「小説ならでは」の仕掛けが鍵を握る――道尾秀介が語る新作『雷神』と小説のポテンシャル(1)
小料理屋を営む藤原幸人のもとにかかってきた、一本の脅迫電話。それが惨劇の始まりだった。昭和の終わりに起きた「母の不審死」と「毒殺事件」の真相を明かすべく、故郷の新潟に向かう幸人とその家族たち。過去と現在の2つの物語が複雑に絡み合い、決して交わるはずのなかった運命が交錯する。そして、驚愕の真実が明かされていく――。
道尾秀介さんの最新作『雷神』(新潮社刊)が話題を呼んでいる。道尾さん自身も会心の出来と語る本作は、「全てのページが伏線」というべき緻密な仕掛けが散りばめられており、何度読んでも違った印象を与えてくれる一冊だ。
新刊JPは道尾さんに取材を行い、この物語の成り立ちや新しい表現への挑戦などについてインタビューを行った。前後編の2回構成でお届けする今回は前編だ。
(取材・文・写真:金井元貴)
■「小説ってこんなにポテンシャルがあるんだと驚かされています」
――まず「雷神」というタイトルについてですが、初めから決まっていたのですか?
道尾 :そうですね。以前執筆した『龍神の雨』『風神の手』、そして今作の『雷神』ということで、個人的に「神3部作」と呼んでいて、「雷神」というタイトルは実は初めから決まっていました。
――作中で「雷」はかなり強い印象を残します。
道尾 :書き始める前に雷について取材をしていたら、すごく面白くて、これは書けることがいっぱいあるなと。実際に作品に取り入れたのは、取材したことのほんの一部ですけど、雷の怖さやパワー、情景描写においてはかなり反映されています。
――小説の構想はいつ頃からあったのですか?
道尾 :『週刊新潮』で連載が始まったのが2020年の正月号だったので、2019年の初夏くらいから構想を練り始めたと思います。
雷をテーマにしようと考えて最初に浮かんだのが、AMラジオの電波で雷雲の接近を知るシーンと、FMラジオの電波で流れ星を探す2つのシーンでした。ラジオの仕組みは以前に『透明カメレオン』という小説を書いたときに知っていたので、最初はAMで雷雲を探すシーンを書こうとしていたのですが、FMで流れ星が探せるということも捨てずにいたら、そちらのシーンもどんどん膨らんで、いつのまにか二つが一つになりました。
――以前の記憶やこれまで積み上げてきたものの中から小説の種を取り出してきたわけですね。
道尾 :たとえば、主人公の娘の夕見(ゆみ)。この名前は、昔、ある場所で見た人の名前なんです。「夕日を見る」と書いて「夕見」ってすごくきれいな名前だなと思って覚えていて、今回主人公の娘に「夕見」という名前をあてたらピッタリときたんですね。
すべての名前には由来があります。そこから過去を想像し、因果を枝分かれさせていく。そうすると過去に何が起きたのかが見えてきて、そこからまた現在に向かって枝分かれさせていく…というように、過去と現在のあいだを行ったり来たりしているうちに、物語も大きくなっていきました。
――本作では「小説ならでは」という部分を意識されたそうですが、それはどのようなところに反映されているのでしょうか。
道尾 :後半のあるシーンでページをめくると、それまで読者がよく知っていたものが画像として出てきます。その画像をずっと見ていると、もしかしたら登場人物よりも先に事件の謎を解くことができるかもしれない。そんなキーとなるポイントを入れました。
この小説はおそらく映像化しようと思えばできます。でも、あの画像を映像で表現したとしても、何秒か経ったら次のシーンに行ってしまうわけですよね。でも、本ならば、そのページをずっと見続けることができる。もちろん選択権は読者にあるので、すぐに次のページをめくってしまっても構いません。自由な読み方ができるようになっています。
――確かにページ1枚に対して向き合う時間を読者自身で決めることができるのが小説です。
道尾 :まさに小説のメリットだと思います。僕自身、デビューして17年になるのですが、小説の持つポテンシャルを甘く見ていました。小説ってこんなにポテンシャルがあるんだと、いまさら驚いています。
■小説を通して見えてくる「神」という存在
――『雷神』は一度読み終わってからが本番の小説のようにも感じました。最後まで物語を見届けたあとに、またページを開いて伏線を確認していくことを余儀なくされるんです。
道尾 :今時の言葉で言うと、コスパが良いとも言えますよね。何回でも楽しめるし、読むたびに物語の意味が変わってくる。僕も出版までに何十回も読んでいますが、いまだに面白いですし。
――とても緻密な構成ですから、登場人物の設定をかなりはっきりさせてから書かれたのではないですか?
