人生は何度かやり直せる。だからこそ真剣になれる――小説第2作『これはただの夏』を燃え殻さんに聞く(2)
Netflixでの映画化も決定している『ボクたちはみんな大人になれなかった』から4年。燃え殻さんが、ひと夏の印象的な日々を描いた新たな小説『これはただの夏』(新潮社刊)を刊行した。
本書で描かれるのは、テレビ制作会社の仕事に忙殺され、生きづらさを抱えながらなんとなく生きてきた主人公の「ボク」が過ごした、取引先の披露宴で出会った女性・優香、同じマンションに住む小学生の女の子・明菜、末期がんが見つかったテレビ局のディレクター・大関との特別ではない夏の数日間。
出会いと別れは唐突にやってくる。彼らが過ごした、ただの一夏の日々。それが、私たち読者の胸を締めつける。もう二度と同じ時間はやってこない。だからこそ愛おしく、そして切ないのだ。
新刊JP編集部は作者の燃え殻さんにこの物語についてインタビューを行った。後編では、主人公に大きな影響を与える大関というキャラクターについての話からスタートする。
(聞き手・文/金井元貴)
・インタビュー前編はこちらから
■人間が自分を取り戻していくきっかけとなるものとは
――大関と「ボク」の関係性について、大関が末期ガンを宣告される前と後で何かしらの変化はあったのでしょうか。
燃え殻:多少なりとも変わってはいるでしょうけど、大関のスタンス自体はそんなに変わっていないと思います。彼はスタンスを崩さないで会うことしかできないし、それが不器用なりの礼儀なのではないかと思うんですよね。僕がこれまで会ってきた、亡くなった方々もそういう人が多かったので、そう描いたのかもしれません。
――大関自身も自分の死を意識する中で、少しずつ変わっていく部分があると思います。その変化についてはどう描こうと思いましたか?
燃え殻:テレビ制作の業界にいると、「俺は死なないぞ」っていうスタンスでかなり無茶な働き方をしている人ってすごく多いんですよ。でも、死ぬんですよね。
――確かに私も、無茶な働き方なり生き方をしている人は、早めに亡くなる印象があります。
燃え殻:そうなんですよ。早くに亡くなるんです。でも、その直前まで「死ぬなんてありえない」というスタンスで生きている。
ただ、そういう人が入院して、静かな病室の中で自分の人生や日常を振り返ったときに、それまでとは違う人生がはじまるように思うんです。何を大切にして、何であそこまで頑張っていたんだろうと思って、人間性を取り戻していく過程があるんじゃないかなと。
大関はまさにそうで、その姿を見た鈍感な「ボク」も人間性を取り戻したり、明菜がそういった大人たちと交流して子ども心を取り戻していく。元あるべき場所にみんな戻っていくということがあると思うんです。
――自分の居場所じゃないところに来てしまった人たちが、それぞれのちょっとした変化をもとに自分を取り戻していくわけですね。
燃え殻:そうです。背伸びするのをやめるみたいな感じですよね。少なくとも大関は「もう頑張らなくていいんだ」という感覚を持っていて、その上に自分は一体あと何ができるのかを考えはじめていく。
――その変化はある種の「成長」として捉えられるのではないかとも思いました。
燃え殻:ポジティブで前向きな「成長」ではないですけどね。周りにいる大切な人間たちが、何かしらの決断をしたり、何かしらの運命に巻き込まれたときに、ふと自分ごととして考えることってあるじゃないですか。自分だったらどうするだろうって。そういうことで人は変わっていくのではないかと思います。
■人生は何度かやり直せる。「何度か」だからこそ真剣になれる
――この小説は、「ボク」と登場人物の関係の始まりと終わりが唐突にやってくるという、まさに「ひと夏の物語」です。燃え殻さんはこういった印象的な夏を過ごしたことはありますか?
燃え殻:うーん…ないですね(笑)
――普遍的な日々が続いているように思えるけど、あとから振り返ってみると印象深かったということってないですか?
燃え殻:それはあるかもしれません。区民プールに行って、そこで「面白いことでも起きればいいんだけどね」とか話すだけで、何も特別なことは起きなかったけれど、後から考えたらその区民プールが一番楽しかったみたいなことってありますよね。
――その感覚が『これはただの夏』というタイトルにも通じていて、「ただの夏」だけれども特別なんですよね。
燃え殻:「今日はただの一日」と思いながらも、実は昨日と全然違う日を送っているじゃないですか。だから、何かそこで違うものを見つけたり、今日を生きている意義を探したりしないといけないと思うんです。
「昨日と一緒」とか「明日も同じ」ではなくて、昨日と今日は違う、明日も今日と違うと思って生きることって、とても意義があると思いますし、上手く生きる一つの方法だと思うんですよね。
――去年の夏前頃に本業のお仕事を休職されたそうですね。仕事から離れて感じたことはなんですか?
