【自衛隊と熊本地震】首都直下地震・南海トラフ地震に備え法整備を~折木良一・元統合幕僚長に聞く - BLOGOS編集部

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※この記事は2016年06月22日にBLOGOSで公開されたものです

5月30日、熊本県の蒲島郁夫知事の要請を受け、中谷防衛相は災害派遣されていた自衛隊の撤収を指示。これにより熊本地震の発生当日以来、延べ81万4千人にのぼる自衛隊の災害派遣が終了した。今回の災害派遣では、米軍による輸送支援支援での「オスプレイ」使用、海上自衛隊の護衛艦との連携も議論を呼んだ。

筆者の家族は、熊本地震で被災し、自衛隊の支援を受けた被災者の一人。現地で自衛隊の様々な活動を見聞きし、災害派遣の実情に強い関心を持った。そこで、東日本大震災の災害派遣において自衛隊制服組トップとして指揮を執った折木良一・元統合幕僚長に、自衛隊の災害派遣の実情や、今後の課題について話を聞いた。【大谷広太(編集部)】

■ニーズは尽きず…難しい「撤収」の判断

-蒲島知事が自衛隊の撤収を要請するにあたり、5月29日の会見では「ずっと頼るわけにはいかない。自分たちでやっていく時期に入った」と述べました。そもそも自衛隊の災害派遣にあたっては「緊急性」「公共性」「非代替性」という三つの要件があります。地元自治体や民間による対応にある程度メドが立った、ということだと思います。

折木:派遣するのは簡単なことなのですが、撤収、つまり出口をどうするかの判断はものすごく難しいんです。

被災した方々には「まだ居て欲しい」と言って頂くことが多いですし、人間ですから、支援するうちに皆さんとも顔見知りになっていきます。現場の自衛官としては「もうちょっと残って支援したい」という気持ちが出てくるんですね。

ただ、やはり"自衛隊で無ければできないこと"とをやるのが目的です。地元の建設会社ができることまで自衛隊がやっていいのかというと、そうではありません。民間の力を活かすことが復興にもつながっていくわけですから、自衛隊としては出来る事を精一杯やって、全体の状況を見て撤収させていただく、ということになります。

ー私が地元・熊本で聞いた話に、こういうものがあります。

友人がいる南阿蘇村方面の避難所に物資を持って行こうとしたところ、道路が寸断されるなどして難しかったと。そこでたまたま通りがかった自衛官に事情を話すと「避難所までであれば、お届けします」と、持って行ってくれたのだと。


折木:あまり大っぴらにしてもいけないのかもしれませんが(笑)、東日本大震災の際にもそういう話はいっぱいありました。現場の判断で、機転を利かせ柔軟に、ということですね。

ただし、不公平があってはいけません。ですから、やってあげたいけれどもできない、という場面も数多くあります。

ー私の両親は、入浴支援をしていた自衛隊が撤収してしまったため、銭湯に行かなければならなくなって困ったと(笑)。

折木:お風呂は被災した方々に喜ばれるし、憩いの場でもなりますから、ものすごく大事なんですよね。ただ、基本的に入浴設備は、部隊に一つしかないので、今回も北海道を含めて全国からかき集めたと思います。また、もちろん災害派遣が優先なのですが、自分たちが訓練をする時に使う装備でもあります。よく「増やせばいいのに」と言われるのですが…。

ただ、地元の温泉や銭湯が徐々に再開していくのであれば、少しずつそちらが利用されるようになっていくことも復興にとって大事だ、という考え方もあります。自衛隊としては、なかなか心苦しいのですが…。

ー私が現地で見て驚いたのは、その入浴支援をしていたのが青森県の八戸から来ていた海上自衛隊だったことです。地震の災害派遣と言うと、陸上自衛隊のイメージがありました。

折木:陸・海・空それぞれに特性がありますからね。海上自衛隊は基本的に陸上での活動は行わず、艦船による生活支援や、水の支援など、間接的な活動が中心でした。しかし最近になり、直接的な活動もするようになりました。東日本大震災の際も、陸上での活動を行っているんです。

ー一方で、やはり即応という意味では、被災地最寄りの駐屯地の部隊が先頭を切って活動しますね。 今回も、自分自身が被災者で、余震も続く中、家にしばらく帰れなかった自衛官のご家族の話を耳にしました。

折木:もちろん全員が本音では後ろ髪を引かれる思いでしょうが、それが仕事ですからね。

東日本大震災の際も、自分が被害を受けながら派遣された自衛官が大勢いました。ただ、そういう隊員についてはフォローアップをしなければなりません。当時、カウンセリングのチームが現地に派遣されましたが、そうした心のケアも重要です。

