茂木健一郎「学校へ行きたくない子は、脳科学的に学校へ行かせるべきではない」
※本稿は、茂木健一郎・信田さよ子・山崎聡一郎『明日、学校へ行きたくない 言葉にならない思いを抱える君へ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■不登校を「脳科学」から考えてみると…
日本では学校に行くことが重圧となり、苦しむ子どもや不登校の子どもがいます。かつては誰もが一定の基準の教育を受けられ、学校に行けることがありがたい、という時代がありました。しかし時が流れ、時代とともに学校への価値観が変わる中、コロナ禍でさらに教育環境は激変しています。
不登校を脳科学から考えてみましょう。
理屈では学校に行かなくてはいけないと思っていても、どうしても体が動かなくなってしまうことがあります。これは脳の側頭葉の内側の奥にある、感情を司っている偏桃体の反応によるもので「フリージング」と呼ばれています。
苦しいことがあっても、最初のうちは我慢して学校に行けるけれど、あるところで脳の感情の回路が無理だという結論を出してしまうのです。ですから、子どもが「学校に行けない」と言っているときは、脳がそのような答えを出しているため、親は本人が言っていることを受け止めることが不登校の第一原則なのだと思います。
■「人生そのものが大学だ」という考え方
学校に行きたくないときは、あせらないで休むことが大切です。あせってしまうと、脳はかえって疲れてしまいますから、極端なことを言えば一年間寝ていたっていい。人間の脳は元気になればやる気が出てくるので、それを待つのがいいと思います。
でも本当は、いろいろな生き方がありますよね。発明王のエジソンとか、文学者のヘルマン・ヘッセとか、偉大な天才たちが独学です。能力の高い人が、必ずしも偏差値の高い学校に行っていたというわけではないんです。
英語ではユニバーシティ・オブ・ライフという言葉があり、人生そのものが大学だといいます。いろんなことを経験して、それが学びだという考えもあり、志をともにするものが集まって学び合うという場もある。学びは人の数ほどあるのではないでしょうか。
■海外では認められているホームスクーリング
実際に、世界にはさまざまな学びがあります。たとえば、学校に通う代わりに自宅で学習する学び「ホームスクーリング」があります。「ホームエデュケーション」「ホームスクール」とも呼ばれていて、自宅で親や家庭教師に教わる方法や、インターネットの講座を利用して学びます。
残念ながら日本ではほとんど認められていませんが、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアなどでは、学校の授業の代わりとして法律で認められているんですね。私の知り合いから聞いたケースですが、あるハーバード大学の教授の子どもは、ホームスクーリングでオンラインの戦略ゲームをしていて、成績も良いということです。
つまり、学校に行かないことは引け目に思うことではないんです。
オンラインで学ぶ、自らプロジェクトを立ち上げて取り組んでいく、家でいろいろな教材を用いて学ぶ、そういった工夫を子どもの個性に合わせて展開していくことで、子どもだけでなく大人もまた成長していくことができるのです。
このような非典型的な学びの環境で育つことは、今後は当たり前のこととなっていくでしょう。
■学校は選択肢の一つと捉える
日本でも、最近ではユニークな授業をオンラインで受けられる通信制の高校や、自然の中で家畜を育てたり、ツリーハウスをつくったりしながら学ぶ学校が、文部科学省から学校として認められるようになりました。学校の形はどんどん変わっていますから、情報を集めて、自分や我が子にあった学校を見つけてほしいと思います。
それでも、学校は単に選択肢の一つとして捉えればいいと、ぼくは思います。学びの場は学校以外にもたくさんあるのですから。ぼくは学校には行っていましたが、小学一年生のときからチョウの研究をして、それが自分の糧になりました。学校の外で学べることは大きいんです。習い事やスポーツのクラブチームなども、学校の枠組みをこえて、同世代や上の世代とのつながりができる、よい学びの場だと思います。
■不登校の背後には「ありのまま」の豊穣さがある
不登校の問題は、子どもたちの「ありのまま」を受け入れるという、教育における根本思想につながります。子どもたちの個性は、もって生まれたものであると同時に、その経験を通して育まれていくものでもあります。その個性の成長の軌跡において、「今、ここ」のありようを「安全基地」としていったん受け入れてあげることが、何よりも大切なことなのです。
不登校は、個性の一つの現れ方に過ぎません。その背後には、とても豊かな「ありのまま」の豊穣(ほうじょう)があります。その奥深い個性のあり方を伸ばすために、さまざまな工夫を大人たちがしてあげるべきだと思います。
それでは子どものありのままを受け入れる「安全基地」とは、どういう場所なのでしょうか。
それは自分が自分でいられる場所、つまり「居場所」です。脳科学では「セキュアベース」といって、気を張ったり、何かを演じたりしなくてもいい、リラックスできる場所を指します。
本来、家庭は子どもにとって居場所であるはずです。しかし親からの要求が強くて、親がいる間はゲームを我慢して勉強をしているふりをしなくてはいけないとなると、親がいる間は、その子にとって家に居場所がないような状況といえますね。
■「居場所」は人間の脳を成長させる
一方で、自分が役に立つ場所というのも居場所になります。お手伝いができるとか、自分が必要とされている場所です。人間の脳には他人のために行動しようと考える思考の回路があるので、誰かのために何かしたいと本能的に思うのです。
子どものころに居場所があるかどうかで脳の発達が変わることが、科学的な研究で証明されています。
居場所をつくることは、とても創造的な行為です。子どもにとって居場所を得るということは、長い生涯全体にわたってかけがえなのない財産になり、また成長の礎(いしずえ)になってくれるのです。
居場所をつくることは子どもだけでなく、大人を含めた社会全体にとっても大切な課題になります。
たとえば現代では、インターネット上のさまざまなプラットフォームや、ソーシャルメディアは、多くの人にとっての「居場所」になっています。テクストや動画をシェアし、おたがいにやりとりすることで自分を表現し、さまざまな「他者」に出会うことができる。そのような行き交いを通して、少しずつそれぞれの個性を活かすことができますし、さまざまな創造も生まれます。
現代において、社会や経済が発展するための基礎は、巧みな居場所づくりにこそあるといえるでしょう。その際、さまざまな個性を包摂するような仕組みが必要です。子どもの学びから大人の活動まで、「居場所づくり」は鍵となります。
居場所こそが、人間の脳を成長させるのです。
■自分の個性を伸ばせる学校づくりを
人工知能が発達して、世の中が大きく変わっていくと、大人も自分たちが学校で学んだスキルだけでやっていけるわけではありません。日本の教育の未来は、ホームスクーリングを含む「もうひとつの学び方」の方にあるといってよいと思います。
これからの学校に居場所として期待することがあるとすれば、もっと個性と創造性を伸ばせる学びの場になってほしいということです。そして子どもたちだけではなく、大人たちも通える学校ができていくといいですね。
どんな人も年齢に関係なく、自分の個性を伸ばし、創造性を発揮できる学校ができて、学びたい時に学べる社会ができたらいいなと思います。
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茂木 健一郎(もぎ・けんいちろう)
脳科学者
1962年東京都生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学理学部、法学部を卒業後、同大学院理学系研究科物理学専攻課程を修了。博士(理学)。「クオリア(意識における主観的な質感)」をキーワードとして、脳と心の関係を探求し続けている。『脳と仮想』(新潮社)で第4回小林秀雄賞受賞、『今、ここからすべての場所へ』(筑摩書房)で第12回桑原武夫学芸賞受賞。
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(脳科学者 茂木 健一郎)