※この記事は2015年08月10日にBLOGOSで公開されたものです

端島炭坑(通称・軍艦島)=長崎市(共同通信社)
2015年7月、ユネスコの世界遺産委員会が全会一致で「明治日本の産業革命遺産――製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の世界文化遺産登録を決定した。また、2017年の登録を目指し、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が政府の推薦を受けることが報じられている。

現在、世界では1000以上の世界遺産が登録されており、日本では文化遺産・自然遺産合わせて19件が登録されているが、近年登録された物件に対しては、その価値を巡る議論も多く、とくに「明治日本の産業革命遺産」の登録過程では、韓国からの厳しい批判にさらされる結果となった。

世界遺産をめぐる現状にはどのような課題があるのか。「聖地巡礼――世界遺産からアニメの舞台まで」(中公新書)の著者、岡本亮輔・北海道大学大学院准教授に話を聞いた。(編集部:大谷広太)

どの国よりも多い日本人のオブザーバー・メディア

-"世界遺産増えすぎ"という議論があります。言い方を変えれば、納得感が無いと。例えば今回登録された遺産群の中には「松下村塾」が入っています。幕末から明治維新にかけての数ある史跡のうち、なぜ「松下村塾」だけなんだろう、という疑問です。

これまでの登録された日本の世界遺産を見てみると、京都や奈良の寺社仏閣など、誰が見ても「これは確かに世界的にも誇れるだろう」という"納得感"があったというわけです。

また、国宝・重要文化財といった、国内独自の評価基準もあるんだから、無理して世界遺産を目指さなくてもいいんじゃないかという意見もあります。


岡本:僕も、世界遺産が増えすぎだな、とは思うんですが、やはり日本においてはブランド力がありますね。

フランスには自前の文化遺産制度がありますし、アメリカには国立公園・国定公園があります。彼らは自分たちの国の文化財制度の方が、ユネスコの世界遺産よりも上だと考えています。

それとは逆に、日本人は世界遺産が好きですよね。毎年7月頭に開かれる「世界遺産委員会」に来る日本人のオブザーバーやメディアの数は、どの国よりも多いと思います。ある意味、「モンドセレクション」と同じようになってしまっていますよね(笑)。

そもそも、世界遺産の制度はヨーロッパを中心に始まりましたので、90年代に登録された物件はヨーロッパのものが圧倒的に多く、8割くらいを占めています。しかも、そのほとんどはキリスト教関連の史跡 だったんですね。ですから、ヨーロッパ人から見ると世界遺産そのものはそんなに珍しくないんですね。例えば、登録物件数が一番多いイタリアには、文化遺産が40件以上存在しています。

ただ、このようなヨーロッパ偏重を是正すべく、ユネスコはある時期から意識してアジアの物件を増やしていってます。

-申請から登録に至るまでの過程や手続き、基準はなかなか分かりにくいですね。

2005年に申請方法に変更があったことも大きいと思います。ユネスコ側が遺産を持っているコミュニティからの自発的な申請を希望するようになったことで、日本でも"文化遺産"は文化庁、"自然遺産"は環境省が取りまとめを行って、ユネスコに申請を行っていたのが、各自治体に公募をかけて、「文化庁に連絡してください」という形になりました。つまり、"トップダウン型"から"ボトムアップ型"になっていったんです。

さらに、ユネスコが、先史時代と近代の間の時代のものが多くバランスが悪いからと「先史時代のものや近代遺産をどんどん送りなさいよ」と言っていることもありますね。その上で、世界遺産条約にある「顕著な普遍的価値」を証明するために、今回の"明治"のように、年代を区切るんですね。年代を区切っている時点で、普遍的なのか、っていう批判もあるんですが。

近年応募されているものは、その過程で結構無理もしているんです。どの自治体も世界遺産に登録されたいと思っていますから、「シリアル・ノミネーション」といって、物件を1ヶ所に限定せず、広範囲に渡るようなものに対して何かしらの共通項を見つけ、言わば縫い合わせて申請するわけです。「明治日本の産業革命遺産、製鉄・製鋼、造船、石炭産業」もこのスタイル(山口・福岡・佐賀・長崎・熊本・鹿児島・岩手・静岡の8県11市にまたがる)ですね。

