米津玄師「死神」の元ネタになっている落語の「死神」ってどんな話し?

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「ホラ、ふれぇ(震え)てると、け(消)ぇるよ……」
※落語「死神」より

近ごろ、ミュージシャンの米津玄師さんが「死神(しにがみ)」という新曲を出されたそうで、聴いてみると実に好みでした。

そのモチーフとなったのは、プロモーション動画からお察しの通り、落語の「死神」。

歌詞や仕草のところどころにそのエッセンスが散りばめられていて、とても味わい深く視聴させて頂きました。

さて、この「死神」とは一体どのようなお話しなのでしょうか。今回はそれを紹介したいと思います。

やってきた死神

今は昔、江戸のどこかに住んでいた、どこにでもいそうなロクデナシ一人。

何をやっても失敗ばかりで一文無し、女房子供にも愛想を尽かされ、いよいよ自殺しようかと思い詰めていたところにやってきた胡散臭い老人は、死神だと自称します。

豊原国周「梅幸百種之内 死神」

曰く「前世からの因縁があるので助けてやろう。お前はこれから医者になれば、金儲けができる」との事ですが、男に医者をやるなんて能力はありません。

「まぁ聞け。死にそうな病人がいたら、俺がその枕元か足元に座る。俺が枕元に座ったら寿命だから諦めるよりないが、俺が足元に座ったら、そいつはどんな病状だろうが、必ず治る。俺が立ち去れば病人は死ぬか治るかするのだが、俺を立ち去らせるにはお決まりの呪(まじな)いがある。いいか、一度しか言わねぇからよく聞いておけ。
『あじゃらかもくれん……テケレッツの、パ』
で、ポンポンと柏手(かしわで)を二つ。これだけでいい」

まぁ実際には、それに医者らしい勿体をつけて、訝しまれないよう人目を避ける必要がありますが、やる事自体はとても簡単です。

「へぇ、それだけでいいのかい?『あじゃらかもくれん……テケレッツの、パ』(柏手2回)……そんなバカな……あれ、おい死神!」

呪文を聞いたから、死神は立ち去ってしまったのです。これはもしかしたら本当かも知れないと、男は医者を始めてみることにしました。

医者を始めてみたところ……

さて、何の心得もないけれど医者をはじめてみたところ、さっそく日本橋にある大店の番頭さんがやってきて「どこの医者にも匙を投げられてしまったのだが、どうか主人を診て欲しい」と懇願します。

「はいはい、もちろん行きますよ」

果たして行ってみると、都合よく病人の足元に死神が座っているので「あぁ、こんなものは簡単に治ります」と啖呵を切って「これから秘術を施すから」とか何とか言って、人を遠ざけました。

そして例の「あじゃらかもくれん……テケレッツの、パ(柏手2回)」をやってみると、果たして死神は立ち去り、病人はケロリと治って「ウナギが食いたい」なんて言い出す始末。

「江戸中の医者という医者が匙を投げた患者を、いとも簡単に治してしまった……いやぁあの先生は名医だ……」

大事なのは、病気を治す以上に「名医らしく見せる」こと(イメージ)

この一件以来、男の元には診てくれ診てくれと患者の家族がひっきりなし。どの医者も見放した重病人ばかり回されるものですから、たとえ死神が枕元に座っていたって、神妙な顔で「手は尽くしましたが……」と伝えれば、家族からも不満どころか「最後まで熱心に看て下さり、ありがとうございます」など感謝されるくらいでした。

かくしてブランドが出来てしまえば後はもう黙っていても客は押し寄せ、にわかに金回りがよくなると、男は女房子供など追い出してしまって贅沢三昧の好き放題。

「いやぁ愉快々々……」

などと調子に乗っていたところ、今度はパタッとお客が来なくなってしまいます。

枕元の死神を……

「あれ、どうしたんだろう」

どうしたも何も、医者は病気を治すのが仕事ですから(予防医療なんて概念の普及していない時代でした)、病人がいなければ仕事もない訳で、医者が努力して病人を作る訳にも行きません。

さぁ困りました。このままではいよいよ飢え死にです。

最早これまでかと思っていたところ、念願の患者が現れたので往診に駆けつけますが、久しぶりに会った死神が座っていたのは枕元。

枕元に座る死神(イメージ)

「……誠に残念ながら……」

これじゃほとんどお金はとれません。とは言え寿命なものは仕方がないので男が告げると、家族は「そんなことを言わないで、あと一ヶ月延命していただければ、千両、いや一万両をお支払いします」などと懇願します。

いくらお金を積まれたって無理なものは……いや、待てよ?男は一計を案じました。

「店の男手を集めて布団の四隅を持たせ、私が合図したら、それを回して下さい」

つまり、死神が「あじゃらかもくれん……」を聞いた瞬間に枕元と足元をひっくり返してしまえば、生き死にが逆になって患者が助かるという算段です。

死神が転寝をした隙を狙ったところ、作戦は見事に成功。今まで枕元に座っていると思っていたのが足元に座っていることに気づいた死神は大慌てで逃げ出し、患者はケロリと治って「今日も元気で煙草が旨い」などと言いだす始末。

