「″障がいを乗り越えてやっている″と思って欲しくない」パラリンピアン・田口亜希さんに聞く 障がい者スポーツのこれから - 土屋礼央

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※この記事は2016年06月03日にBLOGOSで公開されたものです

リンク先を見る 土屋礼央の「じっくり聞くと」、第4回は女子射撃選手の田口亜希さんにインタビュー。田口さんは豪華客船「飛鳥」で働いていた25歳の時に脊髄の病気を発症し、車いす生活に。その後射撃でアテネ、北京、ロンドンと3大会連続のパラリンピック出場を果たしているパラアスリートです。

田口さんにとって、パラリンピックとはなんなのか、障がい者にとってのスポーツとはどんな存在なのか、今回も土屋礼央が「じっくり」聞いています。
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土屋:「土屋礼央のじっくり聞くと」、第4回の今日は女子射撃選手の田口亜希さんに、パラリンピックについてうかがいます。よろしくお願いします。

田口:よろしくお願いします。

土屋:今年4月から帯でラジオ番組を始めたんですが、その中でもパラリンピックを目指すアスリートを紹介するコーナーをやっているんです。個人的にはオリンピックが大好きでよく見ているんですが、これまでパラリンピックに関してはテレビでそんなにやってなかったですよね。

田口:そうですね、今まではテレビで放送されることも少なかったかもしれません。2020年の東京開催が決まってから、盛り上がってきてはいるんですけれど。

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■豪華客船「飛鳥」の乗組員からパラリンピアンに

土屋:田口さんは、どうして射撃を始めたんですか?

田口:私は25歳の時に病気で足が悪くなったんですけど、それまでは客船の初代飛鳥で乗組員をしていました。その船で働くことが決まって東京のホテルオークラで研修している時、お客様から「クレー射撃ができる客船があると聞いたんだけど、君のところではできるの?」と聞かれたのが興味を持ったきっかけです。

病気になってリハビリ専門の病院に入って、「車椅子でもできる競技ってなんだろう」という話をしていた時に「射撃もあるよ」と教えてもらいました。その後、ある人からビームライフル(光線銃)に誘われて、初めて銃を持ったんです。その時はパラリンピック出場とか全然考えていなくて、仕事をやりながら趣味として何かやりたいなと思って始めました。

それで初めてビームライフルの試合に出場したときに、なんとビギナーズラックで優勝したんですよ。それが2回くらい続いて、当時のコーチに「銃刀法の許可を持って、実弾の射撃をやってみないか」と誘われました。

土屋:田口さんがやってらっしゃる射撃って、どんな競技なのですか。

田口:射撃競技には「ライフル」と「ピストル」の2つがありまして、私の場合はこのライフル競技をやっています。種目でいうと「伏射」という、伏せて銃を構える打ち方ですね。健常者の方は床に伏せて撃ったりするんですけど、私の場合は床に伏せて撃つことができないので、テーブルを置いて撃つかたちになります。

土屋:射撃ってテレビで見ると画面が分割されていますが、生で見る時はどうやって楽しめばいいですか。

田口:射撃場って、選手の撃っている上にスクリーンがあるんです。そこに、どこに撃ったかとか、合計点数などが表示されます。ボーリングに似てるかな。でも、射撃場は静かで応援の人は声が出せず、1点落としただけでも結果が左右されるので、見る人はあんまり楽しくないみたいですよ(笑)。家族なんかはドキドキするって。

土屋:集中してるから、声も出しちゃだめですもんね。

田口:私のやっているエアライフルでは60発撃つんですが、60発全部10点圏に当てないとファイナルにも残れないんです。そういう意味では、射撃はすごく精神的な勝負なんですね。

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■「障がいを乗り越えてやっている」と思ってほしいわけではない

土屋:田口さんにとって、パラリンピックはどういう存在ですか。

田口:障がい者にも先天性とか後天性などがありますが、私のように途中から障がい者になった者は、それまで自分でできていた事が、いきなり何もできなくなるんです。腹筋がないから、最初はベッドから起き上がることもできない。ごはんを食べていてお箸を落としたらそれも拾えない。

自分がそうなった時「先のことを考えるのをやめよう」と思ったんです。先のことを考えると、私には未来がないと思ったし、自分の1年後を考えるのが怖かった。だから今日何をするか、目の前のことだけを考えようと思っていました。

射撃も最初はただ誘われたからやっていただけなんですが、どんどん試合に出るようになったある時、監督に「このままいったら、2年後のパラリンピックにでられるかもしれないよ」と言われたんです。そこで初めて「2年後か。それなら次のワールドカップでこれをとって、何ヶ月後には…」と目標を立てていて。その時、自分が2年も先のことを考えていることにびっくりしたんです。

スポーツをするとそういう具体的な目標が持てるんです。健常者もそうですが、「次回は1点でも多く点数をあげたい」というような、具体的な目標を持ってすすめていけるのがスポーツの素晴らしさではないかと思います。

土屋:オリンピックと並んで、商業ビジネスベースのプロのパラリンピアンが増えることは?

田口:仕事としてアスリートをやっていくのも、ひとつの方法だと思います。メダルをとりたい、有名になりたい人もいると思うし。でも観ている人の中には“障がいを見世物にして”という人もいるかもしれませんね。

アスリートの立場で言わせてもらうと、別に「この人は障がいを乗り越えてやっている」と思ってほしいわけではなく、ただ単にみんなと同じようにスポーツが好きで、好きなことをやって上を目指しているとわかってもらいたい。

パラリンピックの父と言われている、イギリスのルートヴィヒ・グットマン博士の言葉に「失くしたものを数えるな、残されたものを最大限に活かせ」というものがあります。別にこれをいつも思っているわけじゃないんですが、後ろを振り返るのではなく前を向いていくのは大切だと思うんです。

土屋:なるほど!

