※この記事は2015年08月07日にBLOGOSで公開されたものです

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サントリーの2代目社長として世界一のウイスキーを作り、「やってみなはれ」の決め台詞で知られる名経営者・佐治敬三。佐治は、失職中だった開高健を同社の前身である寿屋の宣伝部にコピーライターとして雇い入れる。佐治によって、作家との二足のわらじをはくことを許された開高は、同社在職中に芥川賞を受賞。経営者と社員という立場を超えた友情を育んだ佐治と開高は、その後も次々とヒットを生み出していく―。

この2人の評伝「佐治敬三と開高健 最強のふたり 」を手掛けるのは、デビュー作「白洲次郎 占領を背負った男」で、これまで無名だった白洲次郎を一躍有名にした北康利氏。北氏は、佐治敬三の墓所がある中山寺で「康利」と名づけられ、開高健と同じ高校出身。この二人に深い思い入れを持つという北氏に本書の魅力を語ってもらった。

若者のポケットにスマホではなく文庫本が入っていた時代の人気作家

―開高健といえば、サントリーの伝説的なPR雑誌「洋酒天国」の編集長であり、芥川賞作家として知られていますが、若い読者の中には、「名前だけは知っているけれども、どういう作家なのか知らない」という方も多いと思います。北さんが考える開高健の魅力とは、どのようなものでしょうか。

北康利氏(以下、北):開高健(1930-1989)が生きた時代と今とでは、圧倒的に活字の力が異なっていると思います。当時は活字に魅力があり、文学作品に対する若者たちの愛着も、今とは比較になりませんでした。若者たちは外に出る時、スマホではなくポケットに文庫本を入れているという時代だったのです。

1958年には、開高健と大江健三郎が芥川賞をめぐり一騎打ちを演じますが、世間ではどちらが受賞するのか非常に注目されていました。みなさんご存知の通り、芥川賞は新人作家のための賞です。新人の作品であるにもかかわらず、「文学界」などの文芸雑誌を通じて多くの人が候補作品を既に読んでいたわけです。

この年は開高健が芥川賞を取り、大江健三郎は受賞を逃すのですが、大江は後にノーベル賞を受賞しています。それくらいハイレベルな作家がたくさんいた時代、作家が輝いていた時代だったのです。

開高健の作品を読んでもらえば分かると思いますが、今の作家とは圧倒的に筆力が違います。“言葉の魔術師”と言っていい。語彙が豊富なだけでなく、中国の故事や古典の知識にも詳しく、古今東西の事象に通じています。また敗戦の反動として欧米への憧れがあるが故に、欧米の作品の描写や引用を巧みに用いた“エスプリ”の効いた文章になっています。

私はよく開高の作品をジョルジュ・スーラの点描画に例えるのですが、絵画というのは絵の具を混ぜると、明度と彩度が落ちてしまうものです。そこでスーラはどうしたかというと、鮮やかさを維持するために、絵の具を混ぜずに点を置きました。多くの点を並べることによって、遠くから見ても明度・彩度が落とさずに絵を描くことに成功したわけです。

開高健という作家の文章も、一つのことを表現するのに、「これでもか!」というぐらい様々な修飾語を置いていきます。しかも、一つ一つが選び抜かれた言葉であり、新鮮で、表現方法が過去のどの作家にも似ていない。自身のオリジナルな表現方法をストイックなまでに追及しているところが、開高作品の大きな魅力の一つだと思います。

―そうした開高氏の作風には、自身が戦争を経験していることも影響しているのでしょうか。

北:作家・開高健にとって、戦争体験は非常に大きな意味を持っていると思います。「戦争という愚劣なことを起こす人間とは、一体何ものなのか」。「非戦闘員を無差別に大量に殺戮できる指導者、国家とは何なのか」。開高健は、こうした世の中に対する強い疑問を抱きます。

そうした疑問に迫っていこうとして、彼は作家になることを決意するのですが、同人誌で知り合った年上女性(牧羊子)との間に子供が出来たことで、すぐに結婚することになります。開高は、戦中も貧乏でしたが、家族を養うために戦後になっても貧乏のどん底にあえぐことになりました。当時は仕事が非常に少なく、まさに「大学は出たけれど」という時代の中で、時々文学に逃げ込みながらも、現実の厳しさの前に挫折感を味わいながらはいつくばうようにしながら生きていきます。

そうするうち、妻となった牧羊子の伝手で佐治敬三に拾われ、そこでコピーライターとしての才能を開花させるのですが、自分はあくまでも「作家を目指しているんだ」という思いを、ずっと抱き続け、作品を書き続けました。そして、現在のサントリーの前身である寿屋在職中に芥川賞を受賞するのです。

彼の作品の底流には、戦争中から抱き続けた「人間とは、国家とはいったい何なのか」という疑問があります。

芥川賞受賞後、アウシュビッツを見学し、次いで、イスラエルでおこなわれた元ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴しています。ユダヤ人大量殺戮を主導したアイヒマンが、いったいどういう人間であったのか、どうして、老若男女の人間をガス室に送り込むという非道なことができたのかという関心があったのでしょう。