道尾 :基本的には設定を固めてから書いていきました。ただ、そうでない部分もあります。
主人公たちは身分を偽って、舞台の一つとなる羽田上村という村に潜入取材に行くのですが、そこで出会う人たちについては事前に決めず、主人公たちと一緒で行ってのお楽しみにしていたんです。そうすることで、主人公たちと同じ気持ちになれるので。
――過去の事件の真相を知るべく潜入取材をするために、故郷の羽田上村に向かうシーンは、小説の中でも緊張が和らぐような雰囲気がありました。夕見が父親や伯母の偽名を考えて、さらに名刺まで作ってしまったりして。若さゆえの明るさと強引さがあるというか。
道尾 :主人公がつらい過去を抱えているうえに、周りの人間たちもみんな暗い顔をしていると、ページをめくる手が重くなってきますよね。それに、家族の中にだいたい一人は明るい性格のやつっているじゃないですか。その辺のリアリティがあって、しかも小説の読み心地を良くしてくれるキャラクターが夕見です。
―― 一方で夕見の父親であり、主人公である幸人は重い運命を背負いながら、事件の真相に近づいていきます。彼にどんな役割を課したのでしょうか?
道尾 :幸人にはできる限り普通の思考回路を持つ人でいてほしかったんです。これは立ち直れないだろうな、というところでは立ち直れないし、ここは我慢できるだろうというところでは我慢できる。そういう普通の感覚を持った人ですね。
ただ幸人には、落雷によって生じた記憶の空白があります。自分で何をしたのかを全て知らないという恐怖を抱えている。でも、これも普通の人だからこそ抱く恐怖感ですよね。彼が特殊な性格であったら、過去を思い出せないことを怖がらなかったかもしれません。
一度動き出してしまったら止められない、大きなうねりがあります。ただ、それは神様が起こしているわけではなく、個人個人のちょっとした感情のすれ違いや絡み合いがエネルギーになって動き始めるものです。そして、それが転がりながらどんどん大きくなって自分までたどりつき、巻き込まれていくしかない状態になる。その巻き込まれてしまった人物が幸人であり、この物語の主人公なんです。
――この物語を貫く一つのモチーフである「神」という存在について、道尾さんはどのように考えていますか?
道尾 :いろいろあると思うけれど、『雷神』を通して見えてくる「神」は、やはり最後の幸人の一言が答えになると思いますね。
――なるほど。最後の一行に書かれているあの言葉ですね。
道尾 :あれが、物事をしっかり考えられる普通の感覚を持った主人公が、運命に巻き込まれた中で得た結論だと思います。ただ、もちろん、人それぞれイメージが異なるというのもそうです。作中では女性宮司の希恵が、また違う「神」のイメージを語っています。でも、僕自身が行き着いた結論は幸人と同じでした。
――ぜひ最後まで読んで確かめてほしいですね。
道尾:そこだけ読めば「当たり前じゃないか」と思えるかもしれないけれど、物語を読んだ後にそれが真実だと心の底から思えてくる。この一つの小説を通して、同じ結論に至ってくれると思うんですよね。
(後編に続く)
【関連記事】
「全てのページが伏線」――道尾秀介が語る新作『雷神』と小説のポテンシャル(2)
【「本が好き!」レビュー】『地中のディナー』ネイサン・イングランダー著
道尾秀介さんの最新作『雷神』(新潮社刊)が話題を呼んでいる。道尾さん自身も会心の出来と語る本作は、「全てのページが伏線」というべき緻密な仕掛けが散りばめられており、何度読んでも違った印象を与えてくれる一冊だ。
(取材・文・写真:金井元貴)
■「小説ってこんなにポテンシャルがあるんだと驚かされています」
――まず「雷神」というタイトルについてですが、初めから決まっていたのですか?
道尾 :そうですね。以前執筆した『龍神の雨』『風神の手』、そして今作の『雷神』ということで、個人的に「神3部作」と呼んでいて、「雷神」というタイトルは実は初めから決まっていました。
――作中で「雷」はかなり強い印象を残します。
道尾 :書き始める前に雷について取材をしていたら、すごく面白くて、これは書けることがいっぱいあるなと。実際に作品に取り入れたのは、取材したことのほんの一部ですけど、雷の怖さやパワー、情景描写においてはかなり反映されています。
――小説の構想はいつ頃からあったのですか?
