「カップルにも観て欲しい」~衝撃作『葛城事件』赤堀雅秋監督に聞く - BLOGOS編集部

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※この記事は2016年06月06日にBLOGOSで公開されたものです

劇作家・演出家の赤堀雅秋氏が監督を手がけた映画『葛城事件』が6月18日から公開される。

本作は赤堀氏による舞台作品を映像化したもので、抑圧的に家族を支配する葛城清(三浦友和)を中心に、一家が崩壊していく過程を衝撃的に描く。

少しずつ精神を病んでいく妻・伸子(南果歩)、仕事での人間関係に悩み続ける長男・保(新井浩文)、そして無差別殺人を起こしてしまう次男・稔(若葉竜也)は、反省の色を見せず、早期執行を訴える…。

今回、赤堀氏はなぜこのような衝撃作を世に問うたのか。話を聞いた。【大谷広太(編集部)】

■考えるきっかけを提供したかった

ーいま、このタイミングで本作を映画化しようと思った理由はなんだったのでしょうか。

僕自身そうなのですが、死刑制度だけでなく、あらゆる社会問題や国際問題について、自分の生活と地続きにあるんだということがなかなか想像できないと思うんです。テレビでニュースを見ていても、"対岸の火事"だと傍観しまいがちです。事件についてもエキセントリックな面ばかり注目され、私たちもその枠の中で、特異なものとして思考してしまっているのではないでしょうか。

5年ほど前、ひょんなことから死刑制度について関心を抱き、本や資料を読むようになりました。恥ずかしながら知っていたのは表層的なことばかりで、死刑や犯罪が自分とも地続きにあるということに対し思考停止していたと気付かされました。一歩踏み込んで考えてみると、世の中、実はそういうことだらけなんですよね。

また、今、政治・経済の仕組みそのものや、人間の幸せとはどうあるべきか、そういうことを考えなくちゃいけない時期にきているのかなとも思います。僕は劇作家としても演出家としても、「社会派」とは呼ばれたくないなと常々思っているんですけど(笑)、もう逃げている場合ではないという感じがしていました。

この作品は実在の6つの事件をモチーフにし、自分の中で咀嚼して作ったフィクションですが、観た人の想像力を喚起して「死刑ってなんだろう」「家族ってなんだろう」「殺人ってなんだろう」など、少しでもいいので、考えてみるきっかけになってくれたらいいですね。

ニュースもなんとなく流し見していたのが、「実は加害者、こうなんじゃないの?」「この報道の仕方、どうなんだろう」「実は被害者は、こうなんじゃなかったのか」と立ち止まってくれるようになってくれれば、この作品を世に出した意味があったのではないでしょうか。

■フィクションを作る意義

ー作中の次男同様、「死刑になりたい」という加害者に対し、果たして死刑を執行することは"刑罰"なんだろうかという疑問があります。

そうですね。暫定的なものではありますが、僕にも死刑制度をどうすべきかについての思いはあります。ただ、ずるいかもしれないけれど、作品の中では「死刑廃止」「死刑存置」のどっちが良いとは言いたくないんです。むしろ、そこで「絶対廃止したほうがいい」と主張するのは危険だと思うんです。観た方々に、まずは現状に疑問を持ってもらう機会にしてほしいので。

ー結論が先にあり、そのために作品を作る、というスタンスではないわけですね。 それがフィクションを作る意義だと思っているんです。そうでなければ政治家やコメンテーターになればいい。

僕は受け手の想像力を喚起したいんです。もちろんプロフェッショナルですから、それに応じた仕事をしなければならなのも重々承知の上なんですけど、自分自身無知ですから、仕事を通じて色々なことを感じたい、考えたいという思いがすごく強いんです。作品を通じ、"上から目線"で言うようにはなりたくないなと。

ーそういう意味でも、観た後に"悩む"タイプの映画ですよね。

そこが目指すところでもありますが、それだけに感想が述べづらい、カテゴライズもしづらい作品だと思います。「死刑っていけないんだな」、家族ってこうあるべきだ」など、わかりやすい答えを提示しているわけでもないですから。でも、「わからなかった」と括られてしまうとそれはそれで悲しいですけど(笑)。

もちろんエンタテインメントですから、お客さんに喜んでもらいたい=感情移入してもらって、泣いてもらったり、憤ってもらったりしたほうが、作り手としては健全かもしれません。ただ、本作については「そうであってはいけない」と戒めながら今に至っています。

僕が偉そうに言うことではありませんが、昨今、わかりやすいエンタテインメントばかりが求められていて、そうでないと受け手側が怒ったり、クレームが来たりするようになってしまいました。でも、これってとても危険な傾向だと思います。

報道を見ていても、視聴者が受け入れやすく、刺激が多い編集の仕方をしているでしょう。現段階では"容疑者"であるのに「ここまで報道していいのか?」と思ってしまうことも多い。視聴者が見たいものを見せるのが仕事なのかもしれないが、そこに迎合だけをしていては危険なサイクルに陥る可能性が高い。大げさかもしれませんが、この状況こそが、実はこの作品で描いたような事件にも繋がっていると思うんです。

僕自身、一過性であっても受け入れられたいし、お金も仕事も欲しい(笑)。わかりやすいものは需要もありますから、そうなりがちです。しかし長い目で見れば、それはどっちにとっても不幸なことだと思います。