ところが実際に傍聴してみると、アイヒマンはふつうの一人の人間だった。悪魔でも冷酷な人間ですらない。世界中どこにでもいる小役人のような人間が、上から命ぜられるままに、なんの疑問もなく虐殺を指揮していたのです。そこで開高は、「自分たちもいつでも加害者の側に回れる」ということに思い至ります。

被害者然としている人間も、いつ加害者に回るかもわからない。ある一定の状況に置かれたら、被害者であったユダヤ人もまたユダヤ人虐殺のようなことが出来る存在だと思い知らされる。人間に対する絶望的な思いを感じたと思います。

私がこの作品の中で描きたかったことの一つに、開高のそうした絶望があります。このような人間の残虐性に絶望を感じ、人間の本質を見つめ意識していながらも、人生前向きに生きていこうという姿勢を開高は持っていたと思います。大いなる悲観が大いなる楽観に通じたと私は考えるのです。

そして、それこそが現在でも開高が若者に支持される理由だと思います。かつて全盛期の頃の「週刊プレイボーイ」誌上の人生相談で、素晴らしい受け答えをしていましたし、いまだに開高健に関する写真集やムックが出ると、中年だけじゃなく、若者にも支持される。これは非常に深い絶望を抱えながらも、人生を前向きに楽しみながら生きた、彼の生き方がカッコイイからだと思います。

今でも週2回夢に見る元社員がいるという佐治敬三の魅力


―本書のもう一人の主人公は、サントリーのトップを務めた佐治敬三です。サントリーといえば、現在ではもはや知らない人がいない有名企業なので、前身である寿屋の時代やビール事業参入時の苦闘をイメージできない読者も多いと思います。サントリーという企業と、佐治敬三との魅力は、どこにあると思いますか?

北:サントリーの魅力は、大企業でありながら“永遠の中小企業”であるところだと思います。その精神は、NHKドラマ「マッサン」で改めて注目された「やってみなはれ」という台詞に集約されているでしょう。

これは経営者が「こうやれ!」という命令形の言葉ではありません。つまりトップダウンではなく、ボトムアップなのです。社員の中から出てくる様々なアイデアを上層部が吟味して、GOサインを出すときのセリフが「やってみなはれ」だというわけです。

そもそも開かれた組織でなければ、社員の中からアイデアは出てきません。また、大企業になればなるほど官僚的で、上意下達が半ば当たり前の組織風土になってしまいがちです。 例えば、「洋酒天国」という雑誌を出すなんていうアイデアは、社内で別事業を興そうぐらいの話です。しかも、PR雑誌なのにまったく会社のPRが入っていない。こうしたアイデアを「やってみなはれ」と許容する器の大きさ。それが佐治敬三の魅力だと思います。

―サントリーの創業者である鳥井信治郎も本書の中では非常に魅力的に描かれていますね。

北:鳥井信治郎が船場商人だったことも影響していると思うのですが、サントリーという企業は、「商いの基本に忠実」なんですね。「頭を下げられなくなったら商人はおしまい」「とにかく儲けなければはじまらない」「緊張感のない会社に未来はない」といった考えが徹底されているのです。

例えば、同社の主力商品である赤玉ポートワインが売れて売れて仕方がない時代に、鳥井信治郎はあえてウイスキー事業に「挑んで」います。頭を下げてウイスキーを売ったのです。これは今で言うイノベーションです。

佐治敬三も同じことをしました。ウイスキーが売れて売れて仕方がない時に、あえてビール事業に「挑んで」いるのです。そうすることで、会社に緊張感を与えることが出来ます。そして、商品を売る苦しみを社員全員で体験するために、佐治敬三自身が率先垂範して売ることをやってみせました。葬式にまで自社商品のワッペンを付けて出席したという逸話が残っているほどです。

大企業になると、「俺は企画担当だ」「俺は人事担当だ」となってしまいがちですが、そうした枠があまりなく、「やるからには全員で売るぞ!」という精神がみなぎっていた。そうした点もサントリーの魅力だと思います。

そして、創業者の信治郎よりも器が大きく、大胆にイノベーションを起こしたのが2代目社長である佐治敬三だと思います。鳥井信治郎は、主人と番頭、手代といった船場商人伝統の上下関係の枠からはみ出すことはありませんでした。

ところが二代目である佐治敬三という人物は、「釣りバカ日誌」のスーさん・ハマちゃんのように、なんと平社員だった開高健と厚い友情を結んでいる。この社員との近さは、鳥井信治郎ではあり得ないことだと思います。これは冷徹さが必要とされる経営者としては、甘いと言われるかもしれません。ただ、それがまた佐治敬三のたまらない魅力だと思います。

実際取材の中で、今でも佐治敬三の夢を週2回ぐらい見るという80歳を超えた社員の方に会う機会がありました。これは、いかに佐治敬三が魅力的で器の大きい人物だったかを示していると思います。