燃え殻:サラリーマンは偉大だなと(笑)。毎月給料が払われ、年2回ボーナスが払われるということは、すごいことです。今はフリーランス的に活動をしているのですが、大変なんですよ。でも、そういう大変さを味わえたことは良かったと思っています。
ぼんやりしていたところもあったから、自分に発破をかけないといけない時期でしたし、もう1回くらい自分の人生やれるじゃんと思っているのが正直なところですね。
――この小説の中でも優香が「人生って何度かはやり直せそうな気がしている」と言っていましたけど、やり直しはできる、と。
燃え殻:そうですね。自己啓発本を読むと「今が一番若い。人生は何度もやり直せる」って書かれていたりしていて、「何度も」はさすがにないと思うんですよね。でも、「何度か」はやり直せると思うんです。そして、「何度か」だからこそ慎重に、そして真剣に頑張ろうと思うわけです。
真剣にやって上手くいくこともいかないこともありますが、後悔はないです。上手くいかないときは全部自分のせいなんで。人のせいにし始めると、その癖がついちゃうからタチが悪いんですよね。
この本のPVであったり、装丁であったり、いろんなことを自分でやるのはうるさがられてしまうけれど、最終的には自分がすべてを引き受けないと、といった覚悟があるから、そうするんですよね。
――『これはただの夏』をどんな人に読んでほしいですか?
燃え殻:誰にというのはなく、たくさんの人に読んでほしいです。今回は小説を書いたという感覚が強くて、夏にむさ苦しくなく読めるものになっていると思います。
――ツイッターでは本書にかける想いが見えますが、かなり自信を持たれているのかなと。
燃え殻:そうですね。『ボクたちはみんな大人になれなかった』はAmazonのレビューが結構ひどくて、怖気づいちゃうくらいなんですけど、『これはただの夏』は書き上げたときに、評価だったり、部数だったりというものは、良かろうが悪かろうがどっちでもいいと腹をくくれたように思えたんです。この小説を書けたことに満足できたというか。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』みたいな分かりやすさはなくなっているかもしれないけれど、小説を書き上げたという達成感はその時の何倍もありますね。
――燃え殻さんにとってベストな小説が書けた。
燃え殻:そう思っています。でも、この前「自分でベストだと満足した小説家はダメだ」っていう書き込みをツイッターとかで見たんですよ。そうなんですかね?
――これまで多くの作家さん、著者さんにお話をうかがってきましたけど、「今までで一番の自信作です」という言われる方は多いですよ。
燃え殻:それなら大丈夫ですね。自信作です。
(了)
・インタビュー前編はこちらから
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新刊JP編集部は作者の燃え殻さんにこの物語についてインタビューを行った。後編では、主人公に大きな影響を与える大関というキャラクターについての話からスタートする。
(聞き手・文/金井元貴)
・インタビュー前編はこちらから
■人間が自分を取り戻していくきっかけとなるものとは
――大関と「ボク」の関係性について、大関が末期ガンを宣告される前と後で何かしらの変化はあったのでしょうか。
燃え殻:多少なりとも変わってはいるでしょうけど、大関のスタンス自体はそんなに変わっていないと思います。彼はスタンスを崩さないで会うことしかできないし、それが不器用なりの礼儀なのではないかと思うんですよね。僕がこれまで会ってきた、亡くなった方々もそういう人が多かったので、そう描いたのかもしれません。
――大関自身も自分の死を意識する中で、少しずつ変わっていく部分があると思います。その変化についてはどう描こうと思いましたか?
