立川志らく「50半ばでテレビで売れると思っていなかった」 - 土屋礼央のじっくり聞くと - 土屋礼央

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※この記事は2018年09月19日にBLOGOSで公開されたものです

土屋礼央の「じっくり聞くと」。今回は立川志らく師匠にインタビュー。

若い頃は立川ボーイズとしてアイドル的な人気を博していた志らく師匠。その後、テレビからは一歩引いて落語道に邁進、時々映画を撮ったり芝居を作ったり。そのままでも幸せだったはずなのに、50歳を超えて一念発起。テレビ界で売れる為に事務所を移籍して、本当に売れちゃった!

そんな立川志らく師匠に、土屋礼央が今回も「じっくり」聞いています。

落語は「聞くもの」だから音楽と近い

礼央:先日、下北沢の本多劇場でうちの事務所の若手俳優たちと僕とで『志らくに挑戦 はじめての落語』という落語のイベントに出演しました。僕はそこで『子ほめ』をやったんですが、志らく師匠にはたくさん誉めて頂いて恐縮しております。

僕の落語は志らく師匠のお弟子さんの立川志ら乃師匠に教えて頂いて、この間も志ら乃師匠の会に出させていただきました。そこでは『粗忽長屋』をやったんですが、わりとウケまして…ますます落語にハマっているところです。

本多劇場で志らく師匠は、「役者よりもミュージシャンの方が落語をやるのに向いている」というお話をされていました。

志らく:落語は究極の一人芝居だとよく言われます。それは間違いではないのだけれども、落語は芝居じゃない。芝居は”観る”だけど落語は”聞く”。音楽を見に行くという人はいないでしょ。だから芝居ではないんです。ジャンルで大きく分けるとなると、落語は音楽寄りですね。

ミュージシャンが落語をやると凄くハマりやすいんです。逆に言うと落語家で音楽的な才能のないやつの落語は聞けたもんじゃない。極端にオンチだったっり、音楽に興味がないという落語家もいっぱいいるけれど、それはこの仕事が向いていないってこと。

演技が下手な落語家もいる。それは落語をやるのと演技をするのは違うものだから。うちの師匠の談志だって映画なんかに出てもへったくそなの。どう演じても談志でしかない。『芝浜』だとか人情噺であれだけ感情移入できて、あんなに女性を表現するのが上手くても、感情移入した人を見せているだけだから、うちのお師匠さんが芝居をやるとへたくそなの。

才能のある人に落語をやってもらいたい

礼央:僕だけじゃなくて、落語をやってみたいと言いだす素人が、近頃増えてきている気がします。本職の方々は快く思っていないのではないでしょうか?

志らく:第一線で活躍している落語家の中に「素人が落語をやるな」なんて言う人はいないと思う。そうではない人たちが言っているのでしょう。芸に自信もないし、自分たちの領域が侵されていく感覚なのかな。

礼央:志らく師匠はウェルカムですか?

志らく:わたしは誰がやってもウェルカム。誰が入ってきたってまともにやれば負けるわけがないという自信があるのと、もうひとつは才能のある人が落語をやってくれたら、落語が面白いことが世間に広まる。逆に売れてない、おもしろくない人が落語をやるたびに、落語はつまらないものだと世間に広まってしまう現象が起きるわけです。

礼央:最近、本当に落語が面白い。それは40代になった僕の年齢的なものもあるのでしょうか。

志らく:たまたまの巡り合わせではないでしょうか。年を取って落語に出会う人が多いのであって。歳を重ねないと落語がわからないように思うかもしれせんが、そんなことはありません。

わたしは小学校の高学年から中学生くらいの頃に三代目(三遊亭)金馬の再放送をテレビで見て、『奉公』『藪入り』という意味がわからなかったし、三代目金馬師匠が何者であるかもわからない、知らないワードだらけ。でも面白かった。

三遊亭圓生師匠の『唐茄子屋政談』も中学校の時に聞いて、ものすごく面白かった。『唐茄子』が何であるか分からない。『勘当』が何か分からない。『圓生師匠』もどういう存在なのかもわかってない。でも面白かったというのが残っているんです。だから年齢は関係ない。わたしは出会いが良かったんだと思っています。

売れる売れないは誰にもわからない

礼央:師匠の下には20人近くものお弟子さんが。

志らく:次の志の輔、談春、志らく、みたいなのが入ってくればいいなと思っているんだけど、それが入って来ない。弟子の志ら乃なんかも頑張ってやっているけれど、落語の美学を大事にしてやれってことは、もう散々言った。でも当人は自分のお客でウケているから、それでいいと思っているけど、私の中ではなんで出来ないんだろうというのがあります。

それは弟子の志ららにしてもそう。私の中では志ららなんて下手すぎて聞けないもの。アマチュア芸の極みみたい。ただ明るくて華があるから、何となく面白いことを言っているような気になるんです。なんでもっと上手くやれないの?と思うもの。そういう弟子に対するもどかしさはあります。

礼央:才能がある人というのは、弟子入り志願などで見た時に一瞬で分かるものですか?