"わからないものはわからない"、ということや、スルーしていたことについて考える労力が少しでも世間で見直されれば、もっと平和になるのではないでしょうか。

■「平々凡々な家」が決め手になった

ーそうならないよう、制作する上で気を遣った点は何でしょうか。

もちろん全てが大変だったんですが、加害者が主人公の話ですから、加害者側に感情が偏り過ぎてはいけないというジレンマを抱えながら、脚本の段階から制作していました。ラインの引き方というか、どこまで加害者に寄せて描いたらいいのかというところは、ロケーション、演出、編集、音楽の付け方に至るまで、全て自分の中でせめぎあいがありました。

例えば、「彼らはどういう家に住んでいるのか」ということ一つとっても難しかったんです。ロケハンでは当初、「近所にあったら嫌だろうな」というような、「負のオーラ」がある家を探していたんです。なかなかそれが見つからずに悩んでいた時、制作のスタッフが「これは違うと思ったんですけど…」と出してきた家が、とても平々凡々な家の写真だったんですね。それを見た時に頭を叩かれた思いがしました。「そうだ、こういう映画を作らなくちゃいけないんだ」と。

エキセントリックな事件を、エキセントリックな人物像で、エキセントリックな場所で「どうだ」とやって見せて何の意味があるのか、それでは本末転倒じゃないか、と思ったんです。だから、あの家が見つかった時に、方向性も定まったと思います。

ー食事のシーンが印象的でした。様々な場面で、登場人物が「食べて」いますね。

舞台でも、食べる描写には固執してきました。その人の自覚的なところじゃなくて、無防備な、潜在的な部分が出てくるのが食事ではないかと思うからです。食べ物って、人間形成にとっても大事だと思いますし、僕もすさんでいるときは、すさんだものを食べている(笑)。

ー父親を演じた三浦友和さんをはじめ、みなさんのキャラクターにリアリティーがありました。自分が同じ立場になったとき、果たしてどう振る舞えるだろうかと突きつけられました。

三浦さんが演じる「葛城清」という人物については、自分の父親とも通じるところがありますし、もちろん僕自身、劇団という小さい世界の中で、こういう面があるだろうなと思いながら脚本を書きました。

このような題材、役柄というのは、ややもするとナルシシスティックに演じてしまいがちです。殺人者になる次男、精神を病む母、リストラに遭って葛藤する長男、いずれも役者が陶酔しやすい役柄なんです。お客さんに衝撃を与え、エンタテインメントとしても刺激があるような、語弊はありますが"面白いもの"にもなりやすいんですね。

ですから、そこは演出する側としても、現場で「今のはやり過ぎなんじゃないか」とか「加害者に同情しすぎじゃないか」と自問自答しながら作っていきました。

ーなにか、ふとした拍子の"ボタンの掛け違い"から、自分にも起こりうることかも知れない怖さも感じました。

それは嬉しい感想です。バイオレンスとか、いわゆる“エグい映画”にカテゴライズされてしまいそうなのですが、それは違いますからね。知人も、「自分にも幼い息子が居て、ちょっと身につまされた。そんなつもりで生活しているわけじゃないんだけど、こういう風になる可能性はゼロではないなと感じた」と言ってくれました。

■「よくわかんなかったー」とか言うような野郎とは別れろ

ーどういう人に観てもらいたいですか?デートで観に行く映画ではなさそうですが…(笑)

一人で観に行く人が多い映画でしょうね。少なくともデート映画ではないよね(笑)。でも、やっぱり中高生と親御さんに観てもらって、あとで色々と話してもらいたいなと思うんでうすよね。友達同士でも良いと思います。

もちろん、デートでも見て欲しいんですけどね(笑)。"惚れた腫れた"っていう映画ももちろん大事ですけど、恋人同士で観て、観終わった後に話し合ったら、もっと深まるんじゃないんですか?

ー人間性が出ますよね。

逆に「こいつとは別れたほうがいいな」って思うかもしれない。「よくわかんなかったー」とか言うような野郎だったたら、女子は別れた方がいいような気がする。結婚を考えているんだったら尚更(笑)。だって、いざ深く付き合って、結婚したら化けの皮が剥がれるわけだから。この映画の、化けの皮が剥がれた家族を見て、どういう感想が出るかですよ。

(あかほり まさあき)1971年8月3日生まれ、千葉県出身。
劇作家、脚本家、演出家、俳優。 劇団「THE SHAMPOO HAT」の旗揚げ以来、全作品の作・演出・出演をこなす。人間の機微を丁寧に紡ぎ、市井の人々を描くその独特な世界観は赤堀ワールドと称され、熱狂的なファンを持つ。第57回岸田國士戯曲賞を「一丁目ぞめき」(上演台本)にて受賞。2014年、シアターコクーンにてBunkamura25周年作品の1つとして、「殺風景」(作・演出)を発表、昨年に続き今年も「大逆走」(作・演出)を公演し、最も勢いのある劇作家として注目を集めている。初監督作品『その夜の侍』(12)では同年の新藤兼人賞金賞、ヨコハマ映画祭・森田芳光メモリアル新人監督賞を受賞。モントリオール世界映画祭(ファースト・フィルム・ワールドコンペティション部門)、ロンドン映画祭(ファースト・フィーチャー・コンペティション部門)、台北金馬奨映画祭などに正式出品され、各方面で話題になった。