吉村洋文大阪府知事を独占インタビュー(撮影:ヒラオカスタジオ)

新型コロナウイルスが日本で感染拡大する中で、世の注目を大きく集めたのが各自治体のトップだ。国任せではこの状況に対して有効な手は打てず、地方独自の対応も大きなポイントとなっている。中でも大阪府吉村洋文知事(45歳)は、このコロナ禍においてリーダーシップを発揮した自治体トップとして評価を受けている。その吉村知事を独占取材。前後編の2回にわたるインタビューをお届けする。(取材は6月23日に実施)

「持ち上げられれば次はたたかれるのが世の常」

塩田 潮(以下、塩田)新型コロナウイルス襲来後、大阪府知事として行った3月19日の往来自粛要請の決定、4月7日の政府の緊急事態宣言への対応、4月15日の大阪府独自の支援金給付の発表、4月23日の非協力パチンコ店名公表の表明、5月1日の休業要請の段階的解除の意向表明、5月5日に「大阪モデル」といわれた自粛解除の独自基準の決定、5月21日以降の緊急事態宣言解除への対応などが大きく報じられ、大阪府の独自の取り組みが全国的に注目を集めました。期待の高まりは全国に広がっている印象です。

吉村 洋文(以下、吉村):「頑張れよ」と応援してくれる方がいるのは本当にありがたいと思います。成果があるかどうか、自分ではわからないまま進んでいますので、不安があります。ただ政治家は、いいときもあれば悪いときもある。持ち上げられれば、次はたたかれる。それが世の常で、浮き沈みはあまり意識していません。

塩田:危機発生に遭遇したとき、今回のコロナ襲来をどう受け止めましたか。

吉村:中国・武漢で始まり、ばたばた人が倒れ、病院が患者であふれる状況を伝える映像や数字を見て、強い危機感を抱きました。大阪は関西国際空港から中国のお客さんがたくさん来ます。日本でも同じようなことが起きて、大きな危機になると思いました。

塩田:最初にどういう基本姿勢に立ち、どんな対応を行いましたか。

吉村:初めてのウイルスが日本にも入ってくると受け止め、国やほかの自治体より早く新型コロナウイルス対策本部を立ち上げました。初めてのウイルス襲来で、恐怖感が社会全体を覆うので、それを和らげる対策が必要です。国はどちらかというと情報は控えめにという話でしたが、逆に基本方針として、入ってくる情報をどんどん公開していこうと思いました。

ですが、対応のプランはあっても、正解がない。何が正解かわからないけど、この方向で、ときちんと発信していこうと考えました。危機的状況になると、何が起こるかわからないから、情報はできるだけ隠したくなりますが、隠せば後で批判されます。判断や決断も、逃げずにやっていく。「逃げず、隠さず、おびえず」という感じですね。

ヨーロッパで爆発的に感染が拡大しているとき、イギリスのボリス・ジョンソン首相やドイツのアンゲラ・メルケル首相は、自分の言葉で国民に語りかけました。それが必要です。ジョンソン首相は最初、間違ったけど、逃げずに国民に自分の考えと進むべき道を語りかけている。「逃げず、隠さず」は危機には重要だと思います。

塩田:府政のリーダーとして、「おびえず」とは、どんな決意と覚悟を持つことですか。

吉村:「おびえず」とは、政治家がリスクを負って前面に立ち、道を作っていくという姿勢です。正解はわからないから、自分がやっていることが、後で間違っていたとマイナス評価を受けることはありうる。それでも、リスクを受け入れて対策を取り、方向づけを行う。取り得る最善の策をつねにオープンにする。それが府民の皆さんの安心につながる。

塩田:1月から6月までの対応についてもお聞きしますが、その前に6月19日に自粛要請も含めたすべての制限を解除して人の移動を解禁した現状をどう見ていますか。

吉村:国民、府民のみなさんの協力と犠牲を得て、第1波は抑えられたと思っています。でも、危機感を持っています。第2波への危機感ではなく、第2波が来たときの対応をどうするのか。国家戦略として定めていないことに強い危機感を持っています。

