バルミューダフォンからスマホデザインの価値について考えてみた!

既報通り、バルミューダは16日、同社初となるスマートフォン(スマホ)「BALMUDA Phone(バルミューダフォン)」を発表しました。バルミューダと言えば、一風変わったデザインでありながらも実用性に長けた家電製品やキッチン用品のメーカーおよびブランドといった印象がありますが、そんなブランドがスマホを出すと聞けば、自ずと期待も高まるというものでした。

しかしながら、結論から書いてしまえば、その期待が少し大きすぎたかも知れません。発表されたスマホは小型で持ちやすい流線型の製品でしたが、そのデザインコンセプトや性能、そして価格に納得できる部分が少なくとも筆者には少なかったのです。

普段、デジタルガジェットやサービスに対してチャレンジ精神を汲みながら比較的前向きに捉えつつ、その「良いとこ探し」をすることをモットーとしている筆者でさえそのような印象であっただけに、普段辛口の批評を行っているライターやジャーナリストの評価はさらに厳しい表現が多く見られ、一般の評価に至っては冷めた酷評すら散見されました。

非常に高額でありながら扇風機やコーヒーメーカーなどでは高い評価を得ているバルミューダが、なぜスマホではここまで酷評されてしまったのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はスマホのデザインに焦点を当てつつ、その道具としての価値観やデザインの歴史について考察します。


大きな期待とともに登場し嘆息に包まれた本機。何がいけなかったのか


■バルミューダの想いと人々の評価のすれ違い
初めに、バルミューダフォンについて簡単におさらいしておきます。

バルミューダフォンはバルミューダ初のスマートフォンで、開発・製造は京セラが担当しています。販売チャネルはオープンマーケットおよびソフトバンクとなっており、価格はオープンマーケット版が104,800円、ソフトバンク版が143,280円となります。

ソフトバンク版がかなり高い価格に設定されているのは端末購入プログラム「新トクするサポート」やMNPによる割引施策などを前提としているためで、これらの施策を適用した場合の実質価格はかなり押さえられる計算です。各施策やキャンペーンについてはこちらの記事をご参照下さい。


丸く有機的なデザインは美しかったが、それだけという印象でもあった


バルミューダフォンは背面や側面など、各面にほとんど「直線がない」ことが特徴と説明されました。実際、ディスプレイ面以外のすべての面や切り出しラインは曲線および曲面で構成されており、バルミューダの寺尾玄社長はこれを「オーガニックな形」と表現しました。

そのこだわりは発表会での寺尾玄社長のプレゼン内容に強く現れています。

寺尾玄社長
「(工業製品は)直線、曲線、円で作られている。それは現在の工業技術で作りやすいから。しかし生物の体は直線でできていない。さまざまな道具はやがて有機的な形になっていく」

「ケータイの形ももっとオーガニックな形になっているべき」

そういったこだわりこそ強く感じたものの、やはり製品としての人々の評価は辛辣です。「今時ミドルスペックのスマホに10万円以上も払う人はいない」、「小さいスマホなんて流行らない」、「全画面デザインなのは良いけど縦長画面じゃないと古臭い感じ」……。

いずれの意見にも同意できる部分があり、本機と寺尾玄社長の目指したかった「世界」を応援したいという筆者の心情との葛藤が、ここ数日の最大の悩みでした。

本機には使いやすさを追求して作られたスケジューラーや計算機などの独自アプリが多数搭載され、ホームUIも専用のものが用意されていますが、この開発費用などがかさんだこともまた、本機の価格を押し上げた原因となったようです。

そもそもスマホは工業製品であるために大量生産によるコストダウンを図りづらい新規ブランドの端末は価格的な不利を被りやすいものですが、バルミューダという高付加価値・ハイセンスを売りとした高級ブランドだという観点も含め、価格は「落とすわけにはいかなかった」というのが実情でしょう。