道尾 :『週刊新潮』で連載が始まったのが2020年の正月号だったので、2019年の初夏くらいから構想を練り始めたと思います。
雷をテーマにしようと考えて最初に浮かんだのが、AMラジオの電波で雷雲の接近を知るシーンと、FMラジオの電波で流れ星を探す2つのシーンでした。ラジオの仕組みは以前に『透明カメレオン』という小説を書いたときに知っていたので、最初はAMで雷雲を探すシーンを書こうとしていたのですが、FMで流れ星が探せるということも捨てずにいたら、そちらのシーンもどんどん膨らんで、いつのまにか二つが一つになりました。
――以前の記憶やこれまで積み上げてきたものの中から小説の種を取り出してきたわけですね。
道尾 :たとえば、主人公の娘の夕見(ゆみ)。この名前は、昔、ある場所で見た人の名前なんです。「夕日を見る」と書いて「夕見」ってすごくきれいな名前だなと思って覚えていて、今回主人公の娘に「夕見」という名前をあてたらピッタリときたんですね。
すべての名前には由来があります。そこから過去を想像し、因果を枝分かれさせていく。そうすると過去に何が起きたのかが見えてきて、そこからまた現在に向かって枝分かれさせていく…というように、過去と現在のあいだを行ったり来たりしているうちに、物語も大きくなっていきました。
――本作では「小説ならでは」という部分を意識されたそうですが、それはどのようなところに反映されているのでしょうか。
道尾 :後半のあるシーンでページをめくると、それまで読者がよく知っていたものが画像として出てきます。その画像をずっと見ていると、もしかしたら登場人物よりも先に事件の謎を解くことができるかもしれない。そんなキーとなるポイントを入れました。
この小説はおそらく映像化しようと思えばできます。でも、あの画像を映像で表現したとしても、何秒か経ったら次のシーンに行ってしまうわけですよね。でも、本ならば、そのページをずっと見続けることができる。もちろん選択権は読者にあるので、すぐに次のページをめくってしまっても構いません。自由な読み方ができるようになっています。
――確かにページ1枚に対して向き合う時間を読者自身で決めることができるのが小説です。
道尾 :まさに小説のメリットだと思います。僕自身、デビューして17年になるのですが、小説の持つポテンシャルを甘く見ていました。小説ってこんなにポテンシャルがあるんだと、いまさら驚いています。
■小説を通して見えてくる「神」という存在
――『雷神』は一度読み終わってからが本番の小説のようにも感じました。最後まで物語を見届けたあとに、またページを開いて伏線を確認していくことを余儀なくされるんです。
道尾 :今時の言葉で言うと、コスパが良いとも言えますよね。何回でも楽しめるし、読むたびに物語の意味が変わってくる。僕も出版までに何十回も読んでいますが、いまだに面白いですし。
――とても緻密な構成ですから、登場人物の設定をかなりはっきりさせてから書かれたのではないですか?
道尾 :基本的には設定を固めてから書いていきました。ただ、そうでない部分もあります。
主人公たちは身分を偽って、舞台の一つとなる羽田上村という村に潜入取材に行くのですが、そこで出会う人たちについては事前に決めず、主人公たちと一緒で行ってのお楽しみにしていたんです。そうすることで、主人公たちと同じ気持ちになれるので。
――過去の事件の真相を知るべく潜入取材をするために、故郷の羽田上村に向かうシーンは、小説の中でも緊張が和らぐような雰囲気がありました。夕見が父親や伯母の偽名を考えて、さらに名刺まで作ってしまったりして。若さゆえの明るさと強引さがあるというか。
道尾 :主人公がつらい過去を抱えているうえに、周りの人間たちもみんな暗い顔をしていると、ページをめくる手が重くなってきますよね。それに、家族の中にだいたい一人は明るい性格のやつっているじゃないですか。その辺のリアリティがあって、しかも小説の読み心地を良くしてくれるキャラクターが夕見です。
―― 一方で夕見の父親であり、主人公である幸人は重い運命を背負いながら、事件の真相に近づいていきます。彼にどんな役割を課したのでしょうか?
道尾 :幸人にはできる限り普通の思考回路を持つ人でいてほしかったんです。これは立ち直れないだろうな、というところでは立ち直れないし、ここは我慢できるだろうというところでは我慢できる。そういう普通の感覚を持った人ですね。
ただ幸人には、落雷によって生じた記憶の空白があります。自分で何をしたのかを全て知らないという恐怖を抱えている。でも、これも普通の人だからこそ抱く恐怖感ですよね。彼が特殊な性格であったら、過去を思い出せないことを怖がらなかったかもしれません。
一度動き出してしまったら止められない、大きなうねりがあります。ただ、それは神様が起こしているわけではなく、個人個人のちょっとした感情のすれ違いや絡み合いがエネルギーになって動き始めるものです。そして、それが転がりながらどんどん大きくなって自分までたどりつき、巻き込まれていくしかない状態になる。その巻き込まれてしまった人物が幸人であり、この物語の主人公なんです。
――この物語を貫く一つのモチーフである「神」という存在について、道尾さんはどのように考えていますか?
道尾 :いろいろあると思うけれど、『雷神』を通して見えてくる「神」は、やはり最後の幸人の一言が答えになると思いますね。
――なるほど。最後の一行に書かれているあの言葉ですね。
道尾 :あれが、物事をしっかり考えられる普通の感覚を持った主人公が、運命に巻き込まれた中で得た結論だと思います。ただ、もちろん、人それぞれイメージが異なるというのもそうです。作中では女性宮司の希恵が、また違う「神」のイメージを語っています。でも、僕自身が行き着いた結論は幸人と同じでした。
――ぜひ最後まで読んで確かめてほしいですね。
道尾:そこだけ読めば「当たり前じゃないか」と思えるかもしれないけれど、物語を読んだ後にそれが真実だと心の底から思えてくる。この一つの小説を通して、同じ結論に至ってくれると思うんですよね。
(後編に続く)
【関連記事】
「全てのページが伏線」――道尾秀介が語る新作『雷神』と小説のポテンシャル(2)
【「本が好き!」レビュー】『地中のディナー』ネイサン・イングランダー著