燃え殻:テレビ制作の業界にいると、「俺は死なないぞ」っていうスタンスでかなり無茶な働き方をしている人ってすごく多いんですよ。でも、死ぬんですよね。
――確かに私も、無茶な働き方なり生き方をしている人は、早めに亡くなる印象があります。
燃え殻:そうなんですよ。早くに亡くなるんです。でも、その直前まで「死ぬなんてありえない」というスタンスで生きている。
ただ、そういう人が入院して、静かな病室の中で自分の人生や日常を振り返ったときに、それまでとは違う人生がはじまるように思うんです。何を大切にして、何であそこまで頑張っていたんだろうと思って、人間性を取り戻していく過程があるんじゃないかなと。
大関はまさにそうで、その姿を見た鈍感な「ボク」も人間性を取り戻したり、明菜がそういった大人たちと交流して子ども心を取り戻していく。元あるべき場所にみんな戻っていくということがあると思うんです。
――自分の居場所じゃないところに来てしまった人たちが、それぞれのちょっとした変化をもとに自分を取り戻していくわけですね。
燃え殻:そうです。背伸びするのをやめるみたいな感じですよね。少なくとも大関は「もう頑張らなくていいんだ」という感覚を持っていて、その上に自分は一体あと何ができるのかを考えはじめていく。
――その変化はある種の「成長」として捉えられるのではないかとも思いました。
燃え殻:ポジティブで前向きな「成長」ではないですけどね。周りにいる大切な人間たちが、何かしらの決断をしたり、何かしらの運命に巻き込まれたときに、ふと自分ごととして考えることってあるじゃないですか。自分だったらどうするだろうって。そういうことで人は変わっていくのではないかと思います。
■人生は何度かやり直せる。「何度か」だからこそ真剣になれる
――この小説は、「ボク」と登場人物の関係の始まりと終わりが唐突にやってくるという、まさに「ひと夏の物語」です。燃え殻さんはこういった印象的な夏を過ごしたことはありますか?
燃え殻:うーん…ないですね(笑)
――普遍的な日々が続いているように思えるけど、あとから振り返ってみると印象深かったということってないですか?
燃え殻:それはあるかもしれません。区民プールに行って、そこで「面白いことでも起きればいいんだけどね」とか話すだけで、何も特別なことは起きなかったけれど、後から考えたらその区民プールが一番楽しかったみたいなことってありますよね。
――その感覚が『これはただの夏』というタイトルにも通じていて、「ただの夏」だけれども特別なんですよね。
燃え殻:「今日はただの一日」と思いながらも、実は昨日と全然違う日を送っているじゃないですか。だから、何かそこで違うものを見つけたり、今日を生きている意義を探したりしないといけないと思うんです。
「昨日と一緒」とか「明日も同じ」ではなくて、昨日と今日は違う、明日も今日と違うと思って生きることって、とても意義があると思いますし、上手く生きる一つの方法だと思うんですよね。
――去年の夏前頃に本業のお仕事を休職されたそうですね。仕事から離れて感じたことはなんですか?
燃え殻:サラリーマンは偉大だなと(笑)。毎月給料が払われ、年2回ボーナスが払われるということは、すごいことです。今はフリーランス的に活動をしているのですが、大変なんですよ。でも、そういう大変さを味わえたことは良かったと思っています。
ぼんやりしていたところもあったから、自分に発破をかけないといけない時期でしたし、もう1回くらい自分の人生やれるじゃんと思っているのが正直なところですね。
――この小説の中でも優香が「人生って何度かはやり直せそうな気がしている」と言っていましたけど、やり直しはできる、と。
燃え殻:そうですね。自己啓発本を読むと「今が一番若い。人生は何度もやり直せる」って書かれていたりしていて、「何度も」はさすがにないと思うんですよね。でも、「何度か」はやり直せると思うんです。そして、「何度か」だからこそ慎重に、そして真剣に頑張ろうと思うわけです。
真剣にやって上手くいくこともいかないこともありますが、後悔はないです。上手くいかないときは全部自分のせいなんで。人のせいにし始めると、その癖がついちゃうからタチが悪いんですよね。
この本のPVであったり、装丁であったり、いろんなことを自分でやるのはうるさがられてしまうけれど、最終的には自分がすべてを引き受けないと、といった覚悟があるから、そうするんですよね。
――『これはただの夏』をどんな人に読んでほしいですか?
燃え殻:誰にというのはなく、たくさんの人に読んでほしいです。今回は小説を書いたという感覚が強くて、夏にむさ苦しくなく読めるものになっていると思います。
――ツイッターでは本書にかける想いが見えますが、かなり自信を持たれているのかなと。
燃え殻:そうですね。『ボクたちはみんな大人になれなかった』はAmazonのレビューが結構ひどくて、怖気づいちゃうくらいなんですけど、『これはただの夏』は書き上げたときに、評価だったり、部数だったりというものは、良かろうが悪かろうがどっちでもいいと腹をくくれたように思えたんです。この小説を書けたことに満足できたというか。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』みたいな分かりやすさはなくなっているかもしれないけれど、小説を書き上げたという達成感はその時の何倍もありますね。
――燃え殻さんにとってベストな小説が書けた。
燃え殻:そう思っています。でも、この前「自分でベストだと満足した小説家はダメだ」っていう書き込みをツイッターとかで見たんですよ。そうなんですかね?
――これまで多くの作家さん、著者さんにお話をうかがってきましたけど、「今までで一番の自信作です」という言われる方は多いですよ。
燃え殻:それなら大丈夫ですね。自信作です。
(了)
・インタビュー前編はこちらから
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