塩田:ここまでの今年前半、府知事として最も緊張したのはどんな場面でしたか。

吉村:ずっと走り続けてきましたが、府民の命を守る立場として、何よりもニューヨークやヨーロッパみたいな状態にしてはいけないと毎日、その点を強く思って過ごしました。

大阪がニューヨークみたいにならない保証はなかった

ニューヨーク市の人口は約800万人で、880万人の大阪府とほぼ同じです。ニューヨークでは死体置き場が足りなくなり、道路に作るという状況になった。大阪で死体置き場が間に合わなくて、例えば大阪城公園に作るというような状況です。

ニューヨークは日本みたいな皆保険制度ではないけど、先進国の大都市で、医療体制は当然、整っているのにああいうことになった。同じ人口規模の大阪で、最大で1日に700人から800人の府民が亡くなるなんてことを絶対に起こしてはいけない。初期の段階はその頭で走り続けた。といっても、最初はニューヨークみたいにならないという見通しはなかったです。

塩田大阪府知事としての決断で印象に残っているのは3月19日の兵庫県との往来自粛要請でした。兵庫県の井戸敏三知事との事前協議なしに、自分で決めて実行したのですか。

吉村:そうです。3月は20日の金曜日から3連休でした。連休前日の19日の朝、府庁の担当部から「厚生労働省から資料が来ました」と説明を聞きました。僕は資料を公開し、府県境をまたぐ往来はストップさせたほうがいいと思って担当部と話をしましたが、「国の非公開文書で、兵庫県にも届いているはずです。公開は難しいと思う」と報告を受けた。担当部はつねに厚労省とやり取りしていて、厚労省が「非公開」と言ったら、担当部としては当然、「非公開にすべき」と僕に進言する。それは当たり前です。

僕も頭ではわかっていたけど、中身を見ると、このままだと感染者数が1週間後に586人、2週間後には3374人と数字が書いてある。政府の専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)の西浦博先生(北海道大学大学院教授)が示した「西浦モデル」ですね。僕は恐怖を覚えました。この西浦モデルに基づいて判断し、兵庫県と大阪府の往来はやめてくれ、といきなり打ち出したわけです。根回しする時間もなかった。

この推移で行ったら、医療体制が持たなくて、さらに爆発拡大する。「非公開」というのは、ちょっと違うのではないかと思った。松井一郎大阪市長(日本維新の会代表)にも説明はしました。松井市長からも「公開すべきと思わへんか」という話があった。僕も「公開すべきですが、僕と松井さん以外は全員、非公開で動いています」と説明した。


吉村洋文(よしむら・ひろふみ)/2015年10月1日に衆議院議員を辞し、橋下市長の後継として、同年11月22日 大阪市長選に当選。2019年4月に大阪府知事選に当選。弁護士の資格を持ち、家族は、妻と息子、双子の娘をもつ父でもある。座右の銘は「意志あるところに道は開ける」(撮影:ヒラオカスタジオ)

連休に入ると、人がわーと動く。海外からもたくさん人が帰ってくる。根回しをしたら、往来ストップの方針そのものが潰される可能性もある。根回しすることによって決定が遅れ、仮に合意ができても、連休前ではなく、かなり先になります。そうなったら遅い。松井市長と「僕らの政治判断で行こう」ということになり、オープンにしました。だから、そのときに井戸さんには相談はしていないです。

塩田:兵庫県知事への連絡は根回しの部分に入るわけですね。

吉村:そうです。兵庫県知事に相談したら、非公開文書ですから、「国に相談しよう」となりますよ。国に相談したら、ちょっと待てとなるのは目に見えています。根回しする政治は、いい面もありますが、やるべきことが潰される可能性が非常に高い。

平時はいいと思いますが、緊急時は、資料があるなら、府民、県民の皆さんとの共有を優先させたほうがいい。1本、電話してもよかったのでは、と言われますが、電話したら当然、そこから協議が始まります。電話を受けたほうも、責任が生じます。非公開文書を「OK」と言えるわけがない。各方面の全員のコンセンサスを得るのは、かなり時間がかかる。それで、オープンにするという政治判断を行ったわけです。

塩田:安倍晋三首相は5月の連休明けから緊急事態宣言を段階的に解除することを決め、政府は25日に47都道府県で全面解除しました。解除の見通しが不透明だった5月5日、大阪府は政府やほかの都道府県に先駆けて、特別措置法に基づく休業と外出自粛要請の段階的な解除に向けた独自の基準、いわゆる「大阪モデル」を打ち出して注目を始めました。