田口:たしかに、私たちは生活していて不便なこともあります。車椅子に乗っていて、子供なんかが無邪気に触ろうとするとお母さんは「やめなさい」っていいますが、反対に興味を持ってもらって、みんなで一緒に楽しい世界を作ることを考えてくれたらいいんじゃないかな。

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■子供の頃から障がい者と触れ合うことが大切

土屋:本日伺っている日本財団パラリンピックサポートセンター、関連競技団体の事務所がズラッとと並んでて、僕も先ほど一回りしてきたんですが、いろんな競技があるんですね。

田口:私のやっている射撃のオフィスもあります。それまでは自宅が事務所、という団体も多かったので、ほんとうに助かっています。それにいろんな競技の方とお会いできるので、横のつながりもできてありがたいです。

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土屋:子どもたちと触れ合うようなこともやっているとか

田口:そうなんですよ、そのあたりは日本財団パラリンピックサポートセンターの本山さんが詳しいです(笑)

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本山:日本財団パラリンピックサポートセンターの本山です。

土屋:お願いします(笑)

本山:日本財団パラリンピックサポートセンターでは「あすチャレ!」という事業をやっておりまして、実際、パラスポーツを見たことがない方が多いので、パラアスリート、パラリンピアンが、学校に行って実際にパフォーマンスを見せて、子供たちも実際に体験してみる授業を行っております。

まずは車いすバスケットボールから始めているんですけれども、子供たちも実際に競技用の車いすに乗ってみて、バスケをやってみる。その上で「障がいってなんだろう」とか、「自分たちに出来ることはなんだろう」ということを考えてもらっています。

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土屋:子供たちは実際にやってみると変化がありますか?

本山:パラスポーツを見せると子ども達の眼の色が一瞬で変わります。体験すること、間近で見ることで障がい者に対するイメージもガラッと変わるので、子どもの頃から障がい者と触れあうことが大切だと思います。

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■遠征費用の自己負担は「当たり前」だった

土屋:パラリンピックって、そもそも全部で何競技あるんですか?

田口:ロンドンでは20競技、リオでは2つ増えて22競技になって、東京ではバドミントンとテコンドーが増えます。ただ脳性麻痺の7人制サッカーとセーリングがなくなるので、全部で22競技ですね。

土屋:日本は、どの競技が強いんですか。

田口:水泳は木村敬一選手なんかが、これからもっとメダルをとっていくと思います。あとは何といっても車椅子テニスの国枝慎吾選手ですね。

あとはゴールボールといって、鈴が入っているボールを投げ合う視覚障がい者のサッカーみたいな競技があるのですが、これが2012年のロンドンパラリンピックで女子が金メダルをとりまして、日本のパラの団体競技では初めてのメダルだったので今後も期待されています。

土屋:アスリートの現役引退後の支援的なものはありますか?

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田口:2020年にむけて、「アスナビ」というアスリートの就職支援システムが始まったんですね。まずはJOCがオリンピアンを対象に、企業とアスリートをマッチングさせようとしています。JPCもそれに入って、パラリンピアンも15名程が企業の支援を受けています。おかげでだいぶ競技生活をしやすくなってきてはいます。

北京パラリンピックが終わるくらいまでは、遠征に行く時に自分の遠征費用を出すのは当たり前で、監督やコーチの分もみんなで頭割りする感じだったんですが、今は監督やコーチの分は持ってもらえたり、荷物が重い競技でも、飛行機会社がスポンサーについてくださっていて重量オーバーしてもその分は免除してもらえるとか、少しずつよくなってきているとは思いますね。

土屋:今日はいろいろと勉強なりました。僕も非公認応援団として、パラスポーツを広めていきたいと思います。

田口:非公認ですか(笑)!? これからリオまでの間に先行試合もありますし、リオにいらしていただいてもいいですよ! リオが終わったら、日本でも次回のオリンピック開催国としてプレパラリンピックとか、ワールドカップとかいろんな競技で開かれると思うので、まずはそちらを見ていただいて、その中で楽しいなと感じたら、それを広めていただいたらと思います。ぜひ2020年は会場で生のパラリンピック競技を観ていただけたら嬉しいです。


プロフィール

■田口亜希
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1971年、大阪市生まれ。大学卒業後に郵船クルーズに入社。25歳のときに、脊髄の血管の病気で車いす生活となる。アテネ、北京、ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場し、アテネでは7位、北京では8位入賞。

■土屋礼央
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1976年、東京都国分寺市出身。RAG FAIR として2001年にメジャーデビュー。 2011年よりソロプロジェクト「TTRE」をスタート。ニッポン放送「土屋礼央 レオなるど」、TOKYO MX2「F.C. TOKYO魂!」、FM NACK5「キラメキ ミュージック スター キラスタ」などに出演中。
・土屋礼央 オフィシャルブログ
・Twitter - 土屋礼央 @reo_tsuchiya

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◇土屋礼央のじっくり聞くとシリーズ


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・「とにかくやりたいことをやろう」立川流真打・立川志ららが落語家になったワケ - 土屋礼央の「じっくり聞くと」(第2回・前編)
・「落語は書いて覚えるな」真打まで18年の修行道 - 土屋礼央の「じっくり聞くと」(第2回・後編)
・ゲーム実況で生きていけるの?人気実況者・茸が明かす「稼ぎのカラクリ」- 土屋礼央の「じっくり聞くと」(第3回)