【5周年企画】2011年上半期、3.11の発生と東京都知事選【BLOGOSで振り返る日本の政治・社会】 - BLOGOS編集部
※この記事は2014年10月06日にBLOGOSで公開されたものです
※10月5日でBLOGOSはサイトオープンから5周年を迎えます。本シリーズでは、2009年から現在までの政治、社会の動きをBLOGOS上で当時話題を集めたエントリと共に振り返っていきます。(BLOGOS編集部)2011年は、1月に「グルーポンおせち」、2月には京都大学の入試における不正の問題などが世間を騒がしていた。 そして、3月11日に東日本大震災および福島第一原発事故が発生した。震災発生当時の議員の様子は、世耕弘成議員のブログからうかがうことが出来る。
午後1時決算委員会に戻り、自民党の野上浩太郎議員、岡田直樹議員の質問を傍聴。そしてさらに自民党の岡田広議員の質問の途中で、大きなそして長時間の揺れの地震が発生。震災後まもない4月には、東京都知事選が実施。当初は、出馬しないことを明言していた石原慎太郎氏(現衆議院議員)が4選を果たした。石原氏は、出馬の理由を当時の記者会見で下記のように話している。
岡田議員は質疑を中断。鶴保庸介委員長は「自身の身の安全を確保して下さい」と呼び掛けた。衛視が「シャンデリアの下は危ないので離れて!」、「ガラス窓の近くは危ないので離れて」と注意喚起。私はガラス窓の近くにいたので離れて、しゃがんで待機。
(中略)
こういう国家的危機事態においては、野党といえども政府に全面的に協力しなければならない。東北地方太平洋沖地震対策を最優先に
私は多選に反対だ、出るつもりは150%なかった。久しぶりにヨットレースにも出ようと思っていたし、妻と旅行に行こうとも思っていた。オープンカーでドライブしようとしていた。本当に後味は良くないが、立派な後継者が出てこなかった。また、震災当時発生したデマについての検証エントリをライターの松永英明氏が執筆している。その中には、現在でも流通しているようなデマも含まれており、インターネット空間における情報リテラシーを考える上で貴重なエントリとなっている。「立派な後継者が出てこなかった」~石原都知事4選出馬の真相~
■5周年企画・BLOGOSで振り返る日本の政治・社会
・2009年下半期、民主党・鳩山由紀夫政権の誕生
・2010年上半期、小沢・鳩山のダブル辞任で菅直人政権が発足
・2010年下半期、ネットの影響力が現実社会に波及した尖閣衝突映像流出事件