生活に困窮する人は、なぜその状況から抜け出せないのか。ノンフィクション作家の吉川ばんびさんは「彼らは目の前の生活に精いっぱい。だから問題解決のためのアクションを起こすことができない」という--。
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■たとえるなら「漏れる寸前なのにトイレが見つからない状態」

5年ほど前まで、司法書士事務所で債務整理の仕事をしていた。そのため現在にいたるまでに数千件以上の借金や生活苦の相談に乗ってきたが、経験を積み重ねるうち、彼ら彼女がどういった精神状況にあるか、どういった思考回路のパターンに陥りがちかなど、次第にその傾向の輪郭をつかめるようになった。

生活に困窮している人々は多くの場合、長期的目線で物事を考えづらくなってしまう。今月生活する金もないのに、1年後、2年後の自分のために投資をすることは不可能だ。例えば収入を増やすために転職を考えたり、スキルを身につけたりする余裕はない。

低賃金や劣悪な労働環境ゆえに一日に占める労働時間も長く、心身は疲弊し、わずかな余暇時間は睡眠などの休息に充てるしかなく、趣味や勉強の時間を作る精神的な余裕も、体力も残されていない。朝、家を出るギリギリまで眠って仕事へ向かい、夜帰宅すれば入浴、食事を済ませて明日の仕事のために眠る。ただそれだけの毎日を過ごすしかない状況に追い込まれる人は決して少なくない。

こうした「長期的目線で物事を考えられないほど追い込まれている状況」を生活困窮の経験がない人に説明してもなかなか理解を得難いのだが、ものの例えとして「外出先で強烈な腹痛に襲われ、我慢の限界で漏れる寸前なのにトイレが一向に見つからない状態を想像してほしい」と相手に伝えると、「確かに早くトイレにたどり着きたい以外のことは何も考えられない」とスムーズに理解してくれるので非常に助かる。脂汗を流すほどの腹痛を我慢しているとき、ほとんどの人間はなりふり構っていられないだろう。

■月収12万円で夫と子供2人を養う

「とにかく、今はブランクを空けずに働かないといけないんです。1日でも休んでいる暇はないので。転職を考えることもありますけど、これまで非正規でしか働いたことがないし、何より、もうすぐ50歳でろくな職歴もスキルもない私を雇ってくれるところなんてありません」

数年前、知人の女性は生気のない声でそう話した。女性は夫と中学生の子供2人との4人暮らし。夫はいわゆる「アダルトチルドレン」で仕事をすぐに辞めてしまう癖があり、アルコールに依存している。これまでは女性が親族に借金してなんとか食いつないできたが、一家の貯金は底をつき、夫が働いていない時期は女性一人の収入で一家を養わねばならない。

しかしながら、女性の月収は12万円前後。理容室でアシスタントの仕事をしているが、労働環境はいいとは言えず、日払いの給料をもらえない日もあるため、収入が10万円にも満たない月もあるという。住宅ローンや光熱費、通信費などの固定費、食費などを賄うことも難しく、仕事帰りにスーパーを何件もはしごして、少しでも安い食材や生活用品を買うなどして生活を切り詰めている。

夫婦の生命保険はとっくに解約、子供たちの学資保険も解約し、すべて生活費に充てているという。もっとも苦労するのは、固定資産税や住民税などのまとまった支払いがある時期だ。月々の生活だけでも回らないのに、支払いに備えて残しておく金銭的余裕はない。

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■劣悪な労働環境でも転職できない事情

夫にいくら「働いてくれ」と言っても、馬の耳に念仏、暖簾に腕押しといった様子でまったく取り合ってもらえないという。女性は明らかに心身に不調を来していて、その自覚もある。だが、病院に行く時間や気力も残されておらず、何より診察代の支払いすらできないので、長年治療を受けずに身体に鞭を打ちながら職場と自宅を往復するだけの日々を過ごしている。休みは週に2日のときもあれば、1日しか取れないこともある。休日は疲れ切って昼過ぎに起床、家事をすることもままならず、趣味に費やす時間も惜しく、ほぼ寝ることしかできない。

そんな生活を長年続けているせいか、女性はひどく疲れ切っている様子だった。まずは劣悪な労働環境から抜け出してみてはどうか、と提案するも、職探しをする気力と時間がないうえ、収入が少しでも途切れれば生活が破綻するため、転職に前向きになれないのだという。環境が変わって適応するまでに時間がかかるであろうことにも不安やストレスを感じていて、とにかく今は「現状維持」しかできないのだ、といら立った様子でそうこぼした。

■困窮者向け制度を利用するのは「世間体が良くない」

「以前ハローワークに行ったこともありましたが、パソコンの基本的な操作もわからない私にできそうな仕事はありませんでした。理容師の仕事も探しましたが、私はヘアカットができなくて、もう20年近くマッサージや髭剃り、シャンプーなどのサブ業務くらいしかやっていません。時代が変わって理容室も激減、今は美容院がメインになり、髭剃りなどのサービスの需要がないんです」

職場を訴える気もない、今はただ生活することで精いっぱいなので、とにかく余計なことに体力を使いたくない。私がいくら説得しても彼女はその一点張りで、議論は平行線をたどった。彼女は愚痴をこぼしたかっただけで、問題解決をしたくて私に話をしてくれたわけではないのだと理解した。

