まったく作風の異なる作品で火花を散らしたイタリア映画の2人の巨匠――ヴィスコンティVSフェリーニ - 吉川圭三
※この記事は2017年04月27日にBLOGOSで公開されたものです
イタリア映画史で別格扱いの二人の巨匠
ヴィスコンティとフェリーニ。皆さんはこの二人のイタリア人映画監督の名前をご存じだろうか?
もし、読者がこの2人の作品を見ずして、アニメ映画やCG実写映画や漫画原作映画を「本物の映画」と認識しているとしたら、映像体験人生において大変損をしていると思わざるを得ない。なぜ故か日本では2人の映画作品のディスクは高額なので、レンタルや配信メディアでも良いので是非に触れて欲しいと思う。昨今の映画と比較しても、その深さと広さと表現力とオリジナリティが格段に違うのだ。
イタリアの監督と言えば近年では「ライフ・イズ・ビューティフル」のロベルト・ベニーニ、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレなどがいるが、さらに遡(さかのぼ)ると戦後ネオリアリズモの開拓者ビットリア・デシーカ(「自転車泥棒」など)、ロベルト・ロッセリーニ(「無防備都市」など)、大芸術家のミケランジェロ・アントニオーニ(「去年マリエンバートで」など)などの世界的な監督が映画史に厳然と存在し、セルジオ・レオーネ(「荒野の用心棒」「ワンス・アポン・ア・イン・アメリカ」など)やベルナルド・ベルトリッチ(「暗殺の森」「1900」「ラスト・エンペラー」)などの巨人も居る。しかしヴィスコンティとフェリーニはこの世界では別格扱いである。
『ザ・ライバル』ヴィスコンティVSフェリーニ ~イタリア映画・巨匠たちの暗闘~より
映画作りにおける過去の映像記憶の重要性
映画解説者の淀川長治氏は、生前ある映画学校で200人の学生を前に「この中でヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』をご覧になった方は?」と聞いたところ、30人ほどが手を挙げたそうである。その時あの温厚な淀川さんが激怒したそうだ。
「君たち『ベニスに死す』を見ずに映画を作るとはどう言うことですか! 見ていない人は今すぐこの講堂から出て行って下さい」と。……しばらくして怒りを鎮めた淀川さんは満場の学生たちに詫び、映画作りにおける過去の映像記憶の重要性と、作り手自身の人間性を高める事の大切さを説いたと言う。
最近、遠藤周作の小説「沈黙」を監督し注目を浴びたマーティン・スコセッシは映画史に並々ならぬ造詣を持っているが、自ら「フィルム・ファウンデーション」という財団を設立し、日本の溝口健二監督の「雨月物語」ほか、ヴィスコンティ監督の「山猫」「ルートヴィヒ」をデジタル修復、映画祭で上映し4Kで鑑賞出来るようにした。
正真正銘の貴族だったヴィスコンティの映画に現れるヘルムート・ニュートンやアラン・ドロンは、昨今のイケメンブームなどを軽く超越する知性と美しさと気高さをたたえている俳優だった。「本物を見て良かった」と心から満たされるのである。
一方のフェリーニだが、現代の映画の名匠にベストテンを選ばせるとほとんど1本から2本は入って来る程の影響力を持っている。ウディ・アレンは「8 1/2」「アマルコルド」、黒澤明は「道」、若手ではギレルモ・デル・トロ(パシフィック・リム)やライアン・ジョンソン(スターウォーズ・エピソード8)などが限りない賛辞をフェリーニに捧げている。
このドキュメンタリーにも語られているように、フェリーニは「映画とはサーカスのようなものである」と答え、ヴィスコンティは「映画とはオペラのようなものである」と語る。「道」でヒットを飛ばしたフェリーニの映画は段々ファンタジックな世界に突入する。ヴィスコンティは退廃の世界へ。わたしも今回配信する作品を見るまでは、あのローマ郊外のチネチッタ撮影所で2人の天才が反目し合い、競うようにまったく作風の異なる傑作を生み出してカンヌ映画祭・ヴェネツィア映画祭などを舞台に熾烈な対立をしていた事などはまったく知らなかった。
