戦艦「武蔵」が竣工した日-1942.8.5 世界最大級 2隻目の「大和型」
80年前の8月5日、日本最大の軍艦「武蔵」が竣工し、臨戦態勢に入りました。
日本戦艦の集大成的な存在
戦艦「武蔵」の甲板(画像:アメリカ海軍)。
1942(昭和17)年の8月5日。旧日本海軍の戦艦「武蔵」が竣工しました。「武蔵」は「大和」と並び、戦艦のなかでは世界最大といわれています。
1921(大正10)年にワシントン海軍軍縮条約が締結されてから、旧日本海軍は戦艦を実質的に建造できなくなりました。15年以上の沈黙ののち、軍縮条約からの脱退を機に、海軍は再び戦艦を建造し始めます。それが「大和型戦艦」と呼ばれる巨大戦艦で、「武蔵」は「大和」につづく2隻目の大和型戦艦でした。
当時の技術の粋を投入し、火力や航行性能だけでなく、居住性や各種設備もそれまでの戦艦とは段違いでした。当時は珍しかった冷房や、エレベーターも備えていました。いっぽうで実戦の機会がなかなか訪れず、停泊を続ける様子に「武蔵屋旅館」呼ばわりされることもあったそうです。
「武蔵」が本格的な実戦に参加したのは1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦、そして10月に起きたレイテ沖海戦でした。マリアナ沖海戦では「大和」とともに空母群に先立ってアメリカ軍と対峙しましたが、アメリカ軍は後方へ回り込んで空母を次々と爆沈させてしまいます。
つづくレイテ沖海戦では「大和」とともに遊撃部隊として配備。フィリピンのレイテ島に上陸しようとするアメリカ軍を海側から攻撃するべく向かいますが、途上のシブヤン海でアメリカ軍の爆撃に遭い、沈没。竣工からわずか2年3か月で、その短い生涯を閉じました。