私が気にかかるのは、やはり家族への支援です。自衛隊の官舎に入っていれば同じ境遇の家族同士として助け合いもしやすいのですが、熊本のようなところでは、持ち家でバラバラに住んでいるケースが多いと思います。今回も、ご近所の方に声を掛けてもらって有り難かった、というご家族の話を聞きました。

その意味では、平時からの自衛隊員の家族同士の絆というのが大切でしょうし、災害派遣はもちろん、有事の際には本人や家族のケアがより重要になってきますから、自衛隊としてもケアについては重点項目として対策を講じ始めています。

■オスプレイめぐる議論、"使えるものがあれば使う"スタンスで

ー東日本大震災後、自衛隊への信頼度が高まったり、志望する方が増えたり、という報道がありました。もちろん自衛隊の任務は災害派遣だけではありません。今後、その任務の幅は広く、ますます重くなっていくと思います。

  折木:安全保障環境、国際情勢が厳しくなっているのは確かだと思います。平和安全法制のような基盤的なものもできてきましたが、陸・海・空それぞれの防衛・警備の任務はさらに重要になってきています。もちろん災害派遣もやっていかなければなりません。

ただ、それらには互換性、補完性があると思っています。当たり前ですが、自衛隊の任務は「国民の生活を守る」ということが根幹です。「専守防衛」とは、単純に言えば外国に行って戦闘をするということではなく、日本の近辺で国を守るということですから、有事の際には自治体や関係機関、国民とも連携しなければなりません。その面では災害派遣も同じだとも言えます。つまり、災害派遣を経験することで自衛隊は防衛・警備の能力が向上しますし、逆に防衛・警備の訓練をすることで災害派遣の能力を向上させることもできると思っています。

ー東日本大震災での「トモダチ作戦」に続き、今回も日米共同が見られました。ただ、物資輸送にアメリカ海兵隊の「オスプレイ」が使用されたことについては、批判の声もあがりました。

折木:人命救助、そして生活支援が優先されるべき問題ですから、災害派遣の場合には"使えるものがあれば使う"、というのが私のスタンスです。

今回、何か政治的な思惑があったのではないかとも言われていますが、実態は自衛隊の大型輸送ヘリの大半が点検整備中で使用できなかったことが理由です。

縦割りを理由に行政が調整できない、助けられない、ではダメなのと同様、「労働組合が反対するから自衛隊はだめだ」とか「米軍はだめだ」などというのは、その組織の理由や発想であって、国民の命を助けるためにも、災害時にはイデオロギーの問題は取っ払って考えなければならないと思います。

ただ、やはり阪神・淡路大震災以降、国民のマインドも変化してきていると思います。日本かま規模の大きな災害をいくつも経験し、いずれ起きるであろう首都直下地震や南海トラフ地震のことを考えると、災害時には皆で力を合わせていこうというマインドが生まれていると思います。そういう中でのオスプレイ使用だと思います。

ー逆に、自衛隊が海外での災害支援活動も行っていますね。

折木:2005年、スマトラ地震の国際緊急援助隊として自衛隊が派遣された際、陸上幕僚副長だった私もインドネシアのバンダ・アチェに調整のために行きました。街が完全にやられていて、住民の方々は家もなく、どうやって生活すればいいかわからない、というようなものすごい惨状でした。そんな状況下で自衛隊が医療・防疫、物資輸送支援を行い、現地の方々にも大変喜んでいただくことができました。

これからの国際社会では、そのようにして国同士が助け合うことが大事です。東日本大震災でも、米軍はもちろん、多くの国が義援金だけでなく、様々なかたちで支援をしてくれたわけですから、日本も海外での災害支援にもっと真剣に取り組んでいくべきだと思います。

■阪神・淡路大震災の教訓

ー阪神・淡路大震災の教訓から国民のマインドが変わってきたということですが、法制度面での様々な整備も進み、政府・自治体との連携も円滑になってきているのではないでしょうか。

折木:部隊を動かす際の命令伝達の仕組みが早くなっていますね。

陸上自衛隊には5つの方面隊があります。それらが行動する場合、防衛大臣に報告をするのですが、官邸も含め即応体制がきっちり出来上がっています。

村山総理は阪神・淡路大震災の発生をテレビで知ったと言われていますが、現在では大規模な災害が起こった場合、各大臣、総理まで情報が直ちに伝わるようになっていて、主要な幹部会議もすぐに開かれる仕組みになっています。