志らく:才能のあるなしは20秒も喋らせれば分かります。でも売れる売れないは分からない。私だって50半ばでテレビに出るようになるなんて思わなかったもの。

絶対にテレビには向いてないと思ってずーっと生きてきた人間がワタナベエンタに入って『ひるおび!』に出てるうちに、最初はボロクソに言われていたけど、慣れてきたらテレビの仕事も出来るようになった。自分にコメンテーターの才能があるとは思ってなかった。

テレビのバラエティを山ほど作ってきて、わたしを談志に紹介してくださった放送作家の高田文夫先生だってわたしがテレビで売れるとは思っていなかった。「お前は可愛げがないから、テレビは無理なんだ」ってハッキリ言われたんですから。

わたしもそうなんだな、落語だけで生きていこうと思っていたのに、こうなっちゃった。だから売れる売れないという事は、誰にも分からないものなんですよ。

テレビで「師匠」と呼ばれることのメリット

礼央:売れているというのは、ひとつの武器なんでしょうか?

志らく:売れている人は不特定多数の人が集まるところでも落語が出来るけど、落語界でしか売れてない人は不特定多数の場所でやる時に売れている人に太刀打ちできない。

例えば古典落語の名手・柳家三三と笑点の林家たい平が二人会をやる。田舎町で。都会だと三三のファンが押し寄せてくるからね。不特定多数を前にやると「たい平ちゃんを見られてよかった」という意見が大半になる。中には「 三三こそが本当の古典だ」という人も出てくるが数からいうと勝てない。

礼央:『笑点』の視聴率がずっといいのは、日本人はやっぱり落語が好きだからじゃないかと思うんです。

志らく:落語の世界というのには『格』があるんだなと思いました。テレビに出た時、みんながわたしのことを『師匠』と呼ぶんです。これはものすごく強い。下手すりゃたけしさんまで「師匠!」って言ってくれる。ダウンタウンの松本さんまで「師匠は~」と言ったりする。浜田さんも「志らくはん」なんて言う。芸歴が上のダウンタウンがわたしを呼び捨てにしないんです。そういう光景を見ていると、視聴者が「この志らくってのは偉い人だ」と思い込むわけです。

そうなると街で会っても呼び捨てにしないんです。今年あたりはイオンで買い物しようがリゾート地に行こうが、サインしてくれ、写真撮ってくれって言われるけど「志らく師匠、お写真お願いできますか」と来る。

他のお笑いタレントが街を歩いていると、みんな呼び捨てでしょ。「あ!◯◯だ!」って。だから落語家っていうのは、この国では認められているんですよ。

礼央:落語ブームと言われて久しいです。落語界の勢いというのは、その時々で感じてこられたものですか?

志らく:私が入った80年代は悲惨でしたよ。落語って言ったって誰もわかんないし、「なんで落語家になんてなったの?」って。うちの師匠でも当時は落語の仕事は少なかったし、あの古今亭志ん朝師匠でも地方での独演会は半分くらいしか入らなかった事がある。

そういう時代、談志の『現代落語論』じゃないけれど私も『全身落語家読本』を書いたりしました。あまりにも落語が誤解されているから、落語の面白さを世間に知らせたいってとんがっていたんです。

それが宮藤官九郎さん脚本ドラマの『タイガー&ドラゴン』(TBS系2005年放送)以降、わーっと落語が注目されるようになりました。談春兄さんのエッセー『赤めだか』がベストセラーになってドラマ化され、また「下町ロケット」などに出演して役者としても注目された効果もありました。だから今、私が落語ってこういうもんだ!って言わなくたっていい、戦う必要がなくなりました。

礼央:弟子入り志願者は増えていますか? 