ハイブランド戦略というものは、価格が高いこと自体に価値があるとされることすらある


■属人器として四半世紀鍛えられてきた携帯電話とスマホ
では、なぜバルミューダフォンは同社の扇風機やコヒーメーカーのようには歓迎されなかったのでしょうか。そこにはスマホ(携帯電話)の歴史と道具としての性質が深く関わっているように感じます。

携帯電話の歴史を振り返ってみれば、それは工業製品としての存在から如何に「属人器(自分だけが使う食器や道具)」として進化させていくのかの努力の積み重ねであったことを思い出します。


携帯電話、とは何か


携帯電話が規制緩和によって一般に普及し始め、人々が当たり前のように持ち始めると、人はそこに個性を求め始めます。服やアクセサリーで自分を表現するように、携帯電話でも個性を表現したいと欲したのです。

そして生まれたのが携帯電話用のデコレーショングッズであり、着メロ作成機能であり、ユニークなストラップグッズであり、そして個性的な端末でした。

デザインにこだわった携帯電話と聞いて、KDDIの「INFOBAR」の名前を思い出す30代以上の人はかなり多いでしょう。INFOBARは人々の個性に対する欲求や渇望から生まれたものであり、そして携帯電話も可愛く個性的であって欲しいという「願い」の具現化でもありました。


KDDIによる「auおもいでケータイグランプリ」でも堂々の1位となったINFOBAR


以来、携帯電話はひたすらに個性的で、魅力的で、自分好みの道具であることを強いられ続けてきた工業製品であったと断言しても良いでしょう。

持ちやすさや画面の見やすさはもちろんのこと、キーの打ちやすさ、感触(質感)、重さ、機能性、基本性能、色合い、そして価格に至るまで、あらゆる面で所有者欲を満たすことが要求されたのです。

もちろん、それは食器や家具、家電製品など多くのものにも当てはまる事柄が多いかも知れません。しかしながらここで重要なのは、携帯電話が目指していたものが属人器であったということです。

つまり人々は家族で使う食器や家電製品に求めているレベルの個性ではなく、自分を表現するための強烈な個性を求め続けてきたという点です。

そのような携帯電話の歴史はスマホへの進化を含めて四半世紀続き、その間さまざまな分化と突然変異を繰り返してきました。どうすれば人々を満足させられる個性を出せるのか。何が人々の感性と欲求に響くのか。

そのデザインや機能性など、個性にまつわる例を上げ始めたらキリがありません。つまり、バルミューダはそのような「激烈な個性競争を繰り広げてきた属人器の世界」に、家電製品の感覚で勝負を挑んでしまったのです。それが如何に無謀な試みであったのかは、人々の反応がすべてです。


携帯電話やスマホは、ただデザインが良いだけでは人々は満足しない


例えばバルミューダフォンが目指した「直線のない有機的なデザイン」は、「INFOBAR 2」や「TOUCH WOOD SH-08C」といった10年以上も昔の携帯電話の時代にすでに他社が模索した世界であり、直感的で卓越したUIのアプリなどもスマホ用アプリとしてさまざまなものがダウンロードできます。

個性的なホームUIなどは「機種変更すると使えなくなって不便」、「2〜3年で買い換えるものだからホーム画面はデフォルトのままのシンプルなほうがいい」と、むしろ好まれない傾向すらあります。


ケータイからスマホまで、一貫して有機的なデザインを目指してきたINFOBARシリーズ



INFOBAR A01のホームUI「IIDA UI」。タイル状のUIは拡縮可能で、ウィジェットとしても機能する拡張性は時代を先取りした先進的なものだった



ドコモが2010年に発売したシャープ製「TOUCH WOOD SH-08C」。OSにSymbian OSを採用したスマホで、ヒノキ材を使用した筐体によって環境保護を訴えた


つまり、バルミューダフォンが目指した世界はすでに人々が見聞きしてきた「見たことのある世界」だったのです。

忖度なく答えてしまうなら、そもそも最大の特徴とも言える丸いデザインを見て、筆者は「iPhone 3Gに似ているな」と感じてしまったのです。デザインを武器にしていながら既視感という言葉で語ってしまえるスマホほど悲しいものはありません。