-各自治体や都道府県の間で、そのための情報交換も行われているのでしょうか。"単体でいくより、ここは一緒に組んだ方がいいんじゃないか"と。

岡本:おそらく、文化庁がその調整していると思います。

今、四国4県が合同で「世界遺産登録推進4県協議会」を作って「四国遍路」という物件を準備しています。スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」を参考にしているんですね。ただ、サンティアゴは建築物も残っていますが、四国は戦国時代に長宗我部元親がかなり焼いてしまった。ですので、建造物や文化財といった物を通じて説得するのは簡単ではないとは思いますが…(笑)。

-例えば、お城については、当時のままの天守閣が残る"現存天守"かつ国宝に指定されているものは全国に4つありますが、そのうち姫路城だけが世界遺産になっていますね。こうした状況についても、不思議に思っている人が多いのではないかと思います。

「シリアル・ノミネーション」の形を取った、2005年以降の申請であれば、現存天守を持つ他の城もセットにして、「戦国日本の◯◯遺産」のような形での申請の可能性もあったかもしれないということでしょうか。


岡本:そうです。後から追加するという方法もあるんですが、姫路城が"現存天守"というストーリーでの登録ではないので、お城について言えば難しいかもしれませんね。

また、似たようなものは複数登録されないというルールもあります。鎌倉が登録されなかったのもそれが理由の一つです。寺社群といえば奈良と京都が既に登録されているから、ちょっと鎌倉までは…と。それで、"武家の都"みたいな、別のパッケージで申請したんですが、やはりそれも苦しい、と。

要するに、物に何らかのストーリーをつけることで説得力を与えるわけです。各地で色々な試みがなされていますが、個人的に面白かったのが、とにかく他と被っちゃいけないと、埼玉県が「古代東アジア古墳文化の終着点」というストーリーで古墳を登録しようとしたことです。

-自然遺産の場合、どんなバックグラウンドを持っている方にとっても、「これは素晴らしい景色だ」というのは分かりやすいですよね。一方で、文化遺産の場合は、ユネスコの基準をみんな必死で解釈して「これだったらいけるだろう」というような実態があると。

岡本:自然遺産の基準は、文化遺産よりもハッキリしています。簡単に言えば、そこにしかいない動植物の存在ですよね。固有種が何割ぐらいいるかが客観的な基準になりますよね。それが文化遺産になると、どうしても主観的なものになってしまうし、それっぽいストーリーをくっつけてあげるってことになりますからね。

-そうしますと、その時の他の自治体との連携具合や、情勢次第で登録されるかもしれないし、されないかもしれないということになってしまいますね。

岡本:その可能性はありますよね。結局は基準も曖昧だし、パワーゲームになっちゃうんですよね。とにかくユネスコ側の方針やその時のムード、他の物件の状況などの文脈を読み込んで、どう物件の理由付けをさせていくか。言ってしまえばそこだけなんですよ。

例えば金閣寺なんかは、最初期に「古都京都の文化財」の構成資産として登録されています。しかし、御存じのとおり金閣寺は炎上しており、現在の建物は戦後再建されたものだから、物としては真正性も完全性もないんですね。

-こういう解釈だったらいけるだろう、という話になってきますと、国内のみならず、海外の人や、異なる信仰を持った人々が見た時に、「この物件の価値は一体なんだろう?」となってしまいますよね。
「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産登録が決まり、喜ぶ関係者ら=長崎市のグラバー園(共同通信社)

世界遺産の目的は"観光振興"ではなく"保全"

-観光の観点から見れば、おそらく「明治日本の産業革命遺産」の中でも、誰も足を運ばない場所が出てきてしまうのではないかという気がします。

岡本:今のところ、軍艦島の一人勝ちではないでしょうか。『進撃の巨人』効果もあって、あそこにはものすごく観光客が訪れると思うんですけど、他のところは簡単ではないかもしれませね。

それとは別に、世界遺産になっても変化がない時もあるんですよね。広島の厳島神社や法隆寺なんかは、それ以前から有名な観光地だったので、登録されてからも、「知ってる」「行ったことある」みたいな感じで、別に観光客は増えなかったと。

-世界遺産には宗教施設もたくさん含まれていますから、観光地だけれど、中までは見ることができないというケースもあると思います。日本においても、寺社でも"拝観謝絶"のようなところはたくさんありますし、たとえば申請が決まった「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の「沖ノ島」は、島全体が神域のため、立ち入りは厳しく制限されています。