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

一万両は流石に重たいので後日届けてもらうことにして、とりあえず数両ばかり手に入れた男は、ホクホク顔で歓楽街に出かけたのですが……。

蝋燭の火が……

「馬鹿野郎」

すっかり夜も更けた帰り道、男の背中に恨み言をかけたのは死神でした。そりゃそうですよね。

「てめぇ、死神業界のタブーを犯しやがって!お陰で俺は減俸になっちまった。どうしてくれンだよ」

「あぁ、ごめんごめん。お陰サンでこっちは一万両入ったからサ、今度おごってやるよ」

「人間世界のカネなんざ、俺たちには意味がねぇンだよ……まぁいいさ。お前も今回の件で、相応の『代償』を支払ったンだからな」

「え?」

死神の言葉にふと恐ろしくなった男は、気がつくと真っ暗闇の中にたくさんの蝋燭が灯っている空間に来ていました。

「これは……?」

蝋燭は長いのも短いのも、また勢いよく燃えているのも消えそうなのもあり、死神はこれを「人間の寿命」だと言います。

「お前の寿命は……ホラ、これだ」

死神が指さす先には、今にも消えそうな蝋燭が、ジリジリと音を立ててか細い火を立てていました。

「おい、これ消えたらどうなるンだ?」

「消えたら死ぬよ」

「……そんなバカな!俺はまだこんなに元気だぜ?」

「元気だって何だって、死ぬヤツは死ぬ。むしろ、いかにも死にそうな病人よりも、今まで元気だったヤツがバッタリ死ぬ方が、見ていて面白ぇと思わねぇか……?」

「この野郎、悪趣味だな!」

「まぁ、死神だからな」

「……でも、どうしてこんな事に!?」

「お前ェがあの病人の布団をひっくり返ぇした時、お前はヤツと命のとっけぇ(取換)っこをしちまったのサ」

「ってぇ事は?」

「お前ェの本当の寿命はナ、ほらコレだ」

死神が指さす蝋燭は、確かにまだ半分弱ほどあって、元気よく燃えています。しかし、それはもうあの病人のもの、今さら悔やんでも始まりません。

「目先のカネに目がくらんで、命を売ったバカな男がポックリ死ぬ……まぁ、減俸の気晴らしにさせてもらうぜ」

「そんな……前世の因縁がどうとか言ってたじゃねぇか。そのよしみで何とかならねぇのか!」

哀願する男に、死神は蝋燭を一本渡します。

「仕方ねぇ。コレに火を移すことが出来れば助かるが、さっさとしねぇと火が消えるよ」

「ありがてぇ!」

しかし、蝋燭の火を移すなんて簡単だと思うでしょうが、なにぶん命がかかっており、緊張して手が震えると、意外と上手くいかないものです。

さぁ、上手くいくでしょうか(イメージ)

「ホラ、ふれぇ(震え)てると、け(消)ぇるよ……」

「やめてくれよ!お前ェがそうやって声をかけるから、手が震えちまうんだ!」

「ホラ、消ぇるよ……消ぇるよ……」

「あ、消え」

とうとう蝋燭の火が燃え尽きて、男は死んでしまったそうな。

終わりに

……というストーリーなのですが、米津玄師さんのプロモーション動画を改めて見ると、歌詞や仕草のどこにどのネタが仕込まれているのか、わかってきてより味わい深いものです。

機会があれば、是非とも生で拝聴したい(イメージ)

また、噺家(はなしか)によっては男が助かったり、あるいはせっかく助かったのにうっかり自分で火を消してしまったり、などなど色々なバリエーションがあるので、聞き比べてみると楽しいでしょう。

筆者は子供のころ、五代目・三遊亭圓楽(さんゆうてい えんらく)師匠の死神が好きで、録音してもらったカセットテープを何度も何度も、それこそテープが伸びるまで聞いたものでした。

「……おぃ、ふゅりぇえてると、きぇえりゅよ……」

落語に興味のない知人からは「ストーリーは同じなのに、何で何度も聞き返すんだ?」と訊かれますが、同じ噺家さんでも日によってその場の空気が違いますし、仮にテープレコーダーであっても、聞いているこちらの気分やコンディションが違いますから、やはり聞く都度の新鮮味、面白味があるものです。

もしよかったら、「死神」に限らず他の落語も色々聞いてみて欲しいと思います。

※参考文献:
河合昌次『読んで味わう古典落語の傑作101噺と見て愉しむ江戸の暮らし』ユーキャン。2015年3月
西本晃二『落語『死神』の世界』青蛙房、2002年12月