最大の売りの部分が何かの模倣に感じられてしまっては、そのアイデンティティが根底から瓦解してしまいます。


上のような3面画像を見せられて、iPhone 3Gを思い出すなと言われる方が難しい


しかも、そのデザインは「15年近くも過去のデザイン」です。当時はそれこそ途方もない魅力に溢れたデザインであり、他社が訴訟沙汰も覚悟の上で真似たデザインでしたが、スマホはそれから10年の間に圧倒的な進化を遂げました。

寺尾玄社長は今のスマホについて「画面が大きすぎる」と批判し、「理想は4.8インチだった。でも部品がなく、仕方なく4.9インチになった」と語っていましたが、その大画面化も人々が望んだ世界だったからこそです。

本連載コラムでも、過去に小型のiPhone 12 miniが売れなかった理由について考察したことがありますが、結論として多くの人々はその世界(小さなスマホ)を望まなかったのです。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:策士策に溺れる。iPhoneのminiモデルで起きた事前調査と販売実績の乖離から消費者心理と数字の落とし穴を考察【コラム】


iPhoneでさえ「小さい」ことを売りに出来なかったのに、どうして新興ブランドがそれを成し遂げられようか


■必然ではなく、反骨精神によって生まれたスマホ
筆者個人としては、寺尾玄社長が理想とした小型で手に馴染む有機的なデザインの携帯電話(スマホ)という部分に強く共感できるところです。

だからこそ、古くはKDDIのINFOBARシリーズやソニー・エリクソンのpreminiシリーズ、そして今ではAppleのiPhone 12 miniやiPhone 13 miniといった、小型の端末やユニークなデザインの端末に携帯電話やスマホのさらなる可能性を見出しています。

しかしながら、その理想が大多数の人々の心に刺さるものでもないこともまたよく知っています。そういったニッチな製品だからこそ、そのニッチな層が何を求め、その道具がどういった進化と発展の先に存在すべきなのかも強く意識したプロダクトが必要なのだとも感じるのです。


小さい端末は何かしらの妥協を強いられ妥協を必須とするゆえに、マス市場の要求を飲み込みきれない


2018年にINFOBARシリーズの新作「INFOBAR xv」が発売される際、筆者はそのデザインの生みの親である深澤直人氏によるデザインツアーを取材する機会がありました。

その取材の中で、深澤氏が「INEVITABLE(必然)」という言葉をキーワードとして何度も使用していたのを今でも強烈に記憶しています。

深澤直人氏
「川の流れに逆らわず……ではないが、デザインも自然の必然的な流れを予見しながら素直に作っていかなければいけない」
「(初代の)INFOBARはもう15年前。その時からもう必然的な流れを感じ取りながら『こんな感じになるのではないか』と思いつつやってきた」

「カード型(現在のスマホ)というのももちろん必然的に出てくるだろうな、と僕の中では読んでいた。INFOBARはスマホとの違いをどう表現するのかというのがあった。スマホに飲み込まれてしまうかもしれなかったし、そこは読み切れなかった」
「IoTという時代がカード型端末(スマホ)を必然的に欲した」

「しっかりとしたデザインコンセプトがあると、(周辺アイテムも)必然的にデザインが生まれてくる」

深澤氏が何度も語った必然とは、つまり人々の願いや要求です。こういう携帯電話が欲しい、こんなスマホが欲しい。そういった願望が「必然」として製品のデザインやかたちに反映されていく。それこそがデバイスにおける正統進化だと強く感じるのです。


インダストリアルデザインの巨匠はかく語りき


では、バルミューダフォンが目指したそのデザインは必然だったでしょうか。

寺尾玄社長は自身を「元ロックンローラー」だと語り、現在のデザイン的に代わり映えしないスマホを「校庭に整列している生徒のようだ」と揶揄した上で、「きちんと並べと言われると飛び出したくなるのがバルミューダ、整列できないバルミューダ」と自身すらも自虐的に語っています。

