパの植民地支配の歴史や、基本的に移民の流入を阻止しているヨーロッパの政策を引き合いに、ダブルスタンダード(二重基準)だと批判している。インファンティーノ会長が指摘するように、欧米諸国による批判はカタールや中東の実情や文化を軽視した面があることは否めない。

女性の人権や飲酒、LGBTQなどもイスラム的な価値観からサウジやイランなどでは制限されており、カタールが例外的にひどいわけではない。サウジやUAEでも改革が進むものの、移民労働者の権利はまだまだ十分とは言えない。

W杯開催を通じて、移民労働者などの扱いに厳しい視線が注がれたカタールは、海外メディアの厳しい洗礼を受けた形で、結果的にほかの湾岸諸国よりも改革が進展することになるだろう。

(池滝 和秀 : ジャーナリスト、中東料理研究家)