感染拡大防止と社会・経済の両立を目指すように

吉村:「大阪モデル」は僕自身が決断しました。5月1日、連休明けに解除の予定だった緊急事態宣言を連休後も延長するという方針を政府が打ち出したとき、社会・経済を元に戻さないと非常にまずいのでは、と思いました。感染が抑えられてきている傾向も把握をしていましたから、今後は出口戦略を作って、社会・経済の命を守らなければ、と延長の議論が出たあたりから自分の思考をシフトチェンジしていった感じです。4月の前半までは、大阪をニューヨークようにはさせないという気持ちが強かったけど、感染拡大防止と社会・経済の両立はできないのかという思考に変わってきました。

専門家会議で「延長せよ」という話になって、安倍総理も延長の方針を決めました。何の条件も示さずに1カ月程度、延長するという政府の方針を聞いたとき、ちょっと専門家会議の意見に振られすぎでは、と思いました。緊急事態宣言は5月6日までと府民にも一所懸命、訴えて、何とか1カ月で抑えると言ってきた。それが漫然と無条件に延長されると聞いて、感染者が減っているのに、ちょっと待てと思いました。

塩田大阪府は「感染経路が不明の新規感染者が10人未満、検査を受けた人に占める陽性者の割合が7%未満、重症病床の使用率が60%未満」という独自基準を示しました。

吉村大阪府には健康医療部があります。職員も優秀で、スタッフの医療の知識も高い。基準の中身は専門家に聞いて、いちばん大きなポイントの基準は健康医療部で作ってもらいましたが、僕が指示したのは、出口戦略を作るという方向性です。

国は作らないという話でした。感染者が減っているのに、いつになったら終わるのか、出口が見えないまま、国民は本当に不安の中にいる。どうやったら出口が見えるのか、出口戦略を作って「見える化」を推し進める。もう1つは、出口戦略の中身を示すときに、守らなければいけないものは何かという背骨の軸をはっきりさせる。

僕が指示した中身は、やはり医療崩壊の阻止です。崩壊にならない基準がこのモデルで、この数値を超えたら崩壊になる可能性があると府民に伝える。感染傾向が右下がりになって、医療崩壊防止が見込めるなら、休業要請も解除して社会を動かしていく。

塩田:大阪モデルの達成状況をライトで知らせるという手法を取りましたね。

吉村:大阪モデルを府民の皆さんと情報を共有するために考えたのが、通天閣や万博公園のライトアップの光の色を使い分けるやり方です。危ないときは赤、要注意は黄色、注意しながら社会・経済を動かすときは緑にする。府民の皆さんとのリスクコミュニケーションですよ。状況を隠さず、みんなに認識してもらわなければなりません。リスクはリスクとして知ってもらう。リスク時には大事で、それを光の色で伝えようとしたのです。

塩田:コロナ危機発生以降を振り返って、ここは反省点と思っている場面はありますか。

早くから入国制限を唱えるのも1つの方法だった

吉村:自分がやってきたことが本当に正しかったかどうかを判断するには、事後の検証が重要です。振り返ると、1点、躊躇したことがありました。1月末ごろ、中国からどんどん人が入ってきていた。そのとき、「入国制限なんかしたら、差別じゃないか」という声もありましたが、僕は入国制限すべきではないかと思っていました。

なのに、発信しなかった。出入国管理は国の仕事だから、というのが自分の言い訳でしたが、関西国際空港を持っている立場、現場の知事からすれば、今から考えると、権限はないにしても、あそこで「入国の制限を」と唱えるのも1つの方法だったのでは、と思います。

塩田:緊急事態や非常事態に直面した政治指導者に不可欠の資質とは何だと思いますか。

吉村:一言で言うと、勇気でしょうね。判断し、決断して、実行する勇気。危機時におけるリーダーシップとして最も重要で、それは選挙で選ばれた政治家がやるべき仕事です。

官僚、職員、専門家は知識や政策の立案という意味で優秀だと思います。その意見を聞いて議論していくけど、その人たちは決断というところに行き着かない。危機の場合、時間が遅くなると、手遅れになる可能性がある。前例がなくともやると判断し、決断して実行できるか。最後は勇気だと思います。正解があるわけではないから、怖くなるときもあるけど、この約半年、自分なりに勇気を持ってやろうと自分に言い聞かせてきました。

