娘の結婚…松田聖子にとって今や沙也加はライバル!? - 渡邉裕二

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※この記事は2017年04月28日にBLOGOSで公開されたものです

◇松田聖子の愛娘・神田沙也加結婚!

芸能界は祝福ムードだ。
神田沙也加のハートを射止めたのは9歳年上の俳優・村田充(みつ、39)。
沙也加はインスタグラムで「わたくし神田沙也加は村田充さんと結婚します」と書き込み、結婚することを明らかにした。

言うまでもなく、沙也加は俳優の神田正輝と松田聖子の間に長女として生まれた。

思い返せば、32年前の1985年6月24日。聖子と正輝の結婚は"聖輝(世紀)の結婚"と騒がれたものだ。そして、2人の間に第1子となる沙也加が生まれた。1986年10月1日だった。聖子と正輝が"寅年"だったことから、聖子自身は自分の子も"寅年"(1988年)に生みたかったという。「親子で"トラトラトラ"にしたかったようです」(芸能関係者)。

沙也加は体重2630gで、正輝は「目と眉はカミさんに似ていてよかった。僕に似るとゴッツイ顔になっていた」なんて言っていたが、どちらかというと父親似?

しかし、感性は聖子似なのかもしれない。昨年の夏に舞台「ダンガンロンパ THE STAGE」で出会ったと言うから、交際8ヶ月で結婚を決意したことになる。もちろん8ヶ月が長いか短いかは人ぞれぞれではあるが…。雰囲気的には「ビビビッ!」と来たようだ。

村田は俳優の他にモデルとしても活躍中だそうで、沙也加との結婚については「共に支え合い、充実した日々を過ごしたい」とブログに綴っていた。

◇聖子不在の結婚発表

それにしても、今回の結婚の発表では父親の正輝を交えてのスリーショットの写真を公表している。その写真は満面の笑みを見せる沙也加を正輝と村田が囲んでいる爽やかなものだったが、何故か、そこに親権者である母親の聖子の姿はなかった。

そんなわけで正輝は2人を祝福。所属事務所を通して「大変嬉しく思っています」とコメントしたものの、聖子はというとコメントなし。所属のレコード会社も「連絡がとれない」と素っ気ない。

沙也加関係者は「聖子にも結婚の報告はした」としている。だったら…と思うのが普通だが、この状況を見る限り「聖子と沙也加の"母娘関係"は完全に決裂状態」ということだろう。

聖子と沙也加の関係については、数年前から"危うい"と言われていた。何が原因か?

すでに、さまざまな情報が流れている。が、筆者が知り得るのは「常に自分の目の届くところに置いておきたかった」母・聖子と、その母親からの独り立ちを願う聖子の母・蒲池一子さん、そして母親から「独り立ちしたい」と思い続けてきた沙也加の気持ちのズレが時間とともに広がり、結果として「対立軸」と化してしまったのかもしれない。

聖子と正輝の離婚は1997年、沙也加が小学校4年の時だった。前述した通り、親権は聖子となった。しかし、沙也加の姓に関しては当時、学校の手続上などの問題から変更しないで「神田姓」を変えなかった。しかし、母娘の関係はよく「毎年、年末年始などはハワイに親子で行くなど、聖子なりに可愛がっていたと思う」(芸能関係者)。

1999年「ALICE」のペンネームで聖子の曲を初作詞し芸能界にプチ・デビューした後、2001年には江崎グリコ「アイスの実」でCMに初出演し、「SAYAKA」の芸名で本格的に芸能界デビューを果たした。翌2002年に「ever since」を聖子と同じソニー・ミュージックエンタテインメントから歌手デビューもしている。しかも同曲はフジテレビ系ドラマの主題歌になったのだが「鳴かず飛ばずの失敗に終わった」(音楽関係者)。

この頃から沙也加は女優の方向へと突き進んで行く。

2004年に宮本亜門の演出するミュージカル「INTO THE WOODS」に、約20倍のオーディションを勝ち抜いて出演した。ここで沙也加は舞台女優に目覚めたという。

その後、1年半、芸能活動を停止し海外生活などを送ったが、沙也加の方向性を大きく変えたのは、2006年12月、大地真央の主演舞台「紫式部ものがたり」(日生劇場)へ出演したことだった。この時を境に、聖子のつけた芸名「SAYAKA」を本名の「神田沙也加」に変えている。周囲からも「大地の元で、いろいろと教え込まれ学んだ。そのあたりから母親離れが進んだ」と言われている。

「聖子は、自分の娘は良くも悪くも自分の手元に置いておきたかったのかもしれません。そういったことから、2011年の『紅白』には東日本大震災後ということもありましたが、沙也加とのデュエットで『上を向いて歩こう』を歌ったんです。しかし、(聖子の母親の)一子さんは、沙也加には自分のやりたいことをやらせたいと思ったようです。そういった時に、聖子は再々婚した。

そういった中で沙也加は袂を分かつことになり、聖子は一子さんが社長を務める個人事務所のファンティックから離れてしまった。一方の沙也加はミュージカルなど舞台女優として評価を高め、3年前の《アナと雪の女王》では王女・アナ役に抜擢され一躍注目された。年末の『紅白』にも出場し、ニューヨークからの中継でイディナ・メンゼルとデュエットしました。当時、『紅白』で、沙也加の独り立ちに聖子が涙したと美談が書かれましたが、果たして内心は…。あの時は聖子が大トリだったことでメンツは保たれたのだと思いますね」(プロダクション関係者)。

◇母である前にプロのアーティスト

ようするに、聖子にとっては母親である前にプロのアーティストという意識の方が強かったのかもしれない。つまり、沙也加は娘ではあっても聖子にとっては"ライバル"になっていた。

「娘なんかに負けてたまるか」

母親としては論議が分かれるところだが、しかし、それが聖子であり、今やパワーになっているのかもしれない。

聖子は、3月29日にジャズ・アルバム「SEIKO JAZZ」を発売した。グラミー賞など数々の音楽賞を獲得した世界的ジャズ・アレンジャーのデビッド・マシューズとタッグを組んでいる。デビュー37年目。55歳を迎えた聖子が新たにチャレンジした世界だ。今後は、同アルバムを引っさげてツアーも行うとも。何か、このタイミングに聖子の導火線に火がついたような感じだ。だとしら聖子にとって沙也加は、もはや「永遠のライバルに変わった」とも言えそうだ。

色々と書いて来たが。が、沙也加と聖子の関係、沙也加と正輝の関係…それは「らしい」とか「ようだ」といった不確かな表現でしか語れない。結局のところ親子のことは親子にしか分からないが、沙也加は「聖子より、お婆ちゃん子だったということでしょう」(関係者)。

その一方で、今回のスリーショットには聖子もご不満ではないかという。

「今まで何もしてこなかったのに、こういう時だけ父親ぶって出てきて…そんな結婚発表に不満を抱いているのではないか」。

確かに、これは誰から見ても「聖子の娘・沙也加結婚」という見出しにならない。聖子を知る関係者は、聖子の心情をそう代弁する。これじゃ聖子もコメントの出しようもないか?

ちなみに、現在、一子さんは九州の実家に戻っているそうで、事務所の「ファンティック」は聖子の実兄が社長を務めているという。しかし、5月にも「ファンティック」は著作権管理会社に変え、沙也加のための新事務所を設立した上で新スタートを切るというのだが…。