睡眠中には脳内から“毒素”が洗い流される:米研究チームがメカニズムを解明、アルツハイマー病の治療に光
ローラ・ルイス率いる研究チームは、ボストン大学のラボでいつも夜ふかしをしている。午前3時まで実験して、翌日の遅くまで寝るのがルイスの“通常運転”だ。「タイムゾーンを移動しないまま時差ボケしているような感じです」と、彼女は言う。
夜しっかり寝ることの大切さを理解していないわけではない。しかし、眠っているヒトの脳内で何が起きているのかを解き明かすためには、多少の犠牲はやむを得ない。「睡眠研究の大いなる皮肉です」と、彼女は言う。「研究者は、ほかの誰かの睡眠に合わせるしかないのです」
『サイエンス』誌に2019年10月31日付で掲載されたルイスらの研究論文は、わたしたちの脳が睡眠中に毒素を取り除くメカニズムを明らかにしている。この研究は、アルツハイマー病などの神経変性疾患の治療と予防に新たな道を開く可能性もある。
なぜ睡眠中に毒素は除去されるのか?
ヒトが眠っているとき、脳はいくつかの状態を経験する。浅い眠り、無意識に陥るような深い眠り、そして夢を見やすいレム(急速眼球運動)睡眠。ルイスの研究はノンレム睡眠に注目している。概して夜の早い時間に起きる深い眠りで、記憶保持との関連が知られている。
これに関連して、マウスを対象とした重要な研究が13年に発表されている。マウスが眠っている間に、アルツハイマー病の原因のひとつであるβアミロイドなどの毒素が、脳内から除去されることがわかったのだ。
ルイスは、毒素がどのように除去されるのか、このプロセスがなぜ睡眠時にだけ起きるのかに興味をもった。脳の周囲を循環する水のような液体である脳脊髄液がかかわっているのではないかと、彼女は考えた。しかし、睡眠中の何が特別なのかは見当もつかなかった。そこでルイスは、さまざまな変数を同時に測定する実験を考案した。
実験参加者は、MRI装置のなかで横になって眠るよう指示された。通常の睡眠サイクルを再現するため、実験は深夜0時からスタートした。研究チームは、参加者たちが実験開始後すぐに眠れるように、前夜は夜ふかししておくよう依頼した。
ルイスは参加者に脳波測定キャップをかぶせ、脳の電気活動を可視化した。脳波を見ることで、参加者が睡眠のどの段階にいるのか判別できる。一方、MRIは脳内の血中酸素濃度を測定し、脳脊髄液がどれだけ循環しているかを明らかにする。
「これらの測定指標が重要なはずだと直感していました。それでも睡眠中にどう変化するか、どのような相互の関連があるのかは、わたしたちにも未知の領域でした」と、ルイスは言う。
鍵となる脳脊髄液のゆるやかな「大波」
この結果、ノンレム睡眠中に脳脊髄液のゆるやかな「大波」が、脳を洗い流すことがわかった。この波がどうやって生じるのかは、脳波を見ることで判明した。ノンレム睡眠に入るとニューロンの活動は同期し始め、脳全体が同時にオン/オフを切り替えるようになるのだ。
「まず最初に、すべてのニューロンが静かになる状態が観察されます」と、ルイスは説明する。すべてのニューロンが一時的に発火をやめるため、必要とされる酸素量が減少する。これは脳への血流量が少なくなることを意味する。そして、その空白を埋めるように、脳脊髄液が大量に流れ込む様子が観察された。
「素晴らしい研究です」と、ロチェスター大学の神経科学者マイケン・ネダーガードは言う。ネダーガードは、マウスにおける睡眠時の脳内の毒素除去を初めて報告した、13年の論文の筆頭著者である。「脳の電気活動が液体を動かすなんて、誰ひとり想像もしていなかったでしょう。とてもエキサイティングです」
今回の研究はネダーガードがマウスで研究しており、ヒトにとっても極めて重要だと考えられている現象のメカニズムを説明するものだ。「睡眠は、ただリラックスするためのものではありません。独自の機能があるのです」と、ネダーガードは言う。
覚醒時には、すべてのニューロンがオン/オフを同期することはない。つまり、起きているときには脳血流量が十分に下がらないので、脳脊髄液の大きな波が脳内を循環し、蓄積したβアミロイドなどの代謝副産物を洗い流すこともない。
高齢の参加者を対象とした実験に期待
この知見は、アルツハイマー病の治療に臨床応用できるかもしれない。近年のアルツハイマー病の治療法の開発は、βアミロイドに照準を絞ってきた。ところが、初めのうちは有望に思えた薬は、どれも臨床試験で暗礁に乗り上げた。
「新しい道が見えてきました」と、ネダーガードは言う。βアミロイドという1種類の分子に働きかけるのではなく、脳を洗い流す脳脊髄液の量を増やすことにフォーカスした新たな治療法が想定される。
もし実現すれば、βアミロイドだけでなく、ほかの有害な分子も除去できる可能性がある。その一例が、アルツハイマー病患者の脳内に蓄積し、ニューロン間の接続を阻害するタウたんぱく質だ。ごみを全部まとめて一掃する方法は、問題の一部分だけを解決するよりもずっと強力となる。「加齢は、たった1種類の分子の増減の問題ではありません。すべてが衰えていくのです」と、ネダーガードは言う。
今回の発見から、さらに新たな疑問が湧いてくる。ノンレム睡眠以外のほかの睡眠ステージで何が起きているのかは、ルイスの研究の対象外だった。また、彼女の研究の参加者はみな健康で若い成人だった。
ところが、彼女がとった研究手法は完全に非侵襲的であり(ただし、たくさんの機械に接続されたままMRIの中で寝かされることを非侵襲的と言えるならの話だが)、染料を注入する必要すらない。このため神経変性疾患を発症している可能性のある、高齢の参加者を対象とした実験も実施しやすいだろう。
ルイスの研究チームにとっては、まだまだ眠れない夜が続きそうだ。