日本の感染症対策はピカイチ

塩田:ここまでの政府の感染防止対策をどう評価していますか。

吉村:致死率を見ても、日本は諸外国より圧倒的に少ない。国全体として、危機対策は成功していると思います。新型コロナウイルスが環境に依拠するところにいち早く気づき、「3密」を避けるとか、クラスター対策を徹底的にやるべきだと説いた専門家会議のやり方が感染の広がりを防いだと思っています。

クラスター潰しも、ここまで徹底的にやっている国はないと思う。とくにクラスター対策は本当に画期的な判断でした。それをいち早く考えて戦略化した東北大学大学院の押谷仁教授のグループは、日本での感染拡大阻止に大きく寄与された。素晴らしい戦略で、日本の感染症対策はピカイチだと僕は思っています。

塩田:中央政府、つまり安倍政権のここまでのコロナ対応をどう受け止めていますか。

吉村:安倍総理は国民の皆さんを支え、感染を抑えようとして、今までにない予算作りも総理のリーダーシップで実践してきました。1月から6月後半まで休まず首相官邸に詰めて、国民を守るという目線でリーダーシップを発揮された。すごいなと思っています。

一方で、こうしたほうがいいのでは、と思ったのは、専門家会議が国の方向性を決めていると国民に映っている点ですね。専門家は確かに専門的知識を有していますが、リスクを引き受けたり、リスクマネジメントをしたり、国民に対して責任を負う人たちではありません。政治家は知識がないので、専門家から意見や知識を吸収して最後に判断する。それが政治の仕事ですが、総理と専門家の関係を外から見ていると、専門家会議が決めたことを、総理たちが実践しているように見えます。国民は不安だと思うんですよ。

専門家会議では、反対の意見が出ているわけでも、フルオープンで会議をやっているわけでもない。危ないとなって、いきなりモデルが出てくる。それに基づいて、国が動いています。安倍総理も、発信のとき、「専門家会議によれば」と乱発する。国の方向性は専門家会議が決めているのか、という話になってしまう。


(撮影:ヒラオカスタジオ)

専門家の皆さんが昼夜たがわずに奮闘されていることに、僕は敬意を表しています。でも、社会・経済を営む人の中には、誰も外に出なくなったら、明日の生活ができない人がたくさんいます。その人たちを守るのも政治の役割です。専門家は感染症対策の立場からやっているわけで、ある意味、そこに配慮しないわけです。ところが、専門家会議が感染症の場面だけで言っていることが国の方向性を決めている。いちばんの事例が緊急事態宣言の延長だったと思います。そこに危機感を覚えます。知識を提供する専門家会議と、判断する政府を分けたほうがいいと僕は思う。

社会を動かし、経済を回すのが第一

塩田:政府が打ち出したコロナ危機対策としての経済対策はいかがですか。

吉村:予算編成について、直接的な財政支出である「真水」の量とか、いろいろ議論はありますが、かなり大胆な予算作りをしていると思います。最も重要なのは経済活動を戻すことで、それが最大の経済対策です。外国依存が大きかったサプライチェーンの問題もありますが、内需が激減しています。

ただ、2008年のリーマンショックと違って、今回の経済の落ち込みは感染症が原因ですから、社会・経済活動を戻せば、不況から脱せるはずです。結局、経済を1回、全部止めると、家賃補助やいろいろな給付金など、お金を渡す仕組みだけでは限界がある。社会を動かし、経済を回すという方針を示すのが第一です。

塩田:吉村さんが今、首相だったら、何をやりますか。

吉村:ウイルスはゼロにはならないから、僕だったら、「ゼロリスクは目指さない」と明言したうえで、「社会・経済を元に戻していこう」と積極的に発信をしていきます。感染はここまでは許容しよう、それ以上は許容できないから、みんなに協力してもらうという「許容する感染」を定義づける。基準を明確にする。許容範囲では、みんなで感染対策をやりながら社会を動かそう、外で飲んで食べて消費して買いましょう、と積極的に打ち出していきますね。

とはいえ、因果関係がなくても、後で「あのとき、それをやったから、感染者が増えた」「おまえのせいで、第2波が来た」と言われる可能性があります。社会を動かせばリスクが生じます。感染症対策と社会・経済を動かすという相矛盾する要請を、政治家はリスクを背負ってやらなければいけません。

(後編に続く、7月23日公開予定)