つまり、人々がバルミューダフォンに感じた違和感や落胆とは、人の期待や要求から必然的に生まれた新しさではなく、単なる反骨精神やロックンロール魂から生まれた「跳ねっ返り端末」だったからなのです。

しかもそのコンセプトでありながら、どこかで見たようなデザイン、どこかで聞いたような売り文句とあっては、「なんだ、口だけか」と辛辣に評価されてしまうのも仕方がなかったように感じます。


尖った精神の製品は、それだけシビアに評価されてしまう


■スマホという特殊な日常性
スマホの特殊性は、私たちの日常利用を考えれば分かることです。寺尾玄社長の言葉を借りるならば「1日に50回から100回も触る」ものであり、どこに行こうと肌身離さず持ち歩く道具です。

そうであるならば、なぜ誰も望んでいない(少なくとも人々が欲しいと要求していない)ところからデザインを導き出す必要があるのでしょうか。

バルミューダフォンが「僕が考えた最強のスマホ」だったのは分かります。しかしそれが市場のニーズを掴んでいるのかどうかの調査はどこまで行われていたのでしょうか。

少なくとも、バルミューダというブランドに惹かれて購入してくれるユーザーが何を求めているのか、もしくはどのようなニーズをターゲットとしてこの端末のデザインが導き出されたのかは、発表会でもう少し強く語るべきだったように思います。


こう言っては申し訳ないかもしれないが、今時仕上げ加工にこだわりのないスマホなど1つも存在しない


そして何より価格です。最も身近な日用品であると断言するのであれば、なぜ手に取りやすい価格にしなかったのでしょうか。扇風機やコーヒーメーカーは家に置くインテリアの1つだからこそ高級であること自体に意味がありますが、スマホは価格に付加価値をほとんど持ちません。

高級なスマホが売れるのは、高級なブランドだからではありません。高級な性能と機能があるからです。そしてその価格に見合う信頼を得ているからです。

仮にAppleがミドルスペックのiPhoneをハイエンド価格で売り出したとしても売れるかどうか怪しいほどなのに、なぜその業界に初参入の企業のスマホがその価格で売れると考えたのでしょうか。


ソフトバンクショップの価格で比較するなら、ほぼ同じ金額でiPhone 13 Proが買える。さて、あなたはどちらが欲しいだろうか


スマホが大画面化や機能・性能の成熟に伴って画一的な形に落ち着き、そのデザインが代わり映えしなくなったことは間違いありません。そしてそれも一因となって人々がスマホから興味を失い始めていることもまた間違いのない事実です。

しかしながら、それは停滞や退化ではないとも考えます。工業製品がブームやトレンドを超え、キャズムを超えて一般化し、その技術や機能がコモディティ化していった結果であり、ファッション性や個性とはその先にある展開・進化だと考えるからです。

バルミューダフォンの試みは少々突飛でしたが、そのチャレンジ精神の方向性や在り方は正しくもあり、そしてまた各社が今最も真剣に挑んでいる分野でもあります。

性能や機能で大きな違いを出せないからこそ、どんなに細かなニーズでも拾い上げて支持を得ようと必死なのです。バルミューダフォンが自惚れていたのではありません。他社の競争が遥かに凄まじいのです。

バルミューダがそこに気が付き、本当に消費者が求めているスマホの価値を見つけ、丁寧に拾い上げることができるようになれば、恐らくその時こそロックンロール魂による抜群のチャレンジ精神を発揮し、「これは欲しい」と絶賛されるスマホを生み出せるようになるかも知れません。


人々の求める世界の先にあるデザインを目指して欲しい


記事執筆:秋吉 健


■関連リンク
・エスマックス(S-MAX)
・エスマックス(S-MAX) smaxjp on Twitter
・S-MAX - Facebookページ
・連載「秋吉 健のArcaic Singularity」記事一覧 - S-MAX