生活保護や生活困窮者自立支援を受けることを検討する気はないか、と尋ねたが、彼女は首を横に振り、「子供たちのことを考えるとそれは無理です。そもそも、夫が働いていないので『働け』と窓口で言われるだけです。世間体も良くないし、うちは生活保護の対象になる家庭ではありませんから」

彼女はそれ以上、私に何も言ってほしくなさそうだった。その様子を見て、私は彼女に、実家の母親の姿を重ねてしまった。

■マルチ商法にハマった母

かくいう私も、貧困家庭出身者であり、家から逃げ出した後に生活苦に陥ったこともある。そのため彼女の言い分や気持ちに大きく共感できてしまう。

彼女の家庭の状況は、私が生まれ育った家庭の状況と酷似していて、私の母親もまた、彼女と同じように一家の食いぶちを一人で稼がねばならなかった。日々に疲弊して消耗していく母親は、優しかった昔とは別人のようになっていった。私が心配して転職を勧めても、母親はやはり拒絶するだけで「現状維持」を選んだ。

私が中学生か高校生くらいのとき、母親は突然マルチ商法にハマった。知人から紹介されたという“健康にいいジュース”が箱で家に届くようになった。母親に事情を聞くと「このジュースを買う人が増えると、先に買っていた人たちにお金が入る仕組みになっている。将来的にもうけになるし、健康にもなれるから」と得意げに言う。

「それだまされてるよ、お金ないんだから買うのやめなよ」と言うと、母親はムッとした様子で「私はこのジュースがおいしいから飲んでいるから、もしももうからなくてもそれだけでも満足なの。放っといて」と私を突っぱねた。たとえ月々数千円から1万円程度の出費だとしても、わが家には大打撃であることは間違いなかった。何より、母親をマルチ商法に引き込んだ知人が、憎くて仕方なかった。

■母のようになりたくないと思っていた自分も

うちには兄からの家庭内暴力もあり、私も母親も日常的に殴られていた。壁や扉、あらゆる家財道具が壊され、兄の支配は実家で今もなお続いている。母親に「一緒に逃げよう」と何度説得しても、母親は首を縦に振らなかった。私がうつとPTSDを発症し、希死念慮と闘っていることを知っても、母親は絶対に私を家から逃がそうとはしなかった。「私のほうがつらい。あんたを診察した医者はヤブだ。あんたが病気になるわけない。あんたはいいよね、逃げられるんだから」と母親に言われた日、私は自死しようと思い立つほどつらかった。

その後、実家から逃れ、会社員として働きながら一人暮らしをしていたが、数年後に体調が悪化して倒れてしまい、まともに働けない身体になった。転職をしたほうがいいこともわかっていたのに、病院に行かないと心と体が限界であることも頭ではわかっていたのに、私もまた長期的な目線で物事を考えることができず、「現状維持」しかできなかったのだ。貧すれば鈍する、とはまさにこのことだと今では思う。

■「知らない人になら相談できる」と思う人々

問題だったのは、私も母親も知人女性も、全員が共通して「限界がくるまで誰にも助けを求めなかったこと」だと思っている。特に日本では、家庭の問題や経済的な困窮を第三者に知られることを「恥」だとする風潮がある。これまで相談を聞いた生活困窮者のほとんどが、誰にも相談できず、司法書士事務所に連絡をしてくるときでさえ「誰にも知られずに債務整理ができるかどうか」を過剰に不安がり、時にはかたくなに「債務整理の情報を教えてほしいだけで、金銭的には困っていない」と強調し続ける人も少なくない(実際はかなり困っているにもかかわらず)。

そういう人たちはとにかく「知人に知られたくない」と考えているため、もし周りに困窮していそうな人がいる場合は無理に事情を聞き出そうとせず、「もし今後困ることがあったら、無料で困りごとや相談を聞いてくれる電話相談窓口(※)があるから覚えておいてね」と伝えるほうが効果的である。

※自立相談支援機関 相談窓口一覧(令和3年7月1日現在)

実際に「知り合いには絶対知られたくないが、知らない人になら相談できる」という相談者は多い。

恐ろしいのは、よほどの資産を持つ者でないかぎりは誰もが貧困の沼に落ちる可能性があるにも関わらず、「貧すれば鈍する」という状況や思考パターンが理解できず、批判したりバカにしたりする人のほうが圧倒的に多いことだと思う。限界の状態に達してからでないと、人はなかなか自分の心身と向き合うことができないように思う。

そうなる前に「困窮者の思考パターン」について少しでも知っておくことが、将来の自分を守るために必要不可欠なことではないか。

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吉川 ばんび(よしかわ・ばんび)
ノンフィクション作家
1991年生まれ。作家、エッセイスト、コラムニストとして活動。貧困や機能不全家族などの社会問題を中心に取材・論考を執筆。文春オンライン、東洋経済オンライン、日刊SPA!他で連載中。著書に『年収100万円で生きる 格差都市・東京の肉声』(扶桑社新書)。
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(ノンフィクション作家 吉川 ばんび)