シリーズでお伝えしている東日本大震災から10年の特集です。

鮮烈な記憶として残る未曽有の大災害は、私たちに、防災の意識を根付かせました。

一方で、震災を経験していないまたは、記憶にない若い世代がこれからどんどん増えてきます。

薄れる記憶と、教訓を引き継いでいくことが我々の使命と言えます。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。まちの人々に地震が発生した当時のことを聞きました。

震災当時についてまちの人々は…

まちの人々:「バスに乗ってたらグラッときた。」「カギかけていたドアが揺れで開いた。」「ビルが揺れているのを見た。」「子どもたちと机のしたに隠れた。」「電信柱が揺れていた。」

それまで経験したことのない大きな揺れ、そして、甚大な被害を目の当たりにし災害からどう身を守るか自分事として捉えなければならないと痛感させられました。

まちの人々:「地震が来るかもしれないと水を備蓄している。」「充電式のラジオを用意した。」「ガソリンを切らさないようにしている。」

多くの人の記憶に鮮烈に残る東日本大震災ですが当時幼かった中学生に聞くと・・・

当時4歳だった中学生:「あまり記憶がないです。」「親からは聞いてますけど覚えてません」

物心つく前に震災が発生しはっきりとは覚えていない世代やそもそも経験していない子どもたちはこれから、増えていきます。

そうした、子どもたちを預かる学校では、震災前とその後では防災教育への力の入れ方が大きく変わりました。

鹿沼市の中学校では、この日、防災体験教室が行われました。

防災意識の向上や人材育成を目的とした自主組織が各地で立ち上がり、防災士らが学校を訪れて出前授業を行うことは、東日本大震災後、格段に増えたことの一つです。

防災士 小林 紀夫さん:「自分の身は自分で守る。過去にどんな災害があったか知ることがとても重要。」

震災を経験している大人世代も記憶は徐々に薄れていきます。こうした機会に改めて記憶を呼び戻し地域ぐるみで、意識を共有することがいざという時の対応につながります。

北中学校 荻原 悟教諭:「これからどうするかを考えさせる事が重要。知識や対応力を伝える私も震災から10年たつので意識が薄れていたのを戻して常に伝えていくのが重要。」

気象情報会社のウェザーニュースが延べ10万人に行った減災調査のデータを震災から10年を前に公開しました。

避難場所の認知は、10年で9ポイント上がっているものの4人に1人は、避難場所は知っていても経路まで確認できていないことが分かっています。

県内では、東日本大震災以降豪雨や台風といった大規模な自然災害に幾度となく見舞われ、そのたびに、課題を突きつけられました。

絶対は、ありません。ただ、自分の事として日ごろから備えていくことが減災につながるのは間違いありません。

教室に参加した生徒:「非常用持ち出し袋など本当に災害が発生した時に役立つような知識がついた」「どこに避難するか家族で話し合おうと思う。」

防災士 小林 紀夫さん:「防災という漠然としているものを毎日意識しろというわけでなく年に数回でも継続的に確認してほしい。防災は生きること。普段の生活とつながっている。防災を知ってもらって生きる力を育んでほしい。」