志らく:最近は少ないんです。私の露出が多くなればなるほど来なくなりました。露出が低い方が、落語の中の人というイメージが強くてばーっと入門してきたのに。でもそれは悪いことではない。テレビの落語家ブームだった昭和40年代に入った落語家で大成した人はあまりいないんです。

冬の時代に入った落語家の方が大成しています。志の輔も談春もみんなそうですもん。だって立川流をこしらえて、これからどうなるかわからない、寄席にも出られないという時に、上納金を取られるって分かっていて入って来ているんだもの。よっぽどの覚悟がある人しか入って来ないでしょ。だからブームの時に来る弟子はあまり良くないと思っています。

出来るやつは一発で出来る

礼央:僕は落語を経歴に入れられるくらいになりたい、と思うくらいにハマっています。本気でやるなら正式に弟子入りした方がいいでしょうか?

志らく:本業で一生やっていけるものがあるならば、弟子入りする必要はないでしょう。山崎邦正とか、世界のナベアツとかは本格的に落語家へ弟子入りしたけど、それは自分の本業に将来的な不安があるからでしょ。

3の倍数でアホになったり、ずっといじめられたり、一生これやってられるのかなってテレビのタレントは思いますよね。これでいいのかな、自分が60歳・70歳になった時どうなってるんだろう。そこに見切りをつけて落語家で生涯やっていこうという気持ちはよく分かります。

でもあなたは一発で『子ほめ』が出来た人なんです。落語のリズムが天性で分かっている。分かる人は最初の一発で出来るんですよ。楽器と同じでバイオリンの弾ける人はさわったその日に一発で音が出せる。私は趣味でブルースハープを演奏しているが一発で音が出せた。だから楽譜が読めなくても、自分の頭の中で浮かんだメロディーなら吹ける。それと同じ。

出来ない人はどうしてそれが出来るのか、次元が違うから分からない。私の弟子もみんな出来ないから一生懸命に努力する。出来る人がすぐできるところまで何年もかけて上がってくるんです。

談春兄さんは前座の頃から『小猿七之助』や『居残り佐平次』なんかでも談志と同じように喋れちゃう。私の場合、最初はできなくても談志がこうやるんだって教えてくれた途端、出来るようになった。

あなたは出来る。出来るんだからあとは音楽で培った自分のオリジナルの世界を入れていけばいい。

本物以外は真打ちにすべきではない

礼央:落語の稽古をすると、歌も上手くなった気がするんです。落語を始めてから、いろいろリンクして上手くいきだしました。落語がもっと広がって行くことにもつながるので、僕はこの記事を読む人もみんな落語をやってみたらいいのに!と思っています。

志らく:落語は誰でもできるカラオケほど敷居は低くない。落語の面白さは歌ほどわかりやすくないからね。古典芸能だから知らないワードも沢山出てくるし、気楽にみんながやれるというものではない。

私が落語界に関して危惧しているのは、裾野を広げるという意味では、面白くて売れている人がもっといればいいんだけど、なかなかそんな風になっていかないこと。それが斜陽といえば斜陽なんです。面白いやつなんて落語家が900人いる中で良く言ったって30人くらいしかいない。

一番いいのは、落語が上手い、面白い奴が売れること。談春兄さんは元々出来るところ、エッセーや俳優業で注目されていった。昇太兄さんだって元々落語が面白いところを笑点の司会に抜擢されてより活躍するようになった。わたしの場合も落語界でキャリアを築いてきた上で売れたから大丈夫だった。

これから春風亭一之輔や柳家喬太郎なんかがテレビでドーンと売れると、これは強いですよ。

悲惨なのは落語ができないのに売れちゃった場合。テレビでは重宝がられるし、イベントにも呼ばれる。でもいざ、落語会になった時にいくら地名度があっても別の本物が出てくるとどうやったって勝てない。たい平も昇太兄さんも落語ができるからそこはいい。

礼央:真打は、すごくいっぱいいるんですよね。

志らく:今の制度だと15~20年辛抱したら全員真打になれるんです。 三遊亭圓生師匠が「真打は本物じゃないとしちゃいけない」と言っていたのに、柳家小さん師匠が「真打がスタートなんだから」と年季が来たらみんな真打にしようと言い出して、揉めて落語協会が分裂したわけです。

それで協会から抜けた談志が立川流を立ち上げて、ある程度のハードルを越えないと真打にしないとしていたんです。

ある程度の試験をクリアしないと医者や弁護士になれないのと同じで、本当は厳しくすべきで、真打制度がない上方落語の方が健全です。あっちは売れた人が『師匠』になっているから分かりやすい。

礼央:江戸落語の方も将来的にそういった改革みたいなものはありそうですか?

