しかしサッカー界は、いま全世界的に中断中だ。サッカーファンが新しい試合関連のニュースを得ることはできない。過去の出来事と向き合うしか選択肢はなくなる。

 そこで日本代表の話題に転じれば、その過去を振り返った時、こちらも、しつこさ、しぶとさを大舞台で発揮したことがないことに気付かされる。強豪相手にしぶとく引き分けた試合、劣勢の試合をひっくり返した試合だ。 

 リバプール対アトレティコを見て思ったことだが、第2戦でアトレティコが1-0を1-1とされたとき、あるいは延長戦に入り、1-1を1-2とされたとき、日本なら堪えきれず、ずるずると行っていたに違いない。土俵際でしぶとく残る二枚腰、三枚腰の粘りと言うものを、日本代表が発揮した過去は少ない。

 格下との対戦が多いからだ。アジアの戦いは8割方これになる。親善試合も9割方ホーム戦だ。強豪国がそれなりのメンバーで来日することは滅多にない。下馬評で日本が上回る場合がほとんどを占める。

 受けて立つことに慣れているのだ。大本命のリバプールに向かうアトレティコのような立ち位置、設定で戦う機会は少ない。

 唯一の例外と言えたのは、昨年末の韓国戦(E1選手権)。下馬評ではホームの韓国が若干優位だった。48対52程度の関係だったと思われるが、日本は普段と立ち位置を変えて戦う絶好の機会だった。

 しかし、立ち上がりから日本は受けて戦った。試合内容を見れば、敗戦がその産物だったことがよく分かる。

 一方、W杯本大会で対戦する相手は、日本と同格か、格上だ。格下はいない。現在の立ち位置をとっている限り、W杯本大会でアトレティコと化し、「リバプール」を倒すことはできない。

 とはいえ、アジアのレベル、通常の親善試合のレベルと、W杯のレベルとの間に開きがある問題は、いま急に降って湧いた話ではない。3大会ぐらい前から、広く共有されている。そこにメスを入れられず、放置されたままになっていることに一番の問題があった。

 立ち位置をリバプールではなくアトレティコにするためには具体的にどうすべきか。これこそが代表監督選びのテーマであり、日本代表監督の采配に求められるテーマでもあるはずだ。

 日本人監督はそうした日本を取り巻く特殊な事情に外国人監督より詳しい。ザッケローニ、ハリルホジッチは実際、疎かった。慣れるまでに時間がかかった。代表監督に日本人を起用するメリットは、そうした意味で確かに存在する。ところが、これまでの森保采配を見る限り、それらしいことは何もしていない。受けて立つ傾向は、むしろ強まっている気がする。