ですから、この20年で危機管理に関してはかなり改善されたと言えるでしょう。世界的に見ても高い水準だと思います。それだけ不幸な災害が多い国だということでもありますが…。

また、自治体のマインドも変わってきていると思います。阪神・淡路大震災の2年ほど前、私が関西のある自治体に防災の調整に行くと「制服では来ないで下さい」と言われてしまいました。

そういう時代ですから、どこの自治体も本当に形だけの防災訓練を毎年9月1日に実施する程度でした。しかし、阪神・淡路大震災が契機となり、災害対応の主体は行政だという認識が改めて広がっていき、今では自治体と自衛隊による訓練が年間500件以上も実施されています。私が若かった頃からすると、考えられない話です。

また、「隊友会」という自衛官のOB組織があり、それぞれの地方組織が全国で30か所くらいの自治体と協定を結んでいます。あくまでもOBたちによるボランティア活動にはありますが、災害時には元自衛官としてのノウハウや知見が活かせますから、様々なお手伝いできると思いますし、とても良い取り組みだと思います。

ー災害派遣について、法制度面で今後どのような整備が必要だと考えますか?

折木:現在、憲法の緊急事態条項についての議論もなされていますが、そういう大きな枠組だけでなく、自衛隊や様々な政府機関が動くときに必要な細かな仕組みをもっと整備しなければいけないと思います。

例えば東日本大震災における活動では、ご遺体の収容など、自衛隊では通常できない事柄について、一時的な規制緩和が190項目くらいにわたって行われました。首都直下地震や南海トラフ地震を見据え、そうした項目をさらに検討するプロジェクトを作り、法整備をやっておいたほうがいいと思っています。

ー確かに、首都直下が起きた場合、また東日本大震災や熊本地震とは違う様相になりそうですね。

折木:災害は、その時々で状況が全く異なります。その特性に合わせて組織や部隊を動かすのは、とても難しいのです。毎回が「想定外」ですから。そういうことを考え出すと、指揮を執る者としては夜も眠れません。

たとえば、東京の住宅密集地帯で火災が発生し、自衛隊のヘリが上から数トンの水を撒けば消火でき、延焼を防げるかもしれない状況があるとします。しかし実行した場合、燃えていない家屋まで潰れることになるかもしれませんし、人命を失うこともあるでしょう。最終的には自治体の長の判断になりますが、ものすごく難しい判断になると思います。報道ヘリも含めた航空管制も、どこがやるのか。

あるいは、何万もの人がエレベーターに閉じ込められてしまうといった事態も起こりえます。大都市における、そのような被害の様相を考えなくてはなりません。

現在も中央防災会議などが様々な想定を出しながら、徐々に検討やシミュレーションが進んではいると思いますが、もっと具体的に、法制度面の検討もなされなければなりません。法的な備えがあればこそ、平時から自治体や警察、消防と連携する際の役割分担が想定できますし、訓練も可能になるのです。

関東で大地震が発生した場合は、災害派遣というより、自衛隊だけでは対処できない、国家の生存をかけた事態になると思います。そんな大災害が、今日、明日にも起きるかもしれないのです。

ーありがとうございました。

※筆者から:いま、熊本では豪雨による被害が拡大している。折木氏に話を聞いたのは、熊本地震の本震発生からちょうど2ヶ月となる6月16日のこと。

実家が被災した筆者と同じく熊本県出身の折木氏は、「仮に南海トラフ地震で関西・東海地方の自衛隊が被害を受けたとき、頼りになる自衛隊の拠点は、福岡と熊本になると思います」と、復旧・復興に期待を込めた。

取材を終え、折木氏と別れた直後、北海道で震度6弱の地震が発生したとのスマートフォンに速報が流れてきた。折木氏の言葉が筆者にリアリティを持って迫ってきた瞬間だった。

(おりき りょういち)1950年熊本県生まれ。第3代統合幕僚長。
72年防衛大学校(第16期)卒業後、陸上自衛隊に入隊。97年陸将補、2003年陸将・第九師団長、04年陸上幕僚副長、07年第30代陸上幕僚長、09年第3代統合幕僚長。12年に退官後、防衛省顧問、防衛大臣補佐官(野田政権、第二次安倍政権)などを歴任。
11年の東日本大震災では災害出動に尽力。12年アメリカ政府から四度目のリージョン・オブ・メリット(士官級勲功章)を受章。
著書に「国を守る責任 自衛隊元最高幹部は語る」(PHP新書)がある。