「九段下」はなぜ八段や十段じゃないの?地理まつわる不思議な疑問
なかなか旅行にいくことがままならないなか、地図を眺めていつか行きたい場所に思いを馳せているという人は多いのではないだろうか。地図を眺めていると、この場所はどんなところなのか、と想像をめぐらしたり、日本の裏側は結局どこなのか?といった疑問も浮かんでくるもの。
砂漠はどうして回帰線上に集中してるいるの?
リアス式海岸の由来になった海岸は?
といった世界と日本の地名、地形、気象、名所、旧跡などの疑問を解き明かすのが、『読んで旅する 秘密の地図帳』(おもしろ地理学会編、青春出版社刊)だ。
■「九段下」はなぜ八段や十段じゃないの?地理まつわる不思議な疑問
編者の「おもしろ地理学会」とは、日本各地、世界各国を歩き、地図をひろげ、文献をあたる作業を通じて、「地理」に関するさまざまな謎と秘密を掘り起こすことを無上の喜びとしている「地理」の楽しみを知りつくしたメンバーのみによって構成されている研究グループ。
では、地図帳をめぐる疑問とは、どんなものなのか。本書からいくつか紹介したい。
・東京の「九段」が八段でも十段でもなく、九段なのは?
千代田区の「九段」は、もとは坂の名前。江戸時代の初期には「飯田坂」と呼ばれていたが、中期以降、「九段坂」と呼ばれるようになった。九段になったのは、1709年以降のことで、この坂の途中に九段の石段が築かれ、「九段屋敷」と呼ばれる幕府の御用屋敷が立てられてからのこと。
・なぜ福井県では、恐竜の化石が多数見つかるのか?
現在1都18県で恐竜の化石が発掘されていて、なかでも福井県は有名。フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、コシサウルスなどが福井県出土の恐竜学名である。
福井県で恐竜化石が多数発見されるのは、かつて恐竜など、多数の生物が棲息していた「手取層群」という中生代の地層。この恐竜が白骨となり、洪水などによって川に集められ、川床に沈積し、やがて化石となった。
手取層群は、北陸から岐阜県にかけて分布しているが、福井県で恐竜化石の発掘が進んでいるのは、福井県が早くから熱心に大規模な調査活動を行なっていたから。
・なぜ伊賀は忍者の里になったのか?
三重県の伊賀市は忍者の里として知られるが、伊賀で忍者が生まれた理由は3つある。
1つは、伊賀地方が四方を山に囲まれているため、大きな権力が成立せず、小領主らによる割拠が続いていたため、奇襲や諜報活動といった戦術に磨きがかかったこと。2つ目は、伊賀の土壌が粘土質で農耕に不向きなこと。なので、生計を立てるため、傭兵として出稼ぎに出るようになった。3つ目は、山岳地帯の伊賀周辺には、修験道と関わりの深い霊山などが多いこと。山伏や修験者と接するうちに彼らの修行法が伊賀忍者にも伝わり、忍者の技術をより高めた。
旅行に自由に行けない状況だからこそ、本書を読んで家にいながら旅気分を味わってみてはどうだろう。またいつか安全に国内外に旅行ができるようになった際に、実際に訪れてみるのも楽しいはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)
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では、地図帳をめぐる疑問とは、どんなものなのか。本書からいくつか紹介したい。
・東京の「九段」が八段でも十段でもなく、九段なのは?
千代田区の「九段」は、もとは坂の名前。江戸時代の初期には「飯田坂」と呼ばれていたが、中期以降、「九段坂」と呼ばれるようになった。九段になったのは、1709年以降のことで、この坂の途中に九段の石段が築かれ、「九段屋敷」と呼ばれる幕府の御用屋敷が立てられてからのこと。
・なぜ福井県では、恐竜の化石が多数見つかるのか?
現在1都18県で恐竜の化石が発掘されていて、なかでも福井県は有名。フクイラプトル、フクイサウルス、フクイティタン、コシサウルスなどが福井県出土の恐竜学名である。
福井県で恐竜化石が多数発見されるのは、かつて恐竜など、多数の生物が棲息していた「手取層群」という中生代の地層。この恐竜が白骨となり、洪水などによって川に集められ、川床に沈積し、やがて化石となった。
手取層群は、北陸から岐阜県にかけて分布しているが、福井県で恐竜化石の発掘が進んでいるのは、福井県が早くから熱心に大規模な調査活動を行なっていたから。
・なぜ伊賀は忍者の里になったのか?
三重県の伊賀市は忍者の里として知られるが、伊賀で忍者が生まれた理由は3つある。
1つは、伊賀地方が四方を山に囲まれているため、大きな権力が成立せず、小領主らによる割拠が続いていたため、奇襲や諜報活動といった戦術に磨きがかかったこと。2つ目は、伊賀の土壌が粘土質で農耕に不向きなこと。なので、生計を立てるため、傭兵として出稼ぎに出るようになった。3つ目は、山岳地帯の伊賀周辺には、修験道と関わりの深い霊山などが多いこと。山伏や修験者と接するうちに彼らの修行法が伊賀忍者にも伝わり、忍者の技術をより高めた。
旅行に自由に行けない状況だからこそ、本書を読んで家にいながら旅気分を味わってみてはどうだろう。またいつか安全に国内外に旅行ができるようになった際に、実際に訪れてみるのも楽しいはずだ。
(T・N/新刊JP編集部)
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