ロシアで下院(国家院)選挙の投票が始まった9月17日(米国時間)、窮地に立たされていた反体制派による投票支援アプリを、グーグルとアップルがアプリストアからひっそりと削除した。特にこれまでクレムリンに譲歩を続けていたアップルとしては、ここに来てまたもや譲歩したかたちになる。これを受け、ロシア政府の要求は今後さらに厳しさを増す可能性が高い。

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いまテック業界は、複雑な人権問題と安全確保の問題にいかに対処すべきかについて苦心している。そうしたなか今回の出来事は、多くのテック企業が特定の地域で事業を展開するために続けてきた不本意な妥協と、独裁政権による要求が大胆さを増す現実を浮き彫りにした。

ロシア政府はこの投票支援アプリを削除するよう、数週間前からアップルとグーグルに圧力をかけてきた。罰金を科すと脅し、両社は違法な選挙妨害に関与しているとまで非難したのである。

アプリ削除は「政治的検閲」か

このアプリは投獄された野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイの関係者が開発したもので、ロシアの225の選挙区ごとに与党「統一ロシア」に勝てる可能性が最も高い候補者を推薦していた。投票は週末を通して続いたもののアプリそのものはダウンロードできなくなり、代わりに紛らわしい偽物のアプリが登場し始めた。

AP通信の報道によると、アップルとグーグルの代表が16日にロシア連邦院のメンバーと会合をもった。そして連邦院が声明を発表し、アップルが削除に応じることになったと説明したという。グーグルがアプリを削除する決定を下した経緯を知る人物によると、ロシア当局は特定のグーグル社員を重大な罪で刑事告発すると脅し、同社は従わざるを得なくなったという。

なお、『WIRED』US版はアップルにコメントを求めたが、返答はなかった。グーグルはコメントを拒否している。

「ナワリヌイのアプリをストアから削除することは、政治的検閲という恥ずべき行為だ」と、ナワリヌイの側近であるイワン・ジダーノフは17日にツイートしている。ジダーノフはまた、アップルから投票支援アプリの開発者に送られてきたとするメールのスクリーンショットをツイートした。このメールはナワリヌイの反対運動とその支援者を「過激派」と表現し、アプリに「ロシアでは違法なコンテンツが含まれています」と主張していた。

さらにアップルは、大規模な監視に対抗すべくユーザーのIPアドレスと閲覧履歴を隠す新機能「iCloud Private Relay」を、ロシアで無効にしたと報じられている。この新機能は現時点ではベータ版だが、アップルは中国、サウジアラビア、フィリピン、ベラルーシなどの国々では「規制上の理由」から提供したことがなかった。これに対してロシアでは提供を開始していた。

強まるテック企業への圧力

投票支援アプリに対するロシアの今回の措置は、より大きな動きの一端をなすものだ。今年4月には、ロシアで販売される「iPhone」を含むiOSデヴァイスに、ロシアの開発者によるアプリをインストールするようユーザーに促す設定が追加された。こうしたアプリはプリインストールされているわけではなく、ユーザーはダウンロードしないことも選択できるものの、アップルはロシアの法律に譲歩するかたちでこの変更を実施した。

そして、締め付けを強めているのはロシアだけではない。中国政府はオンライン検閲システムのグレートファイアウォール(金盾)と共に、海外のテック企業による中国国内での事業展開を長年にわたって厳しく管理してきた。例えば海外のサーヴィスは、すべて中国のクラウド企業が所有する中国国内のサーヴァーを使用することが義務づけられている。

インドもまたツイッターやフェイスブックのような国際的なテック企業に対し、プライヴァシーを侵害するような妥協をますます強いるようになっている。それでも、投票ガイドアプリの削除のような露骨に政治的な行為は憂慮すべき危険な新展開だ。

今回の出来事の直前にも、児童の性的虐待コンテンツがないかどうかを「iCloud」だけでなくユーザーのiPhoneや「iPad」上でも直接スキャンするというアップルの計画を巡って、別の論争が巻き起こっている。こうした機能は顧客データへのアクセスをアップルに要求する外国政府に悪用される可能性があると、プライヴァシー保護やセキュリティの活動家らが主張し、アップルはプロジェクトを延期している。

そしてアップルは、外国政府からのそのような要求には一切応じないと断言していた。「アップルやグーグルのような企業が、政府の要求には応じないと言い張ることなどできません。要求に応じてきた厳然たる歴史があるのですから」と、ジョンズ・ホプキンス大学の暗号学者、マシュー・グリーンは言う。

最終的な譲歩の意味

テック企業の行動が人権に及ぼす影響は世界中に波及する。だが、独裁政権にどのように対処すべきかは、簡単に答えが出せる問題ではない。それに国際的企業が法的な規制に抗議し、確立された市場から撤退することもありそうにない。テック企業が人権に及ぼす影響は、実際のところ功罪が入り混じったものであると、世界における自由・人権の保護を目的に設立された国際NGO「フリーダム・ハウス」のリサーチアナリストのイザベル・リンツァーは言う。

ロシアやイランのような独裁政権は、国家によるインターネットの完全統制にますます注力しており、独自のアプリやアプリストアの立ち上げにも力を入れている。このため、国際的なテック企業がつくったモバイル機器やOSが現地のユーザーの手に渡ることには、それだけでもセキュリティとプライヴァシーの面でメリットがあるのだ。

例えば、「Google Play」と「App Store」の制限付きヴァージョンであっても、国際的なアプリをある程度は利用可能になり、しかも「iMessage」などの定番のサーヴィスではエンドツーエンドの暗号化を提供している。それに今回の野党投票支援アプリに関して言えば、ロシアではモバイルOSが「Android」が主流なので、ユーザーはまだサードパーティーのアプリストアからダウンロードできる可能性がある。

リンツァーはまた、今回のアプリの削除は恥知らずな検閲行為であり、危険な前例となる可能性があると言う。その上で、投票がすでに始まって多くの人々がダウンロードしてしまうまでロシア政府の要求に逆らったという点で、アップルとグーグルはある程度の役割を果たしたとも指摘する。

「こうした要求への抵抗は、たとえ最終的に要求に応じることがあったとしても今後も重要であり、わたしたちが支援すべきことです」と、リンツァーは言う。「ですから、表現の自由を守るためにテック企業に圧力をかけ続けることが重要です。何が起きているのか、独裁政権は世界中で見守っています。そしてわたしたちは、このような前例が認められないようにする必要があります」

アップルとグーグルがロシアの削除命令に抵抗したことで、選挙前にナワリヌイのアプリが行き渡る時間が稼げた。それでも両社は、最終的には譲歩した。このことは結果として、両社がいずれ突きつけられるに違いないほかの要求にも屈する可能性があることを示唆している。

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