野球界が今になって「指導者資格」導入の危機感
歴史ある日本野球が指導者資格の導入に至った背景には何があるのか(写真:タッチ / PIXTA)
東京六大学野球は明治時代発祥の「早慶戦」の流れをくむ日本最古の大学リーグだ。プロ野球ができる前は、日本のトップリーグとして野球界をリードしてきた。今もアマチュア野球の最高峰の1つだ。
この東京六大学の法政大学で、1966年から1969年まで投手として活躍した山中正竹氏は歴代最多の48勝13敗の記録を残した(2位は同じ法政大の江川卓の47勝12敗)。大学の1年先輩には田淵幸一(阪神、西武)、山本浩二(広島)、同期には江本孟紀(東映、南海、阪神)などのスター選手がいる。
山中氏は大学卒業後は社会人野球の住友金属でプレー。引退後は住友金属監督、ソウル、バルセロナオリンピック野球日本代表監督、法政大学監督(工学部教授)などを歴任。2016年には野球殿堂に選出された。2018年には日本のアマチュア野球の統括団体である全日本野球協会(BFJ)の会長に就任した。
2020年11月、BFJはU12世代の指導者を対象とした「U-12指導者資格コース」を設けることを発表した。記者会見の席上で山中氏は「日々、研鑽を積まれている指導者がいる一方で、自らの経験から前時代的な指導を続けている人もいる。今の時代に即した指導のスタンダードを示したい。所属団体が変わっても、長期的な一貫した指導方針を示している」と導入の主旨を語った。その表情には野球改革へ向けた山中氏の強い決意が見て取れた。
日本野球のレジェンド、73歳の山中氏はなぜこのタイミングで指導者資格の導入に動いたのか、昨年12月じっくり話を聞いた。
スパルタ式が普通だった時代
山中氏が活躍した昭和40年代は、日本野球が最も輝いていた時代だ。当時の野球は日本のナショナルパスタイムであり、スパルタ式の指導が普通だった。山中氏もそんな環境で育ったが、当時の野球をどのように見ているのか。
全日本野球協会(BFJ)の会長を務める山中正竹氏。ユニフォームは山中氏がオリンピック日本代表コーチ、監督を務めた1988年、1992年のもの(写真:筆者撮影)
「あのころは許されたとしても、今はそうはいかないよな、ということがしょっちゅうあります。私たちの時代は、殴られ、罵声を浴びせられても歯を食いしばって野球をしていました。当時の仲間には『それに比べれば今の奴は“やわ”だ』という人がいますが、私は眉をひそめて聞いています。
そういう指導が、飛田穂洲先生(早稲田大学元監督、日本学生野球の父と言われる)や藤田信男先生(山中氏の恩師、法政大学元監督、野球部長)以来の野球の伝統だというかもしれませんが、確かに踏襲すべきことはあるにしても、世の中は変化しています。昔のままの野球指導をしていたら、藤田先生は『お前は今どき何を考えているんだ』と叱責されると思います。
飛田先生や藤田先生のような賢明な指導者は、その時代の中で野球が繁栄するためにはどうすればいいかという機軸をちゃんと持っていたはずです。ベースになる考えはあるにしてもアップデートすべき部分はあるんです」
日本スポーツ界ではとくに「暴力指導」の問題が、今もたびたびクローズアップされているが?
「スポーツ部の暴力指導の問題は、大阪市立桜宮高校のバスケット部の事件をきっかけに社会問題化しました。そのときに法政大学でスポーツをしている学生にアンケートを実施しました。すると回答者の内30%に近い人が一部にせよ『暴力肯定』論者でした。何とも寂しい話だと思いました。彼らが暴力に肯定的なのは、中学、高校で暴力的な指導を受けた経験があるからでしょう。
大学まできてスポーツを続けている人はその道の成功者です。“あの高校、中学のあの先生の厳しさがあったから今の自分がある”と思っているのだと思います。つまり『厳しさ=暴力』というふうにとらえているから暴力を否定できない。
もちろん、勝負、競技には鍛錬が必要です。メンタルや技術を磨き、競技力を高めて相手と戦う。監督は選手と一緒になって勝利を目指します。私は監督も選手と同様、重要な戦力だと思っています。監督が判断を誤ったり、起用を間違えたりすれば勝ちを逃すことがある。
つまり選手と監督は、ともに勝利を目指す仲間であり、対等な立場でお互いに信頼関係を持ち、リスペクトし合う関係なんです。これがスポーツの根源的な要素だと思います。
今でも日本のスポーツ界では往々にして、監督が上から目線で“俺の言うことを聞け、聞かないものは試合に出さない”という風潮がありますが、これは昔の富国強兵策から軍国主義時代の考えが続いているんですね。上官の暴力に耐えるのが強い兵隊さんだったのですが、戦後もその価値観が残っていたわけです」
野球部が勉強するのは「当たり前」
昔の厳しい指導について武勇伝のように話す人が今もいる。山中氏はこれにも疑問を呈する。
「よく、昔の野球の暴力体質の話が面白おかしく誇張されて伝わってきますが、そんな中でもいちばん嫌なのは“俺たちの時代は学校行かなくてもよかったんだ”“教室への行き方がわからないままだった”みたいな話ですね。