2人の巨匠と黒澤明の関係
こんな話がある。日本の黒澤明監督はフェリーニと極めて懇意であった。お互いの作品に惚れ込み、度々会っていたそうだ。「黒澤明が選んだ100本の映画」(文春文庫)に娘さんの黒澤和子さんによるこんな描写がある。
「自分が持っていないものを持っているフェリーニが、父は大好きだった。ローマのホテルで見つめ合う2人は、無言ながら互いの仕事を認め合い、賞賛し合い、ねぎらい合っているような眼差しで、とても感動的なシーンでした。」
後に黒澤明は旧ソ連映画「デルス・ウザーラ」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞した後、再び同じ旧ソ連邦のモスフィルムの依頼を受け井出雅人と1本の脚本を作る。未完成映画「黒き死の仮面」(エドガー・アラン・ポー原作)である。民衆が赤死病が荒れ狂う市街で次々死んでゆく中、王が城で友人を集め、毎夜退廃的な仮面舞踏会を繰り広げる乱痴気騒ぎのパーティのシーンを朋友・フェリーニに撮ってもらう事になっていたと言う。
『ザ・ライバル』ヴィスコンティVSフェリーニ ~イタリア映画・巨匠たちの暗闘~より
一方、黒澤明とヴィスコンティはどうだったのか? この本に興味深い証言がある。黒澤明はこう語る。
「ヴィスコンティ監督には何度かお会いしたけれども近寄りがたい人だったね。本番中に誰かが入って来たりすると『散れ』って貴族然として怒られてすごく怖いらしい」
つまり、あの「世界のクロサワ」をもってしても近づき難い雰囲気を持っていたのだ。この本の描写から類推しても、フレンドリーな芸術家・フェリーニと真性貴族の芸術家・ヴィスコンティの反りが合うはずもない。ただ、お互いの作品には一目おいていて、この反目は両監督の周りのスタッフや取り巻きが根拠のない噂話をして2人を近づけなかったことが原因だと言う。晩年、2人は誤解が解けて懇意になったと言うが、一流のクリエーター・芸術家と呼ばれる人たちは、一方で実に高尚で一方でカミソリの様な実に厄介な性(さが)を持った人たちである。
『ザ・ライバル』ヴィスコンティVSフェリーニ ~イタリア映画・巨匠たちの暗闘~より
会社をつぶすほど制作費をかけても制作依頼が来る
数年前のある夜のことである。私はある用事があってスタジオ・ジブリの鈴木敏夫プロデューサーがいる「れんが屋」を訪れたことがある。その夜、鈴木さんは1人でヴィスコンティの「家族の肖像」を見ていた。彼は娯楽映画界から芸術映画まで何でも見るのだが、その夜こんなことを言っていたのを覚えている。
「ずっとこの作品のセットだけを見ていたんですよ。これ作ったセットだけど見事すぎて全然飽きないの。やっぱり映画の品格はセットで決まるんですね。」
その後、今回の配信に当たって両監督について調査していて驚いたのは、ヴィスコンティが映画制作会社を大手から中小までもどんどん潰(つぶ)してしまったという事実である。以下は蓮見重彦氏と淀川長治氏の会話である。
淀川:『ルートヴィッヒ』も贅沢だったもんなあ。でもいま聞いとって、『ええー』と僕が思うに、蓮見先生は、冷淡に『あれでつぶしたんです。』と冷淡に言うんだから、冷酷に(笑)。こんな人と協力したら全部潰れるよ(笑)。潰すことに反省ないもん。(中略)
蓮見 :だから同じ時期のイタリアの監督たちは、「ヴィスコンティだけ金使いやがって」って言うんで、みんな怒っていたわけですね。 会社を潰しても平然としていられる。だがしばらくするといつの間にか映画制作依頼が来る。・・・やはり彼らは常人ではないのだ。
関連サイト
・【予告編】ニコニコドキュメンタリーシリーズ『ザ・ライバル』 ~世界が注目する12のライバルたち~