Uボートを振り切った! 空母に改造デカすぎてムリ! 欧州“超速豪華客船”たちの第2次大戦
第2次世界大戦前のヨーロッパと北米大陸を結ぶ北大西洋航路は、ヨーロッパ各国がしのぎを削る「決戦場」でした。そこに投入された優秀商船は第2次世界大戦でも重用されます。なかにはドイツ潜水艦の追撃すら振り切った船もあったそうです。
北大西洋ブルーリボン争奪戦の行方
第2次世界大戦後に旅客機が投入されるまで、北大西洋航路は豪華客船同士がその快適性や速度を競う場でした。最も高速の船舶に与えられる「ブルーリボン賞」は、国家の面子をかけた競争へと発展し「北大西洋ブルーリボン争奪戦」と呼ばれます。
ドイツは1929(昭和4)年に5万1656総トンの巨船「ブレーメン」で平均速力27.92ノット(51.7km/h)を記録し、イギリスからブルーリボンを奪います。同船は1933(昭和8)年に平均速力28.51ノット(52.9km/h)へ記録を伸ばしました。この船には水上機が搭載され、郵便物を一刻でも早く届けるサービスも行われていました。
イギリスの客船「クイーン・メリー」。徴用されたのち船体を灰色に塗装したことで「灰色の幽霊」という異名が付けられた(画像:アメリカ海軍)。
そんな「ブレーメン」は、第2次世界大戦開戦時にニューヨークを緊急出港し、高速を活かしてドイツ本国に無事帰還しています。その後、1隻で1個師団(約1万人)を収容可能な優れた輸送力を発揮して、イギリス本土上陸作戦へ参加する予定が組まれました。
一方、ドイツの同盟国イタリアは1932(昭和7)年に5万1062総トンの巨船「レックス」を完成させます。翌年「レックス」は平均速力28.92ノット(53.6km/h)を記録し、ブレーメンからブルーリボンを奪います。ただ、戦火が激しくなったことなどにより、イタリアは1941(昭和16)年に「レックス」を空母へ改装しようとしましたが、巨大すぎて難しく、中止されています。
フランスは1935(昭和10)年に、排水量8万2799総トンの「ノルマンジー」を就役させます。16万5000馬力の大出力機関を持つ同船は、平均速力30.31ノット(56.1km/h)を記録し、フランスに初めてのブルーリボンをもたらしました。
第2次世界大戦の開戦後、アメリカに接収された「ノルマンジー」は軍隊輸送船へ改装されましたが、改装中に大火災が発生し、消火用に浴びせられた水の重量で、船体は横倒しに。そのまま戦後を迎えています。アメリカは同船を空母に改装しようと考えましたが、エセックス級を多数建造中で不要として、実行されませんでした。
随伴可能な軍艦のない孤高のライナー
最後はイギリスの「クイーン・メリー」。前出のフランス船「ノルマンジー」に対抗しようと建造された排水量8万1235総トンの巨船で、機関出力は20万馬力。平均速力31.69ノット(約58.7km/h)、北大西洋を3日と20時間で走破する記録を作りました。
第2次世界大戦の開戦後、クイーン・メリーは軍隊輸送船に転用されます。その際、灰色に塗装されたことで「灰色の幽霊」との異名が付けられました。同船はその大きさを活かして1万6000名もの兵士を収容することが可能だったとのこと。
他方で、イギリス海軍に「クイーン・メリー」の速力に5日間追従できる航続力を有する海軍艦艇が存在しなかったことなどから、「クイーン・メリー」常に単独航海だったといいます。なお、この単独航海時に高さ28mの波を受けましたが、巨大な船体ゆえに転覆しなかったという逸話も残っています。
フランスの客船「ノルマンジー」(画像:アメリカ海軍)。
ドイツはこの船を撃沈しようとしましたが、あまりの速力に潜水艦では襲撃できず、巡洋艦でも追撃は困難で、大戦が終結するまでほぼ攻撃を受けることはありませんでした。
生き残った「クイーン・メリー」は、戦後、客船に再改装され、1950年代まで大西洋航路で活躍します。しかし、1950年代は大西洋を大型旅客機が行きかう時代。特に、1958(昭和33)年に大型ジェット旅客機のボーイング707がロンドン〜ニューヨークを6時間で結ぶようになると、大西洋航路の乗客は激減しました。その後「クイーン・メリー」は引退したものの、アメリカ西海岸のロングビーチで、2022年現在も保存されています。
各国の威信をかけ、北大西洋で豪華さや速力を競った大型高速客船は、航空機の発達により、消滅しました。他方、このような大型高速船舶は、戦略兵器として他者では替えが効かない存在として重用されたとも言えます。
1982(昭和57)年に南大西洋で起きたフォークランド紛争のときには、客船「クイーン・エリザベス2」が輸送艦としてイギリス海軍に徴用されています。ただ、これらはあくまでも非常手段。大型高速船であるクルーズ客船が、軍隊輸送船になるような時代は来てほしくないものです。
※誤字を修正しました(8月1日8時15分)。