震災から3年半。出版業界の屋台骨を支える日本製紙石巻工場の今 - BLOGOS編集部
※この記事は2014年09月20日にBLOGOSで公開されたものです
「永遠の0」(講談社文庫)、「ロスジェネの逆襲」(ダイヤモンド社)、「ONE PEACE」(集英社)…。こうした人気出版物で使われている紙は、どこで造られているのだろうか。これらの人気作品のみならず、多くの出版用紙を手掛けている製紙工場、それが日本製紙石巻工場である。東日本大震災により壊滅的な打撃を受けた同工場の復興までの道のりを描いたノンフィクション作品「紙つなげ~彼らが本の紙を造っている~」。この作品は、出版物に欠かすことができない“紙”を扱う工場が舞台となっていることもあり、書店員からの絶大な支持を受け、順調に版を重ねているという。震災から、わずか半年で工場の主力の一つである8号抄紙機を再稼働させた石巻工場を訪れた。【取材・文:永田 正行(BLOGOS編集部)】
石巻工場は年間85万トンの紙を生産する日本製紙の基幹工場だ。日本の出版用紙の約4割を担っているとされる日本製紙の基幹工場がストップすれば、日本の出版界は大きな打撃を受けたことだろう。楽しみにしていた雑誌や単行本を、発売日に手にすることが出来ないという事態も発生したかもしれない。
震災発生時に受けたダメージを考えれば、それは決して非現実的なものではなかった。震災発生直後は、被害の大きさから多くの人間が「日本製紙は石巻工場を見捨てるのではないか」と考えたという。実際に工場の中を歩くと、至る所に、津波が達した高さを示すプレートが設置されており、その爪痕の大きさを感じさせる。
「紙つなげ」では、予定調和的な震災復興の“物語”以外の部分も描かれている。全国の工場から石巻工場に届けられた救援物資をめぐって、「日本製紙が物資を独占している」といったデマが流れたこともあったという。また、津波により工場から流出した巨大なロールを回収する際には、ロールによって家屋を破壊された住民から罵声を浴びせられたこともあったそうだ。
そうした困難に負けず、日本製紙の従業員たちは工場の復興に向けて懸命に努力を続けたという。調整課の課長の志村和哉氏は「転勤族の自分は家族を失うことがなかった。そういう痛みを抱えていない自分が頑張ろうと。でも、そういう考え方は自分だけが特別な訳ではない。皆さんも同じ状況になったら同じようにしたと思う」と当時を振り返る。
また、関係者が住民の多くを占める石巻にとって、工場の復興は日本製紙という一企業の問題にとどまらない。「地元に育って、石巻工場がないと行政も地域も元気がでないとわかっていた」と技術グループ長の畑中広巳氏は語る。
石巻工場は、震災から約1年半経過した2012年8月30日に完全復興を宣言している。轟音を響かせながら、フル稼働を続ける抄紙機を見ると、すべてが元通りになったかのようにも思えてしまう。
だが、工場の隣に広がる広大な空き地を見れば、そうした考えがまったくの見当違いであることがわかる。津波に襲われる前は、この場所に1500戸ほどの家屋があったというのだ。いまだに仮設住宅から通っている従業員もおり、改めてその被害の大きさに呆然とさせられる。石巻工場で製品課の課長を務める近藤政彦氏は、「震災が起きてからしばらくは、この工場を動かすことが“夢”だった」と語るが、偽らざる実感なのだろう。
「“震災モノ”はだんだん売れなくなってきてるんですよ」と、取材に同行した書店員が教えてくれた。2011年3月11日に起きた東日本大震災から3年半が経過している。様々なニュースが日々流れていく現代社会の中では、ある意味当然のことかもしれない。そうした状況の中でも「紙つなげ!」は順調に部数を伸ばしている。自社の紙で作られたノンフィクション作品が読者に支持されている。この事実が、従業員のモチベーションにもつながると同時に、「震災を風化させない」という思いを新たにさせているそうだ。
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紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている
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