申請する自治体からすれば、やはり世界遺産登録の効果を考えれば、"拝観謝絶“の場所よりも、自由に見学できる方を申請したいという思いもあるのではないでしょうか。


岡本:そうなりますよね。一口に"地元"って言っても、すごくたくさん利害関係者がいますから。自治体としては基本的には観光客を呼び込みたいんですよ。

例えば、2007年、「石見銀山」が一度は登録延期を勧告された後に、逆転登録されました。交通手段があまり整備されていなかったのですが、登録翌年にもかかわらず80万人以上が押し寄せました。その結果、日常使いの路線バスが大混雑して、地元の人が一切乗れなくなってしまって、問題になったことがありました。

それから、まだ暫定リストの段階ですが、長崎では教会群を登録しようとしています。ただ、有名になってくるにつれて、静かに礼拝しているところで写真を撮ってしまう観光客の増加など、典型的な問題が起きてしまっています。

-一方、お寺や神社、教会の側からすると、自らの宗教について、今まで関心の無かった方に知っていただける、触れていただける可能性もあるかもしれないという思いもあるとは思います。

岡本:宗教側もそうだし、地元の人たちも基本的にはそういう思いなんですよね。ですから、そもそも世界遺産って矛盾してるんですよね。世界遺産という制度自体が、本来は観光振興のための制度じゃなくて、あくまで"保全"ですよね。守るための制度なんですが、結局そこがズレていくわけです。

-特に「地方創生」が盛んに言われています。町おこし・村おこしの雰囲気の中では、「大河ドラマをわが町に」のような運動と近いものを感じている人も多いのではないでしょうか。

岡本:誤解はされていますよね。自治体側にも、観光振興のためのものだと思っている人が多いでしょうね。

-ご著書の中では、「紀伊山地の霊場と参詣道」のケースでは、地元の人々が運動のなかで地域のアイデンティティに目覚めたという事例が紹介されています。

世界遺産に登録されることで、観光客が国内外から来ていただけるというメリットはもちろん、地域の人が自分の地域の良さを再発見することも良いことだと思うのですが、逆に過剰なビジネス化や利権化したりするといったようなデメリットはあるのでしょうか。


岡本:自然遺産が一番典型的なのですが、"オーバーユース"になってしまうことですね。要するに、人が来過ぎてしまう。人の手が入っていないから登録されたのに、登録されたことで逆に人が来ちゃって、それによって危機になるということはあると思うんですね。

「白神山地」もそうなんですが、原始のまま残っている森林が貴重だということで登録されたのに、ブナの芽を踏んで歩いてしまったり、キャンプしたり。立ち入り制限をかいくぐる人まで出るようになってしまいました。

-曖昧な部分が残るとはいえ、一応、登録の基準は細かく定められていますが、反対に何かのきっかけで登録を外されてしまうという可能性はあるんでしょうか。

岡本:わりとよくあることです。「危機遺産」というリストもあります。

例えばドイツの「エルベ渓谷」という自然遺産があります。エルベ川の流域一帯がとても綺麗な景観だったんですけど、世界遺産に登録された後に、橋を架ける計画が浮上しました。ユネスコは景観が壊れるという理由で世界遺産から外すと警告しましたが、結局、地元は橋を架けたんですね。世界遺産よりも、地元の人達の利便性向上を選んだんですね。

-以前、インタビューさせていただいた大名の子孫の方は、国宝・重文に指定されると、補修も昔の手法でやらなければならないという制限がかかってきて、補助金もそんなにない中、個人では抱えきれなくなるとおっしゃっていました。

世界遺産に関していえば、その点はどうなのでしょうか。


岡本:世界遺産も同じような状況です。当然、ユネスコが補助金を出してくれるわけではりません。さらに6年毎に審査され続けるので、基本的には自治体でしっかりやってくれということになります。

まさに富士山がその問題を抱えていて、来年あたりにもう一度審査することになっているのですが、膨大な要求事項がユネスコから来ているそうで、非常に大変だと聞いています。登山者から徴収している「入山料」もそのためのものですね。
岸田外相(右)と韓国の尹炳世外相(共同通信社)

世界遺産は本来ナショナリズム的なものでもある

-登録をめぐる一連の動きを見ていますと、外交交渉のようではないかということを感じた人も多いと思います。ユネスコの持つ、教育や文化と言ったイメージにおいて、フラットな判断が出来ているのかと。

