隈研吾氏「ザハ案と類似しているとは全く思っていません」 - BLOGOS編集部

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※この記事は2016年01月15日にBLOGOSで公開されたものです

新国立競技場の整備問題で、大成建設・梓設計とともに提案、決定された"A案"を設計した建築家の隈研吾氏が15日、日本外国特派員協会で会見を開いた。

1度目のコンペに参加しなかった理由について隈氏は「最初のコンペの時は参加の条件が非常に厳しかったんです。プリツカー賞とか、AIAゴールドメダルとか、そういう有名な賞をもらっていないと応募できないと。私はその時もらっていなかったので、"お呼びじゃないな"と思って(笑)」とコメント。今回の案を設計する上では、環境面とコスト・スケジュール面を最重要視したという。日本の木材を使用、日本建築に見られる庇の下の軒やそれによって出来る陰を用いて、神宮外苑の森との調和を目指していることなどを海外メディアに説明した。

デザインが類似しているとは全く思っていません

今回の会見は昨年12月に決定していたが、奇しくも前日にザハ・ハディド氏がこの"A案"について自身の案との類似を主張していると報じられており、海外メディアからもこの点についての質問が出された。

これについて隈氏は「ザハさんとJSCのやりとりについては詳細は知らない。私のところには全く連絡がない」とし、「デザインが類似しているとは全く思っていません」「環境とコストのことで決めたので、絵を見て頂けるとすぐ分かると思います」と強調し、ザハ案と自身の案との違いについて以下のように説明した。

ザハ・ハディドさんの建物はすばらしい建物だったと思います。とてもユニークな形で、彼女の哲学が現れている建築だったと思います。

その"似ている"ということに関して言うと、ザハ・ハディドさんの建物とは私の建物とは、皆さん見てわかるように全く違う印象を与えると思います。その理由は ザハ・ハディドさんは「サドル型」といって、観客席の両側を大きく立ち上げています。我々はなるべく建物を低く低く抑えようとしたので、全部水平にしました。水平にすることによって、目立たなくて良くないんじゃないかというひともいましたけど、私はなるべく低く低く水平にして周りに対して溶けた感じにしようとしたのです。

それから、スタジアムの大きな構成で言いますと、我々は3段で作っています。3段にするというのは、8万人の規模だと3段が一番観客席とアスリートを近づけるので、私の調べた所だと、最初のコンペで選ばれた11案の中で7案は3段なんですね。なので、8万人のスタジアムのときは、3段というのが一番リーズナブルな回答だと思います。ザハさんも我々も両方3段なんですけど、3段にしたときに、観客席からサイトラインと言って、全てのアスリートが見えるように計算をすると、一番適正な角度が決まってくるので、ザハさんの角度が私に似てくるというのは、アスリートから見えるようにすると、自動的にそれに近い角度が出てきます。

もう一つ細かいディティールの話なんですけれど、座席の並びも東京都の火災予防条例というもので決まった座席の配列の仕方があるんですね。それをすると、大体同じような配列でしか通らないので、ザハさんはそこも言っているのかもしれませんが、座席の配列が似てくるのは同じ法律、同じ敷地の形、同じトラックの形になるので自動的に似てくると。そういうふうな宿命にあります。

そういうディティールにもかかわらず、我々とザハさんとは基本的に実現しようとしている建物のコンセプトが違いますので、大きな配置ーさきほどサドル型とフラット型と言いましたけれども、基本的に私の建物とは全く違う建物だということはわかっていただけると思います。

一方、ザハ氏が外国人だったことに原因があると思うかという質問については、

私は、外国人に国のスタジアムを任せたくないという、そういう気持ちが働いたという風には思いません。

ただ、外国の建築家が日本で働くときは、仕事はしにくいだろうなというのは感じます。それは僕自身の体験から、僕が海外で仕事をするとき、やっぱり仕事は実は結構しやすいんですねヨーロッパでも中国でも仕事が今すごくしやすくなっています。外国人が来てデザインすることに対してすごくウェルカムな空気を感じるんですね。それが日本に本当にあるかどうか。

私自身は外国人として日本を体験していないので、わかりませんけれども、たとえば英語でのコミュニケーションとか独特の会議のやりかたとか、そういうことが日本ではあるんじゃないかなと思うので、やはりまだまだ日本は努力して、もっと外国の人に門戸を開かなければいけないというふうに考えています。

と答えた。

ラグビーW杯決勝間に合わせてくれ、という声も…

また、「ラグビーワールドカップの決勝戦にせめて間に合わせてくれ、というような要請があるか」との問いに対しては、

インフォーマルではありました(笑)。"間に合わないの?"って。"2ヶ月違えば間に合うじゃない"、という話は関係者の方から伺いました。ただ、今のギリギリの工程表から、2ヶ月はすごく大きい2ヶ月なので、専門家が、責任ある答えを出せるように検証していると思います

とコメントした。

「聖火台の位置はまだ」

「1954年東京オリンピックのときに10歳だった。丹下健三の設計した代々木の体育館を父親と訪ねて、そのとき建築家になろうと決めたんです。代々木の体育館は今でもすごく美しい、時代を超越した建築です。自分の建築も、子供たちが美しいと思ってくれたら嬉しい」という隈氏。

「聖火台はどこにおつけになるんですか」との質問には、「私も聖火が階段を登っているシーンは覚えています。クライマックスになりますので、スポーツ関係者や、これから出てくる開会式を演出する方たちとのディスカッションの中から決まっていくと思います」と、聖火台の位置は特定されていないことも明かした。

現在、「プロセス自身いろいろなことがあったということで、普通の国立のスタジアム以上に世界の人たちが着目している。世界中の専門家から環境面などについて山のようにメールを頂いています」「今手がけているフランスのプロジェクトでも、セキュリティの問題が非常に議論になっている」と言い、そうした問題についてもヒアリングやディスカッションを重ねながら進めたいとし、「昔の建築家は、そういうものを無視するエゴイスティックな部分もあったけれども、これからの建築家というのは、そういうものに誠実に応えるということが責任だと思っている」と締めくくった。