これをOBの一部の人が今の学生の前で言うのには、憤りを感じます。それを聞けば、今の学生は“あの人たちは先輩じゃない”“尊敬できない”と思うでしょう。野球部であっても若い頃から勉強しなくてはならない。当たり前のことです」
日本サッカー協会の傘下でJリーグからアマチュアサッカーまでが一枚岩のサッカー界とは対照的に、日本の野球界は、プロ、アマ、学生、社会人などさまざまな組織が乱立し、統制がとれない状態と言われる。それがライセンス制度の普及や、野球界挙げての振興活動の障害になっていると言われている。
統率が難しい日本の野球界
「BFJの会長になるときにJリーグ初代チェアマンの川淵三郎さんから、“お前の時代に野球界をサッカーみたいな形にしろよ”といわれました。でも私は“そんな簡単なことじゃないんですよ”と言った。
日本サッカーは1968年のメキシコ五輪で銅メダルを取ったときを頂点として人気が下落し、日本リーグの試合でさえ選手の親戚しか見にこないような状態になりました。そこからの立て直しに、若かった川淵さんが起用されて、一から組織を再構築したわけです。もし、サッカーが1964年の東京五輪以降ずっと繁栄を続けていれば、今のサッカーはなかったかもしれません。
しかし日本の野球界は、そういう経験をすることなく、ずっと繁栄してきました。その間に軟式野球、高校野球、六大学野球、社会人野球、プロ野球、それぞれの組織がそれぞれの理念を持ちながら歴史を築き上げてきたわけです。
サッカーの組織はピラミッド型です。きれいでわかりやすいですが、野球は複雑で統率が難しい。でもこれを根本から変えるには、サッカーのように失うものが何もないような状況を作らなければならないでしょう。その話をしたら、川淵さんも“そうだよな、確かに難しいよな”と頷いていました。
私は野球界は『ダイバーシティ』だと思うんです。いろいろなスタイルの野球が、それぞれ日本の発展のために貢献してきた。築き上げてきたものはそれなりに価値があるし、その美しさもある。それに手を加えることによってきれいな連峰が崩れてしまうこともあるかもしれません。私は各組織の人々と会って話を聞きながら、一緒に野球の未来を考えていきたいと思います。
BFJは、野球界の代表組織ですが、国際的な日本を代表する機関であって、国内ではそれぞれの組織の独立性、多様性を尊重しています。ただし普及振興は野球界全体で行うことですから、その部分はリーダーシップをとるべきだと思っています」
BFJがU12ライセンスの導入を決意した背景には、言うまでもなく「野球離れ」という厳しい現実がある。
「今説明したように野球界はサッカーのような大きな負の経験をしないままに来てしまった。繁栄にあぐらをかいていたという部分はあったかもしれません。そんな中でも一部の人は、先が見えていて、未就学児に球遊びを教えようというような提言はしていましたが、繁栄していたころは注目されなかった。
でもようやく、最近は普及活動が本格化しています。2018年でいえば、普及振興活動は、プロからアマチュアまでを含めれば、4985件の活動をして、延べ260万人が参加しています。2019年も同じくらいの数字でした。例えば大分県の高野連が呼び掛けて、明豊高校などが子どもたちに野球を教え始めたし、DeNAなどプロ野球も積極的に活動しています。頭が下がりますが、アピールの仕方はうまいとは言えないですね。
サッカーやバスケットボール、武道などがどんな活動をしているのか学ぶとか、選手会がアピールするとか。地道な活動を組織として支えることが必要でしょう。野球界でも若い人が問題意識をもって取り組むようになりました。これをやり続けないと未来はないでしょう。そのときに大事なのは、選手を真ん中に置いて考えること。『プレイヤーファースト』と言いますが、私は『プレイヤーセンタード』が重要だと思いますね」
ライセンス導入の持つ意味
U-12指導者資格は、山中氏らのこうした問題意識が具体的に実を結んだものと言えそうだ。
「すでに野球界には、指導者が何万人もいます。資格と言うと“勉強しなくてはいけない”“落とされたらどうしよう”という不安の声があがります。“なぜ必要なのか”と思う人もいるでしょう。もちろん、今の時点では必須にはしていませんが、ライセンスを持っていないといけない時代が必ず来ます。だから今から学ぼう、準備をしようということなんです。
ライセンスを持っている指導者が、すばらしい指導をし始める。“あそこの指導は今までの野球とちょっと違うぞ”となれば、選手も母親も注目する。“あそこに行けば野球を楽しく教わることができる。こんなことが学べる”となれば、選手はそちらに集まるでしょう。
今、野球に対する拒否感、拒絶感は確かに存在します。そんな中で“受講しないと仕方ないな”という状況を作っていこうと思います。まずは入り口の12歳から、そしてU-15世代や高野連など他のクラスの組織もそういうものの必要性を認めていけるような世界観を作りたいですね」