岡本:それはムリですよね。

-被災地や戦跡など、悲しい記憶や遺産を観光地として捉える「ダークツーリズム」というキーワードがありますね。海外にはアウシュビッツやチェルノブイリがあり、日本でも、東浩紀さんらが提唱されています。広島の原爆ドーム(世界遺産)はまさにそうですが、「ダークツーリズム」の文脈で観光や遺産を捉える考え方は、まだ日本には馴染みがありませんね。

どちらかというと、世界に誇れる日本の伝統文化、日本はすごい、という文脈のほうがあると思うんですが。


その点は、日本が敗戦国であることと関係しているかもしれません。原爆ドームの登録の時も、今回の軍艦島と同じようなことがありました。アメリカと中国が登録に反対したり、投票を棄権しました。解釈がいろいろあるものは良くない、そもそもこういう近代遺産や戦争遺跡を世界遺産にすること自体がマズイんだ、とアメリカは主張しました。中国の場合は、これが登録されると、最大の被害者がアジアの人々であることが覆い隠されてしまうと、投票自体を棄権したんですね。

戦争遺産の世界遺産登録は、同じ物についても立場によって解釈が異なりますし、どうしたって政治的でしかあり得なくなりますよね。

-立場を置き換えると、解釈や議論があるものは、必ずそういう問題を孕んでいると。

中国では、南京大虐殺紀念館を世界遺産登録しようという動きがあります。同地は、中国共産党によって、愛国主義教育の基地にも指定されている場所です。日本では、特攻隊員の遺書などを、やはりユネスコが運営する世界記憶遺産に登録しようとする動きがありました。こうした露骨に政治的な場所や物をユネスコが認定するというのは、世界遺産の理念からかけ離れているのではないでしょうか。

そもそも世界遺産に限らず、文化財はナショナリズムと親和的なものです。「わが国には、こんなに素晴らしいものがある。どうだい?」っていうものでもありますから。そこが結構、忘れられてるなって思いますね。

-裏を返せば、これは仮定の話ですが、明治の産業遺産の価値の1つの要素として、そういう歴史もあったと最初から込みで提示していれば、スムースに行ったという可能性もあるということでしょうか。

岡本:そうかもしれません。世界遺産の登録を目指す人達というのは、自分たちがナショナリスティックなことをやっているってことに、割と無自覚だと思います。文化遺産というのは、本質的にそういう性質を持っているのです。

地元の文脈をしっかり重視した申請を

-岡本先生から見て、地元にとってもメリットがあり、海外の人にも来ていただける世界遺産というのは、どのようなものでしょうか。

経済的な問題は大事だと思います。それも、単に人が来て、入場料だけで儲けるということではなく、雇用に繋がるようなものがいいのだろうと思います。そのためにも、地元の文脈をしっかり重視した上で申請することが大事だろうと思います。

軍艦島の正式な島の名前は「端島」です。あそこに本当に住んでいた方々は、軍艦島とは呼ばないんですよね。島の内側からは軍艦の形には見えないわけです。それをいかにも観光的なまなざしで見ると、あれが軍艦になって、世界遺産に登録されていってしまう。文化財を支えるコミュニティの人々の見方や考え方がないがしろにされるのは良くないと思います。

文化財を文脈を外して、ボーンと持ってきて、「世界遺産です!どうぞ!」っていうのは、持続性がないだろうなと思うし、あんまり地元の人が幸せにはならないんじゃないかなっていう気はしますね。

プロフィール

(おかもと・りょうすけ) 1979年、東京都生まれ。立命館大学文学部卒、筑波大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(文学)、東京大学死生学・応用倫理センター研究員、慶応義塾大学、成蹊大学ほか非常勤講師を経て、15年4月より北海道大学大学院観光創造専攻准教授。
専攻は宗教学、宗教社会学、フランスと日本をフィールドとした現代宗教論、聖地観光論。
著書『聖地と祈りの宗教社会学―巡礼ツーリズムが生み出す共同性』(春風社、2012年、日本宗教学会賞受賞)、共編著『宗教と社会のフロンティア―宗教社会学からみる現代日本』(勁草書房、2012年)、『聖地巡礼ツーリズム』(弘文堂、2012年)、共訳書『宗教社会学』(明石書店、2008年)

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