-「最強のふたり」の中では、これまであまり知られていなかったエピソードも明らかにされています。取材にはかなり時間をかけたと思いますが。

北:私は開高健の高校の後輩で、ちょうど37年前の高校3年生の時に開高さんの講演を聞いているんです。ですからこの本は、ウイスキーに例えると37年物だとみなさんに申し上げているんです(笑)。開高健への想いを結実させたという意味では、それぐらいの重みがあります。私自身、小学校から高校までを大阪で過ごし、「康利」という名前は、佐治敬三の墓がある中山寺でつけてもらったものです。

たまたま佐治敬三の旧制高校時代からの親友である佐野正一さんの御子息と知り合いであったり、開高健の親友だった故・谷沢永一先生に生前たいへん可愛がってもらっていたり、サントリーの大阪工場長やニッカの研究部長といった関係者が自分の高校の同級生だった縁もありました。そうした想いやご縁を非常に長い期間をかけて熟成させてきたのだと思っています。

今回は、二人に関連している書籍のほぼすべてに目を通したと思いますし、大宅文庫に通い詰めて週刊誌など当時の雑誌記事にいたるまでチェックしました。また、サントリーのご協力も得て、ご存命で2人を直接知っている方々に数多くお話を聞くことが出来ました。これは非常にラッキーだったと思います。

“個”で生きている人にこそ読んでもらいたい


―佐治敬三の生き様というのは、多くの経営者にとってもヒントになるのではないでしょうか。

北:本書で伝えたかったことの一つに、「企業経営において一番大事なことは何か」ということがあります。最近では、よく横文字で「CSR」「コーポレート・ガバナンス」「サステイナビリティ」などの重要性が叫ばれていますが、私自身は欧米的な企業の在り方、株主資本主義というのは、もう終焉を迎えているんじゃないかと考えています。むしろ、岩井克人さんが主張しているような、日本型資本主義、日本型経営が、世界的にも見直されるべきなのではないでしょうか。

例えば、「一流企業というのは上場しているものだ」と言うけれど、これだけ銀行の金利が低い時代に、上場して株式でお金を集める必要性は従来ほど高くはありません。必要な時だけ銀行に貸してくれと言えば、貸してもらえるでしょう。

一方で、上場することによるマイナスもたくさんあります。株主のために説明責任を果たす必要がありますし、四半期という非常に短いスパンで決算を出さなければいけません。四半期という短いスパンでは株主も“今”のことしからわからないでしょうし、企業側も長期的な投資がしにくくなってしまいます。

そうした上場することのマイナス面に、もうそろそろ気づくべきじゃないかと私は考えているのですが、佐治敬三もこうした欧米的な“常識”に捕らわれない経営者だったと思います。

ところがサントリー食品に続いて、サントリー本体も今、上場を検討しはじめているようです。佐治敬三はニッカの上場に際して「公開(後悔)先に立たず」と言い放ちましたが、これまでの伝統を踏まえ、賢明な選択をされることを望みます。

―現在、企業の間で、インターネット上で自社独自のメディア、オウンドメディアを立ち上げる動きが出てきています。その中で、直接的に自社の商品などを紹介せず、有益なコンテンツを提供することで潜在消費者を掘り起こす手法も注目されつつあるのですが、これは「洋酒天国」と非常に近い部分があります。「洋酒天国」のような手法がインターネットの世界でも再び利用されつつあることに、開高さんの先進性を感じました。

北:似ているところがあるとするならば、「トレンドは俺たちが作っていくんだ」という精神かもしれないですね。私は先程、「開高健の文章には手垢が付いてない」という話をしましたが、彼には「まったく新しいモノに挑戦しよう」というパイオニア・スピリッツがありましたから。

ただ、「洋酒天国」はサントリーが出しているものであり、佐治敬三という人物が、最終的な責任を負うということを佐治自身が自らに課していました。「洋酒天国」に書かれていることの信頼性は、寿屋の歴史であり、サントリーという企業が担保しているわけです。

そういう最終的な編集責任を誰が取るか、という部分がわかりづらいのがネットメディアの現状ですから、そこは少し違うかもしれません。

―最後に読者の方々へメッセージをいただければと思います。

北:私は、この本をネットの社会に生きている人にこそ読んでもらいたいと思っています。ネット社会では、「スマホが友達、パソコンが友達」というような“個”で生きている人が多いように感じるからです。

評伝というのは、一人の人物について描くのは簡単ですが、二人の人物を描くのは非常に難しい。それでも二人の人間を描くことに固執したのは、「一人では強くなれなくても、二人でなら“最強”になれる」というメッセージを伝えたかったからなんです。二人で火花を散らす、影響を与え合う。あるいは、二人でなぐさめ合う。そういったリアルな友情の素晴らしさをぜひ実感してほしいと思います。

ネットの中で “個”で情報を集め、「自分だけで強くなるぞ」というのではなくて、友人であり、ライバルのような存在を持つことで、自分自身がさらなる高みに挑む契機になる。そのことを、この本で体感してほしいと思っています。

プロフィール

北康利(きたやすとし)
1960年名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。資産証券化の専門家として、富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長、業務企画部長を歴任、2008年みずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。著書に『占領を背負った男 白洲次郎』(第14回山本七平賞受賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』(以上、講談社)など。





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