唯一の例外と言えたのは、昨年末の韓国戦(E1選手権)。下馬評ではホームの韓国が若干優位だった。48対52程度の関係だったと思われるが、日本は普段と立ち位置を変えて戦う絶好の機会だった。

 しかし、立ち上がりから日本は受けて戦った。試合内容を見れば、敗戦がその産物だったことがよく分かる。

 一方、W杯本大会で対戦する相手は、日本と同格か、格上だ。格下はいない。現在の立ち位置をとっている限り、W杯本大会でアトレティコと化し、「リバプール」を倒すことはできない。

 とはいえ、アジアのレベル、通常の親善試合のレベルと、W杯のレベルとの間に開きがある問題は、いま急に降って湧いた話ではない。3大会ぐらい前から、広く共有されている。そこにメスを入れられず、放置されたままになっていることに一番の問題があった。

 立ち位置をリバプールではなくアトレティコにするためには具体的にどうすべきか。これこそが代表監督選びのテーマであり、日本代表監督の采配に求められるテーマでもあるはずだ。

 日本人監督はそうした日本を取り巻く特殊な事情に外国人監督より詳しい。ザッケローニ、ハリルホジッチは実際、疎かった。慣れるまでに時間がかかった。代表監督に日本人を起用するメリットは、そうした意味で確かに存在する。ところが、これまでの森保采配を見る限り、それらしいことは何もしていない。受けて立つ傾向は、むしろ強まっている気がする。

 では、どうしたら、日本は普段からアトレティコになれるか。

 安易にベストメンバーを組まないことである。相手との力関係が、60対40なら、あえてメンバーを落とし56対44になるように調整する。テスト色を強め、相手と競った関係にする。メンバー交代も早めに行い、チームの循環をよくさせる。

 しかし、これには敗戦というリスクがつきまとう。56対44ではなく、60対40で戦った方が試合には負けにくい。結果は出しやすい。監督の立場は安泰になる。

 そこを堪え、自己保身に走らず、56対44で臨めるか。それができる監督でないと日本代表監督は務まらない。しかし森保監督は「勝負にこだわって戦っていきたい」を口癖にし、そこに突っ込みを入れる人もいない。

 森保監督はメンバー交代も遅い。U-23アジア選手権のサウジアラビア戦などは、その典型的な試合だった。適任者と呼ぶにはほど遠い采配だった。

 弱者に対し敗戦を怖がり受け身になる監督に、しつこいサッカー、しぶといサッカーを実践することはできない。W杯本大会で番狂わせの期待は掛けられないのである。