いまや常識となった「コンビニコーヒー」。なぜここまで人気になったのか。コーヒージャーナリストの狹間寛氏は「1杯100円で原価率は1〜2割程度。高い豆を使っていないが、煎りたて・挽きたて・淹れたての『3たて』によるおいしさが評価された」と分析する――。
コンビニエンスストアで売られるコーヒー(写真=時事通信フォト)

■「喫茶店」と「カフェ」の違い

平成があと3カ月で終わる。コーヒー業界では、喫茶店に代わり、「カフェ」という言葉が一般的になったのが平成だった。2000(平成12)年頃に「カフェブーム」が起き、現在に至る。

筆者はコーヒー業界の取材を始めた当初、「カフェ」と「喫茶店」の違いを関係者に聞き続けた。結果は、「ほとんど同じ意味」「カフェと名づけたほうが現代的」という意見だった。たとえば「マンガ(漫画)喫茶」と「コミックカフェ」の関係がそれに当たる。

ただし、セルフサービスとフルサービス(店員が注文を取りに来て、飲食も運んでくれる)の業態の違いで使われることはあり、「セルフカフェ」が一般的だ。また、昔ながらの喫茶店に、「大正ロマン(風)」や「昭和レトロ」という枕詞がつくようになった。

当時、筆者に「カフェと喫茶店の違い」を教えてくれた1人が狹間寛氏だ。明治時代からある最古の業界紙「帝国飲食料新聞」の編集記者・編集部長として長く活躍した。現在は、珈琲店経営情報誌『珈琲と文化』編集担当を務める狹間氏に、平成時代の業界を振り返ってもらった。

■年間17億杯も出るコンビニコーヒー

――狹間さんは業界紙時代、コーヒー担当一筋だったと聞いています。平成時代のコーヒー業界・カフェ業界を見つめて、どう感じていますか。

まず、この平成年間で日本のコーヒー消費量は1.5倍に成長し、市場規模も2兆9000億円(一般社団法人全日本コーヒー協会調べ)へと拡大しました。原料生豆や焙煎豆やエキスなど海外からの輸入総額は、2018年で1500〜1600億円なので、コーヒー業界は、約20倍の付加価値を持った巨大市場といえます。業種・業態に濃淡はありますが、平成時代は業界にとって飛躍の年だったといえるでしょう。

■カフェ・喫茶業界は「30年サイクル」

喫茶店とカフェの違いについて、業界の重鎮で「珈琲工房ホリグチ」の創業者である堀口俊英・堀口珈琲会長は「喫茶店はソフトドリンクの売上が半分以上、カフェはコーヒーの売上が半分以上」と定義しています。私も同じ見解です。

カフェ・喫茶業界は、ほぼ30年のサイクルで一回転します。「企業寿命30年説」のようですが、個人の店主が活躍できる期間は限られます。人気店も世代交代を果たした店は生き残り、親族やその店のDNAを引き継ぐ人がいない店は閉店しました。たとえば東京都内の個人店では、吉祥寺「もか」(1962年創業)がそうですね。「自家焙煎珈琲店の草分け」として、銀座の「カフェ・ド・ランブル」、南千住「カフェ・バッハ」と並ぶ御三家であった店主の標交紀(しめぎ・ゆきとし)さんが2007(平成19)年に亡くなり、店を閉じました。

コーヒービジネスは投資対象に

大手や中堅チェーンで経営母体が変わった会社もあります。1968年創業の「コメダ珈琲店」(本社:名古屋市)は、創業者の加藤太郎さんが2008(平成20)年に全株式を投資ファンドに譲渡しました。この時1店舗の売買価格は1億円といわれ、当時で300店を超えていた。さらに5年後、その会社が別の投資ファンドに売却。そのファンドも数年で全株式を手放し、現在は自主経営です。「珈琲館」(本社:東京都)は創業者の真鍋国雄さんが死去した後、UCCグループに経営が移り、2018年に投資ファンドに譲渡しています。コーヒービジネスが有望視され、投資の対象となったのは世界的な傾向です。

業界外のライバルが出現したことも大きい。ご存じのように「コンビニコーヒー」が一大勢力となり、現在は市場全体で年間17億杯も出ています。昭和時代にドトールコーヒーショップが当時「1杯150円」のセルフカフェ市場を築き、平成時代にセブン‐イレブンが「1杯100円」のコンビニコーヒー市場を開拓しました。ワンコインと、3たて(煎りたて・挽きたて・淹れたて)を実現したコンビニコーヒーは、「日本の新たなスタンダードコーヒー」となったのです。