志らく:立川流の中だっていろんな考え方がある。真打試験をやったものの、落とすのはかわいそうだから全員真打にしようじゃないかって総会で決まって、わたしの弟子も含めて真打になりました。

でも、試験に落ちた奴は落語界のために真打にすべきではないと思っています。そうすると私の弟子に真打がいなくなっちゃうけど。

相撲の番付の場合、強ければ付け人だったのが先輩を抜いてどんどん出世しちゃうこともある。スポーツの方が健全で、そっちの方が繁盛していますよ。落語はその辺は不健全ですね。売れてない人が威張るから。

礼央:変えてやろうという思いは?

志らく:本業落語家に任せておけないから、立川流Bコースを作って、ビートたけしさんだとか高田文夫先生とか有名人を弟子にして『お前ら、落語を頼むよ』と言った談志の気持ちが今はよく分かる。私もそういう芸能人の落語をやりたい人たちだけを集めて志らく一門にした方が、本当はいい。

バカヤロウ!に愛があるのが江戸っ子

礼央:僕は本気で落語をやりたいという野望はあるけど、本当にやっていいのか?という葛藤が未だにあります。

志らく:やったらいい。うちの弟子の志ららと二人会をやれば確実に勝ちますよ。だって落語を喋る才がある上に、売れてきたオーラがあるから。だからそういった人に私は落語界を助けて欲しいなと思っています。

礼央:僕は「できれば嫌われたくない」という芸風で十数年やってきたので、ラジオでメッセージを読んでいても、当たり障りなくコメントする時があるんです。ところが最近、落語の影響で「何言ってんだバカヤロウ」って口からポロッと出たときがあって、それが意外に面白く転がったんです。江戸っ子口調とラジオには親和性があるなと思いました。

志らく:そう、それが東京っ子。『男はつらいよ』のおいちゃんがそう。初代おいちゃん役の森川信が「バカだねコイツ、出てけ!」って寅さんに言っても、言外に『出ていかないで』って気持ちが見えるの。それが落語の江戸っ子なんです。『死んじまえ』だって本気で言ってるわけじゃない、二つの気持ちがある、それが落語なんです。

礼央:志ら乃師匠の『子ほめ』を聞いて、八つあんはご隠居に対してなぜこんなに乱暴なんだ?って思っていたのですが、よくよく稽古させてもらっているうちに、悪気のある「バカヤロウ」じゃないんだということに気づいたんです。それをやっていくうちに、ラジオにメールを送ってくれた人に対しても、どういう思いで送ってくれたんだろうって考えながら『バカヤロウ~、お前、こんなの送ってきやがって~(笑)』って喋っています。

志らく:その感覚は、分かると口から出るようになってくるの。高田文夫先生がそうでしょ。東京っ子で落語が好きだから、高田先生が『ラジオビバリー昼ズ』で私のことを『あのやろー、俺の古希のお祝いに“かに道楽”のお食事券を送ってきやがった、バカヤロウ、こんなもん(笑)』って言ったって「あ、先生、喜んでくれてるんだな」って分かる。

「あいつ、『ひるおび!』出てんだ、恵(俊彰)のバーターだろ?」って、ほかの人に言われたら腹が立つけど、高田先生に言われたらなんともない。東京っ子の言い回しと江戸落語の口調は同じなの。それを聞いて本気で怒って来る人はいませんよね。

礼央:じゃぁ僕はこのままラジオも頑張りながら、志ら乃師匠の下で頑張っていきます!

志らく:別に志ら乃の下で頑張らなくても大丈夫ですよ。

礼央:(苦笑)弟子入りしたわけじゃないですけど、志ら乃師匠の下で頑張ります。大師匠の志らく師匠にもたまに見届けて頂けると嬉しいです。

志らく:志ら乃よりもウケるようになればいいんですよ。その可能性は十分。だって志ら乃は売れてるわけじゃないから。柳家喬太郎に教わって、喬太郎を抜くのは難しいけど、志ら乃を抜くのは、そんなに難しくない。

礼央:頑張ります。

志らく:半年くらいわーっと頑張ればすぐ(笑)。

プロフィール

立川志らく
1963年東京生まれ。1985年立川談志に入門。1995年真打昇進。落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、昭和歌謡曲博士、劇団主宰、TVコメンテーターと幅広く活動。

立川志らく公式ホームページ
・Twitter - 志らく @shiraku666



土屋礼央
1976年生まれ、東京都国分寺市出身。RAG FAIR として2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。ニッポン放送「土屋礼央 レオなるど」、FM NACK5「カメレオンパーティ」などに出演中。
・ TTREアルバム「ブラーリ」
・土屋礼央 オフィシャルブログ
・Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya