弱者はなぜ文句を言わなければならないか - 赤木智弘
※この記事は2017年04月23日にBLOGOSで公開されたものです
作家のはあちゅうさんが「過剰な配慮と強すぎる「弱者」に違和感」とするという記事(*1)を出していたので読んでみた。結論からすれば、全く弱者と関係ない記事だった。彼女が「弱者」と呼ぶのは、自分の「ウツ」という言葉の使い方に批判的な人や、バイトをした時に自分を「慶応だから」ハブった人たちという、ただ自分に対する批判的な態度をとったと彼女が認識している人たちのことであり、実際に弱い立場に追い込まれているような人たちの話は一切出てこなかった。そもそも、彼女に文句を言っている人が「弱者」であるという根拠も一切ない。
よく、ネット上がりの小金持ちライターが弱者を見下すような記事をPV目当てで書いていることがあるが、この記事もいかにもそうしたブロガーが書きそうな記事である。
はあちゅうさんは、その辺のブロガーあがりのライターとは違う、作家先生であるのだから(*2)、あまり自分の視点を絶対とせず、もう少し引いた姿勢で、社会をほどよく俯瞰した記事を書いてほしいと、心から願う。
さて、そんな記事なのでネットでは総スカンを食らっていると思いきや、少なからずこの記事に賛同をする人がいて、驚いた。
彼らがどこに賛同を示しているのかと思い、何度か記事やその反応を読み返すうちに、賛同する人たちは「弱者=文句を言う人」という認識を有していることに気がついた。彼らにとっては文句を言うこと自体が「弱者のヒガミ」であるように見えているのだ。
多分それは「お金を稼げる人は不平不満を言わない人だ」という言葉の変形なのだと思う。いわゆる「ビジネス書」に成功する秘訣として「不平不満を言わない」とよく書かれている。
しかし、インチキビジネス書ならともかく、まっとうなビジネス書でそうした言葉が書かれる時はかならず「不平不満を言って終わりにするのではなく、不平不満を解消する手段を見つけ、実行しよう」という内容となっている。つまり、成功する人は不平不満の発見をしたら、その不満を愚痴として発するだけで終わらせず、その解消というブロセスが必要であると理解し、解消プロセスを実行しているからこそ、成功するという考え方である。僕はそれはそのとおりだと思う。
しかし、それをそのまま反転させて「お前らは不平不満ばかりを言うから弱者なんだ」ということにはならない。なぜなら不平不満を主張すること自体が、不平不満のある状況を解消する手段であるということがありえるからだ。
弱者の「文句」でとりわけ評判が悪いのが、アルバイトや契約社員という非正規で働く人が声を挙げることだ。
今年もエキタスが時給1500円を求めるデモを行った。(*3)
時給1500円を呼びかけるデモは、以前にも「時給1500円なら国が滅びる」(*4)などと言われたし、今年は元山口組系暴力団の組長であり、著書などもある「猫組長」が「デモやるヒマあるなら働けバカ」(*5)と揶揄をした。
実を言うと、僕自身も最低賃金の底上げは格差対策としてはあまりよくないものであると考えている。格差対策の本命はベーシックインカムや、消費税率アップとセットにした給付付き税額控除の実行であり、最賃上げは雇用を減らし、格差が広がるリスクがある。
しかしそれでも、最賃1500円を支持するのは、長期的にはベーシックインカムが実施されることもあるかもしれないが、この先10年20年という短いスパンで考えた時に、労働による分配だけを正しい分配だと考え、社会保障による分配を極めて軽視する経済オンチな日本社会の中で、現実的に貧しい人を少しでも救うことは最低賃金を上げることでしか達成できないと考えるからだ。
こうしたデモを「不平不満を言っているだけ」としか思わない人達がいる。
しかし、デモの目的は不平不満を愚痴で終わらせるのではなく、その不満を共有したり、またその不満を自分の責任だと思いこむのではなく、正しく社会の分配の失敗であると理解させることにある。そして、時給が低いことがどういうことかが多くの人に伝わり、社会的に低賃金はマズい、社会保障の充実を目指すべきだという流れになれば、デモの目的は達成される。
すなわち、こうしたデモは不平不満をしっかり叫ぶことで、その解消プロセスに繋げるために行われているのである。
さて、その一方で不平不満を声高に叫ばなくてもいい人たちがいる。
それは不平不満を言わなくても適度な仕事と適度な賃金で自分を満足させることができている人たちだ。不平不満を言わなくてもいい人たちは、それこそ不平不満がない「強者」である。
強者が不平不満を言わないのは、別に彼らが慎み深いからではない。そうではなく単に不平不満がないほどに立場や収入が安定しているので文句が無いだけである。彼らが不平不満を言わないからこそ強者になったなどということは、絶対にない。
逆に弱者は不平不満を言わなければ、自分たちの人生が台無しになることが分かっている。
今は貯金なしで働き続けていることでギリギリ生活が成り立っている人は、いざ病気になって数ヶ月働けなくなるだけで途端に人生が破滅する。
弱者が文句を言うのは、文句を言わなければ自分たちの将来が破綻するのが明確だからである。
それをあげつらって「文句を言うから弱者なんだ」というのは、強者の傲慢でしかない。
そして、強者の傲慢を受け入れることは、不平不満を愚痴として流し、解決のプロセスに繋げないことを意味する。そうして、問題を解決しなかった結果、かつては経済先進国であった日本は、世界から大きく遅れをとる後進国に転落したのだ。「弱者は文句ばかり」と考え、揶揄するような人たちこそが、日本をどんどん弱くしていくのである。
日本がかつての輝きを取り戻すためには、日本人個々人が不平不満を主張し、問題解決のプロセスにつなげていくしかない。そのためにこそ弱者は文句を言い続けるし、言い続けなければならない。
*1:【アラサーはあちゅうの声に出して言いたいこと】過剰な配慮と強すぎる「弱者」に違和感(日経ウーマンオンライン) http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/011100116/033000007/
*2:ブロガー「はあちゅう」氏、「私は作家。ライターじゃない」が波紋(WEDGE Infinity)http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9293
*3:「エキタス」が最低賃金を時給1500円に引上げることを求め新宿でデモ ネットで共感も(ニフティニュース)https://news.nifty.com/article/economy/business/12117-6093/
*4:マクドナルドの「時給1500円」で日本は滅ぶ。(BLOGOS 中嶋よしふみ)http://blogos.com/article/110278/
*5:猫組長さんのツイート: "デモやるヒマあるなら働けバカ。(Twitter 猫組長)https://t.co/KvREwG58FT https://twitter.com/nekokumicho/status/851870491853832193