■「セブンカフェ」のこだわり方

――コンビニコーヒーの急拡大は、2013年にセブン‐イレブン(セブン)が仕掛けた「セブンカフェ」からですね。

はい。初年度で4億5000万杯も出て社会現象となりました。2018年は10億杯に伸び、セブンに追随して競合もコーヒーを強化した結果、コンビニコーヒーの市場規模は、2012年は200億円だったのが、2017年には2300億円台と約10倍に伸びています。喫茶店市場が1兆円規模ですから、たった5年でその2割の規模に拡大しました。

セブンは、十数年前から抽出コーヒーシステムの開発に取り組み、トライ&エラーを重ねました。新システムを開発するたびに、私も取材しました。たとえば「バリスターズカフェ」というエスプレッソタイプのコーヒーも出しましたが、最終的にはドリップ式に変えて大成功を収めたのです。

原料豆は系列の大手商社・三井物産から調達し、焙煎は味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)、専用マシンは自動販売機製造最大手の子会社(旧富士電機冷機)を傘下に持つ富士電機と共同で開発した。セブンカフェの導入店舗には、マシンを貸与ではなく買い取りを条件とした。自前とすることで、店舗オーナーはメンテナンスに注意を払うため故障も少なくなる一面もありました。

■煎り・挽き・淹れの「3たて」にこだわった

――コーヒー豆はどんなものを使っていますか。

コーヒー豆の品種は、生産量全体の約6割を占める「アラビカ種」と、約4割の「ロブスタ種」に分れます。アラビカ種は、全般的に香りや酸味やコクに優れています。ロブスタ種は苦味が強くて独特の香りですが、カフェインの含有率はアラビカ種の2倍あります。セブンのブレンドコーヒーはアラビカ種100%ですが、高級豆ではなくスタンダードクラス(1キロ当たり400〜500円)ではないでしょうか。

――高い豆を使っていないのに「おいしい」という人が多いのは、なぜですか。

コーヒーのおいしさの基本である、煎りたて・挽きたて・淹れたてにこだわったからです。専用マシンがそれを可能にしました。焙煎豆については販売量の多さから回転が早いため、常に高い鮮度が維持できます。一般的に外食チェーンでは、ドリップコーヒーは抽出後30分経過したら廃棄します。コーヒーは抽出時点から、酸化・劣化が進むからですが、抽出仕立てのコーヒーを提供されるか、廃棄寸前のものを提供されるかは、お客さんには選択できません。

コーヒーマシンの改良も進む

ただし、コンビニコーヒーも次のステージに来ています。たとえば「ローソン」のマチカフェは、2014年5月から数量限定で「シングルオリジンコーヒー」の販売を開始し、高価格帯の先鞭を切りました。さらに2018年からは「パナマ ベイビーゲイシャ」、「ハワイコナアイスコーヒー」、「ブルーマウンテンNo.1」と500円コーヒーのシリーズを展開。今年1月11日から販売した「ティピカ スペシャルリザーブ パナマ・ベルリナ農園」は、仕入れ価格がキロ当たり1万円近くもする超高額品。それが500円で飲めるのです。

一方各社は、コーヒーマシンの抽出時間の短縮化に取り組んでいます。朝の出勤前、オフィスに持ち込むコーヒーの購入先が、職場近くのセルフカフェからコンビニが中心となり、クイック提供を求められるからです。

■「スターバックス」が変えたもの

――31年の平成年間には、「スターバックス コーヒー」の上陸と浸透もありました。

日本第1号店が開業したのは1996(平成8)年8月2日です。銀座の老舗百貨店・松屋の裏にできた「銀座松屋通り店」で、私も取材に行きました。

開店前夜の東京は、台風の猛烈な風雨で「明日はどうなるのだろう」と案じていたら、当日は台風一過の猛暑日で、不快指数の高い日でした。米国本社からはハワード・シュルツCEOと海外事業担当のハワード・ビーハーの両氏が立ち会いました。北米以外で初の海外出店。黒のタキシードで正装した2メートル近い長身のシュルツ氏が汗だくで動きまわっていたことを覚えています。

