※この記事は2016年06月08日にBLOGOSで公開されたものです

東京五輪と2002年W杯は同じ構図?


 5月中旬、二週間ほどの欧州出張から戻ると、携帯電話の留守番電話、メールに多くのメッセージが入っていた。そのほとんどが東京五輪招致への電通の関与についての問い合わせだった。

 2月に上梓した拙著『電通とFIFA 』(光文社新書)の中で、2002年ワールドカップ招致の際、電通はISL社の株式売却益のうち約八億円を「ロビー活動費」に流用したと書いた。ISL社とは、電通とアディダスが設立した、W杯、五輪、世界陸上などの大会のマーケティングを担当する企業であり、2001年5月に倒産している。

 今年5月、英国の「ガーディアン」紙が、JOC(日本オリンピック委員会)と東京五輪招致委員会がコンサルティング企業に2億2千万円を支払い、それが元IOC委員に渡ったと報じた。介在したのは電通と関係があると思われる企業だった。これは2002年W杯招致で電通がISL社を使ったのと同じ手法ではないかとではないか、というのだ。

 ぼくは、いわゆる〝コメント取材〟を受けるのが好きではない。自分が使わない言い回しに押し込まれ、予め作られた文脈にはめ込まれるため、本来の意図が伝わらないことが多いからだ。

 あまり気は進まなかったが、きちんと連絡をとってきた幾つかのメディアの取材は受けることにした。

裏金なしの招致活動は“武装した相手に素手で戦うようなもの”

 ぼくは90年代からFIFAを中心に国際スポーツ政治を取材してきた。この世界をきちんと理解するには、長い歴史と人間関係を踏まえなければならない。そうでなければ薄っぺらいものになる。やはり、多くのメディアが持ち出してきたのは、「JOCと招致委員会が、金を払って票を買ったことはけしからん、その手引きをした電通はもっとけしからん――」という、ありきたりな設計図だった。

 W杯、オリンピックといった世界的なスポーツイベントの開催地決定には多くの金が動いてきた。開催地決定の投票権を持っているのは清廉潔白な人間ばかりではない、中には何らかの見返りを要求する人間も含まれているからだ。

 直近の例で言えば、2022年W杯開催地が、サッカーの新興強国となりつつあるアメリカではなく、不毛の地、カタールとなったのは、明らかに不自然だった。今回報道された数字とは、一桁、いや二桁違った金が動いたことだろう。

 それが様々な利権の絡み合ったスポーツイベントの現状である。ロビー活動費――裏金を一切持たずに招致活動することは、マシンガンで武装した相手に素手で戦うようなものだ。  この〝ロビー活動〟を日本は苦手にしてきた。

 国際スポーツ政治の主たる舞台は欧州であり、距離、言葉の壁がある。そして、その社会には濃厚な人間関係がある。

 どの人間が力を持っているのか、票をまとめることが出来るのか、そもそも誰の持っている情報が正しいのか――インナーサークルに入り込むには、〝顔〟が必要なのだ。

 今回、電通の人間の名前が取りざたされたが、こうした〝顔〟を持っているのは電通の中でも、ごく一部だけだ。そのため、JOCも招致委員会もそこに頼らざるを得なかった。

 また、日本は裏金を捻出するのが最も難しい国の一つでもある。電通は、株式上場前後から、コンプライアンス(法令遵守)に極めて厳格だった。『電通とFIFA』に書いたように、ISL社へ「ロビー活動費」を渡す際、当時の電通の会長は「使い方はISL社に任せること」と釘を刺している。

 ロビー活動は必要ではあるが、それ〝ややこしい動き〟には踏み込むなということだ。

欧米の報道を鵜呑みにするのは誤り

今回の東京五輪招致に関して、現時点で出ている情報を見る限り、日本の国内法、そしてIOC規定には抵触していない。

 JOCと招致委員会はコンサルティング企業にロビー活動を依頼。電通はその助言をした。そのコンサルティング企業がどのような活動をするかは、日本側は関知しない。あくまでも、善意の第三者という立場を守った。

 もちろん、今後の捜査の行方を見なければならないが、「疑わしきは罰せず」、という原則に照らし合わせれば、非難される部分はない。

 だから、電通側からすればこういう言い方もできる。

 自分たちに泥が被らない、規定すれすれ、二億円程度の「裏金」で約八九億円もの招致活動費が死に金にならずに済んだ、と。

 最初にぼくが「ありきたりな設計図」と評したのは、日本のメディアは「モラル」の問題で騒いでいるからだ。

 しかし、国際スポーツ政治の世界こそ、モラルなき世界である。規制に引っかからなければ、なんでもあり、なのだ――。

 FIFAにしてもIOCにしても、本当に腐敗を撲滅したいと思うならば、専門家を使って規定、罰則規定を徹底的に厳しくすればいい。しかし、いつもどこか抜け道があるように見えるのは、文化、風習、常識の違う国が集う国際組織では、ある程度の〝遊び〟と〝柔軟性〟が必要であると理解しているからだろう。

 ぼくは五輪、W杯といったスポーツイベントの開催地は、開催提案書、各国のインフラ設備等々を慎重に吟味して、「裏金」なしに決めるべきだと考えている。しかし、残念ながらはそれは難しい。

 五輪は巨大なビジネスである。開催地に立候補し、招致競争に参加した段階で、魑魅魍魎の闇の中を歩いているのだ。

 そして、最後にこれだけは付け加えておきたい。

 国際的な捜査、そして報道には様々な意向が埋め込まれている。

 FIFAの腐敗摘発にアメリカが乗り出したのは、2022年W杯招致でアメリカがカタールに敗れたことが一つのきっかけだった。そのカタールに肩入れしたのは、フランスのUEFA(欧州サッカー連盟)元会長のミッシェル・プラティニだ。前述のように、カタールW杯には、東京五輪とは比べものにならない金が動いた――はずだ。

 今回のガーディアン紙の報道の元になったのは、フランス検察当局の動きだった。

 金にまみれた招致活動を正すというのならば、フランスの検察当局はどうして同国人のプラティニの関与が濃厚なカタールW杯に手を出さないのだろう。さらに、東京が開催地失格になった場合、ロンドンという欧州の都市名が早くから挙がったのはなぜか。疑問はいくつも出てくる。

 日本の媒体は欧米の報道を全面的に信用して、鵜呑みにする傾向がある。ジャーナリズムの基本ではあるが、情報の質、その裏側にある意図は精査しなければならない。

 新国立競技場の問題など、東京五輪を巡る金にまつわる話はもううんざりだ。しかし、招致を巡るこの一件はそれらとは少々性質が違うとぼくは考えている。

リンク先を見る
電通とFIFA サッカーに群がる男たち (光文社新書)
posted with amazlet at 16.06.10
田崎 健太
光文社 (2016-02-18)
売り上げランキング: 6,509
Amazon.co.jpで詳細を見る