【東日本大震災から8年】遺骨なき墓には野球ボールのみ、行方不明者の現実
自宅そばのビニールハウスでの1日の仕事を終えて長靴を脱いだ。岩手県陸前高田市の農業・吉田税さん(84)は「もう8年か。そうだねえ」と確かめるように言った。
3人目の救助に行ったきり…
吉田さんらは3年前、海や沼などの再捜索を求める署名を約2万8000筆集めて市長に手渡した。10メートル以上の津波に襲われた同市では200人以上が行方不明のままで、吉田さんの長男で団体職員の利行さん(当時43)も見つかっていない。
「県警のダイバーが潜って捜してくれたけれど、水がヘドロで濁って何も見えないと言う。水中の映像も見せてもらいました。何か見つかると期待していたんだけれどね」
あの日、長男の利行さんは人命救助に奔走していた。大地震でぶるぶる震えて動けないお年寄りを1人ずつおぶって市役所の屋上に避難させ、3人目の救助に向かったきり戻らなかった。
「市役所の職員らが“行くな!”と制止する中、“あと1人だから”とニコッと笑って屋上から下りていったそうです。どっかで生きているんじゃねえか、きっと帰ってくる、となんべんも思ったけれど、帰ってこねえの」
子どものころから正義感が強かった。弱い者いじめを見つけると助けに入り、仲間のリーダー格だった。ついたあだ名は「頭領」。野球部では俊足を生かしてセンターを守った。地元の女性と結婚して2児に恵まれ、休日には中学生に野球を指導し、自宅に大勢の仲間を招いてどんちゃん騒ぎをした。弱い人をほうっておけない自慢の息子だった。
そばで聞いていた妻・エイ子さん(80)が、うんうんとうなずく。
「親孝行で母親にやさしかった。震災直前、いままでにない豪華な誕生日会を開いてくれたんです。自宅のテーブルにごちそうを並べて、魚をさばいて、手巻き寿司を作ってくれて。じいちゃん(税さん)がうらやましがって、でも、それが最後で……」
と、エイ子さんはそこまで言うと話を止めた。
税さんが話を引き取って続ける。
「毎日のように遺体安置所を訪ね歩き、捜索活動があればそばで見守りました。市役所にすすめられて葬式を出したのが震災の2年後。お墓に入れるものがないので野球のボールを1個入れて。災害だからしょうがねえって言えばそれまでだけれど、なーんか、やりきれなかった」
津波で壊滅的被害を受けた市内沿岸部では、現在もトラックが土埃をあげて行き交い、盛り土でかさ上げする造成工事などが進められている。
防潮堤周辺に行方不明者の遺体や遺品が打ち上げられているのではないか、と思って近づこうとするたび現場作業員に怒られるという。
「工事の邪魔になるから来んな! って何回も怒られたもの。実はこういう事情で来たんだって説明しても聞いてもらえない。オレが行くところは全部『立ち入り禁止』の札を立てられてしまった」
冷たい海の底に利行さんがいるかもしれないと思うと、胸が締めつけられて夜も眠れない。もう少し若ければ潜水士の資格を取って捜索してあげられるのに。若いころから海に親しみ水泳は達者なつもりでいたが、つい最近、温泉プールで泳いでみたら、ちっとも進まなかった、と笑う。
「復興予算の10分の1、いや100分の1でもいいから使って、もう1回、徹底的に行方不明者の捜索をしてもらいてぇんだ。オレみたいにいつまでもグズグズしているのは歓迎されないことはわかっている。でも、復興だ、復興だと言って堤防や道路、高台をつくるのが本当に復興なんだべか」
再会まで諦めない。