※この記事は2016年01月30日にBLOGOSで公開されたものです

 産経新聞社が発行する論壇誌『正論』の2016年2月号に掲載された「メディア裏通信簿」の中に、不思議な記述がある。

 「シールズにISからメール?」という中見出しがつけられた中で、以下のように書かれている。

----ここから引用----
 女史 大女優の吉永小百合さんが報道ステーションに出演して「武器を持たないということが積極的平和主義」と強調してたけど、それじゃ、平和は守れないよね。そう言えば、「SEALDs淫夢同好会」と名乗る人がツイッターに「イスラム国の皆さん、酒を酌み交わし対話しましょう。私達は暴力ではなく話し合いで解決しなければなりません」と書いたら、アラビア語でメールが届いたんだって。翻訳ソフトにかけると…

 編集者 IS支持者ですかね? なんて書いてあったんですか。

 女史 《イスラムはアルコールを飲まない。神は禁止です。私たちはあなたを殺す》だって。

 編集者 (笑)

 教授 このメールはISじゃないかもしれませんが、要はそういうことです。テロリストと話し合いで解決できるというのは、おとぎの国のディズニーランドでしか通用しないファンタジーです。
----ここまで引用(*1)----

 なんだこれは、たまげたなぁ。ネット事情にそこそこ詳しい人なら明らかに「これはダメだろう」という部分が見つかるはずだ。それはもちろん「SEALDs淫夢同好会」である。わからない人のために明確にすると「淫夢」という言葉が使われている時点で気をつけるべきアカウントなのである。

 「淫夢」とは、元々は男性同性愛者向けのアダルトビデオのタイトルから来ており、ネットでは様々なの男性同性愛者向けのAV作品などから取り出した男優たちの面白い言い回しなどが「淫夢語録」というネットスラング群として流通している。

 例えば「アッー!」や「はっきりわかんだね」や「◯◯スギィ」などが淫夢語録である。あとは「疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう」というような言い回しをTwitterなどで見たことがある人もいるだろう。これらの言葉は広く流通しており、元ネタが男性同性愛者向けアダルトビデオだと知らずに使っている人も多いはずだ。僕は知らなかったのだが、実は「小並感」や「草不可避」という言葉も淫夢語録だそうだ。

 さて、では「SEALDs淫夢同好会」を取り上げたことの何が悪いかといえば、淫夢と付いている時点でネタアカウントである可能性というのを認識できていないという点である。

 さて、メディア裏通信簿に登場する「女史」は、多分この辺りのまとめサイト(*2)をみて、このことを知ったのだと思う。

 まとめサイトを見るに、「SEALDs淫夢同好会」が「イスラム国の皆さん、酒を酌み交わし対話しましょう」と、ISIS関係者と思わしき「isis_bin_ya_ju」にレスポンスを送っている。そして「isis_bin_ya_ju」から「イスラムはアルコールを飲まない。神は禁止です。私たちはあなたを殺すつもりです」という返答を受けている。

 つまり、SEALDsはイスラム教徒に酒を勧めるほど、モノを知らない連中だという批判として、この流れが扱われているのである。

 しかし事実はそうではない。

 この話。元々は、SEALDsの抗議集会で福岡の大学生が「中国や韓国が攻めてくるというなら、僕が九州の玄関口でとことん話して酒を飲んで食い止める。それが本当の抑止力だ」というスピーチをしたという話である。これをネットでは「アホ」「お花畑」として揶揄していたのである。

 それをSEALDs淫夢同好会が利用して、イスラム国の人に向けて送ったのである。だからそもそも「酒を飲んで」という言葉はイスラム教徒に向けたものではない。

 さらにもう一つ重要な事がある。このISIS関係者という思わしきアカウントも、実は淫夢同好会と同様のネタアカウントである可能性が非常に高いのである。ISISの指導者であるバグダディの写真とあちらの文字に惑わされがちだが、もう一度「isis_bin_ya_ju」というIDを見てほしい。このIDは「ISIS_bin_野_獣」なのである。「野獣先輩」も淫夢ネタで有名な名前である。

 つまり、この一連の流れ自体が「イスラム教徒に「酒を飲んで話そう」と話しかけ、殺すという反発を受ける、脳内お花畑のSEALDs」という印象を植え付けるために作られた「ネタ」なのである。メディア裏通信簿の女史は、完全にこのネタに釣られてしまったわけだ。

 そもそも「話し合いでは解決できるというのはファンタジーだ」という結論を導くためだけなら、元々ネット上で揶揄されていた「中国や韓国が攻めてきても、話して酒を飲んで解決できる」というスピーチの話だけでも十分なはずだ。ところが正論は、真偽をろくに精査せずにSEALDsをあざ笑うために、事実に基づかない「ネタ」の方を誌面に掲載してしまったのである。これは正論編集部のチョンボと言っていいだろう。

 さて、淫夢ネタは過去にも日本で大きな問題を引き起こしたことがある。

 2010年に尖閣諸島で発生した漁船衝突事件の問題である。海上保安庁のビデオ流出など様々な事態に発展した問題であるが、そのなかで「海保職員が死亡した」「中国漁船の乗組員にモリで突かれた」などというデマが発生した。これらのデマに信憑性を増すために「谷岡と佐川いう職員が殉職した」という具体的な名前が付け加えられたが、この谷岡と佐川もまた、淫夢ネタとして頻繁に登場する人物である。(*3)

 結局、件の事件では死者が出たということはなく、デマであるということは明らかとなった。しかし、問題が錯綜する中でこうしたデマを真に受けて中国に怒りを覚えたり、中国脅威論を新たにするような人もいたのである。狙ったのかたまたまかは分からないが、淫夢ネタによる印象付けが、ある政治的なスタンスを強化するという結果を産むこともあるのだ。

 こうした淫夢のようなネットスラングを利用した「ネタ」は、ネット上にありふれているし、みんなが気軽に書き込むものである。

 そうしたネタを「相手を叩くのに都合がいいから」と、何かを論じたり報じたりするときに、みだりに扱うことは、その論者や媒体に対する信頼を失わせることに繋がる。十分に注意する必要がある。

 しかし一方で、ネットスラングというのは常に移り変わっていくものである。淫夢語録はまだ広く知られているし、少なくとも尖閣問題があった以前から使われている息の長いネタである。しかし淫夢以外にも新しいネタがネットの上で次々と産まれては忘れ去られて消えていく。移り変わりの激しい中で、ネットスラングを使ったネタを100%見抜き続けることは不可能と言っていいだろう。

 ならばネタを見抜くことにこだわるのではなく、扱う情報をしっかりと精査し、何が事実で、何がグレーゾーンで、何が嘘かということをしっかりと区分けしていけば、淫夢ネタのようなネットスラングに安易に釣られることは少なくできるのではないかと思う。

 結局は、日頃から情報の精度を気にする態度こそが、書き手や媒体にとって重要であると言えるだろう。淫夢ネタに引っかかってしまうのは、日頃から情報の読み解きがいい加減だという証拠に他ならないのだ。

*1:【メディア裏通信簿】古館伊知郎さん! テロリストと安倍首相、悪いのはどっちですか?(産経ニュース)
*2:【SEALDs】「他国からの武力攻撃に対して酒と話し合いで解決する」脳内お花畑SEALDsの主張をそのままイスラム国twitterに伝えた結果→SEALDsが殺害予告されるネタがtwitterで大受け3000RT(ハムスター速報)
*3:山本弘のSF秘密基地BLOG:「谷岡敏行氏殉職事件」の拡散過程【都市伝説】(山本弘)