「米国流のコーヒーショップが、日本でどうなるのか」と思っていたら、第3号店(東京駅八重洲地下街)の出店あたりから客数が増加し、「これは新たなブームになりそうだな」「10年前のチボーとは違うな」と思いました。ドイツ最大のコーヒーチェーン・チボーは、大手流通資本と合弁会社を設立、1987(昭和62)年10月に吉祥寺へ第1号店を開業しました。1杯120円と、当時快進撃中の「ドトールコーヒーショップ」より低価格で挑みました。しかし出店数は3〜4店舗止まりで数年後に撤退しました。

スターバックスも日本進出に際し、大手流通や金融資本から合弁設立の勧誘を受けましたが、最終的にはサザビーリーグの角田雄二さんを選びました。同じ目線で顧客と向き合う姿勢、身の丈に合った提携先の選択がその後の隆盛となったのです。米スターバックスの原型となった米ピーツコーヒーは、聘珍樓(本社横浜市)と合弁会社を設立、2002年に南青山へ日本進出1号店を開業しましたが、こちらも3店舗止まりで撤退の憂き目にあいました。提携先の選択肢がどれだけ重要であるかを物語っています。

■平成の「カフェ」を支えたのは女性

それにしても、スターバックスがたった10年であそこまで勢力を広げるとは想像できませんでした。2006年に、長年カフェ業界をリードしてきたドトールの売上高を、スタバが上回ったことは当時、業界で話題となりました。それもFC展開に頼らず直営一筋で運営してきたことはさらに驚きでした。

――現在は国内に1400店近くあります。なぜ、これほど拡大できたのでしょうか。

コーヒーを飲む楽しさ」をファッショナブルに伝えたこと。日本の「おもてなし」文化に合ったことが大きいと思います。第1号店の記者会見でシュルツ氏がこう話したのが印象に残っています。「日本の喫茶文化の土壌は、我々をも受け止めてくれるだろう」。お店のスタッフは「いらっしゃいませ」ではなく、「こんにちは」と出迎えてくれます。それまでは国内のフードサービスで、こんなフレンドリーな声がけをするお店はありませんでした。同社が掲げる「サードプレイス(第3の場所)は、自宅でも職場や学校でもない場所という意味ですが、その居心地の良さをうまく演出しました。

昭和の喫茶店ブームは団塊の世代が支え、スターバックスを中心とする平成のカフェブームは団塊ジュニア、特に若い女性たちが支持したのです。

■コンビニへの対抗手段は「店格」だ

――その後も「ブルーボトルコーヒー」が話題となる一方で、「コメダ珈琲店」に代表される「昭和型のフルサービス喫茶店」人気が現在に続いています。昭和型は、今後も続きますか?

続くでしょうね。広い空間でゆっくりしたい人は多いですし、レストランに比べれば単価の安いカフェは、年金生活者でも利用しやすい。特に、団塊の世代は昭和型の店舗にはノスタルジーを感じます。「星乃珈琲店」「ミヤマ珈琲」「高倉町珈琲」「むさしの森珈琲」など同業態も増えました。100円のコンビニコーヒーが進化し、イートイン店も増えた現在、カフェの主力商品であるコーヒーにどうこだわるか、各社各店の腕の見せどころになるでしょう。

――最後に、個人経営のカフェが、大手チェーンやコンビニに勝つための手法を教えて下さい。

私は「店格」という言葉で説明しています。人気のカフェは、飲食の味や店内の雰囲気だけではなく、店主の教養やインテリジェンス、スタッフの人間的魅力といった部分を含めた「アメニティ」(心地よさ)が持ち味です。次から次に多くのお客さんに応対するコンビニや、大手カフェチェーンでは、なかなか店格は醸成できません。人気店は、おいしいコーヒーや飲食への探求心もあり、最新情報を勉強して日々実践しています。どんな商売でも同じですが、進化を止めないことでしょう。

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狹間寛(はざま・ひろし)
コーヒージャーナリスト。珈琲見聞録代表。珈琲店経営情報誌『珈琲と文化』編集担当。日本コーヒー文化学会常任理事。
1954年浜田市生まれ。1977年に株式会社帝国飲食料新聞社入社。1901(明治34)年創刊の食品・酒類業界専門紙でコーヒー担当記者として歩み、編集部長を歴任後、2015年に独立。現在は、カフェ情報や関連イベントの企画取材、編集業務を中心に活動する。
高井尚之(たかい・なおゆき)
経済ジャーナリスト・経営コンサルタント
1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。

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(経済ジャーナリスト/経営コンサルタント 高井 尚之 写真=時事通信フォト)