桐島洋子さん 撮影/近藤誠

写真拡大

 アメリカ退役軍人男性との間に三人の子をもうけ、未婚のまま一人で育て上げた桐島洋子さん(81)。作家・評論家として活躍していた40歳を前に、突然「人生の休暇 生命の洗濯」と称してアメリカのイースト・ハンプトンへ家族で移住。

【写真】おしゃれも素敵な桐島さん

 当時幼かった子供たちは今や立派な大人になり、各方面で活躍しつつ、それぞれの家庭をしっかりと築いている。

「イースト・ハンプトンで暮らした頃はまだ小学生だった子供たちが、もう全員50歳を越えたのだから、私も年をとるわけよね(苦笑)。

 長女のかれんはモデルをやりつつ、世界中の美しい雑貨を集めたショップ『ハウス オブ ロータス』をプロデュースしています。写真家の夫と一男三女をもうけ、子供の数では私を追い越しました。

 次女のノエルはフィトセラピスト(植物療法士)。ヨガにも精通しており、カナダで一人娘を育て上げました。文章がうまくて、エッセイや翻訳も手がけています。

 長男ローランドは二児の父であり、写真家の枠におさまらないマルチクリエイター。バイクで砂漠を疾走するパリ・ダカール・ラリーに突然挑戦したり、六年前には参議院選挙に出たり。“冒険好きは母親似”なんて言われているようです。

 数年前フロリダを旅行したおり、初めて子供たちの父親のお墓参りに行きました。別れて半世紀近く経ち、今更感傷はないけれど、“あなたのお陰で三人の子と七人の孫に恵まれました。本当にありがとう”と感謝を伝えました。

 いろいろあったけど、やっぱり彼と出会えてよかったと思う。もっといい男と出会って、もっと素晴らしい人生を送れたとしても、この十人の愛おしい子孫を別人に差し替えるのは、絶対に嫌だもの。

 子供や孫の顔を眺めていると、これこそが私の運命だったのだと、しみじみ納得するんです」

子供に媚びない、でも頼ればいい

 かつて「老後は子供に面倒を見てもらう」のが当たり前だった日本で、「老後は子供の世話にはなりたくない」と考える人が増え続けているという。81歳の桐島さんが考える「老後のあり方」とは。

「何年か前にある雑誌で『老後は子供の世話になりたいですか』と質問されてね。居並ぶ人々が皆ノーと答える中、私一人がイエスだったの。

『たとえ周りがすべてイエスでも、桐島洋子だけはノーだろう』と思われていたらしくて(苦笑)、すごく驚かれました。逆に私は、周りがすべてノーだったことに驚いたのだけど。

 子供の世話にならず、では誰に頼るかというと、皆さん国家とか公的支援に期待しているらしい。確かにこれまでさんざん税金を払ってきたのだから、その権利はあるでしょう。でも権利というものはできるだけ主張せずに済ませる方が、エレガントな生き方だと思うの。だから私はできる限り自助努力し、どうしても助けを求めるなら、まずは家族からと考えています。

 産んで育てて教育を受けさせて、一人前の大人にしてやったのだから……と言ったら恩着せがましいけど、お国や人様の世話になるよりは、自分が世話した子供たちに頼る方が当たり前でしょ。だから堂々とね。大きな、デッカイ面して“頼りにしてるわよ”と言えばいいんです」

乱暴な生き方をしてたどり着いた80代

 50歳になる年には「人生の収穫期・林住(りんじゅう)期」を宣言してカナダのヴァンクーバーで晴耕雨読の日々を過ごし、81歳の今は東京と湘南を行ったり来たり。でも80代に続く道は平坦ではなかった。

「インドのヒンズー教には、人生を四季の巡りと捉え、それぞれの季節にふさわしい生き方をする考えがあります。

 春は勉学に励む学生(がくしょう)期、これは子供から青年時代ですね。次は懸命に働き家庭を築く家住(かじゅう)期、これが人生の夏。

 秋は一線を退き、ゆとりを楽しむ林住期。50歳でヴァンクーバーに家を買った私は、この家を林住庵と名付け、まさしく人生の秋・収穫の季節を味わい尽くしました」

 そして最後は安らかな死に備える遊行(ゆぎょう)期。

 インドでは俗世を捨て、巡礼に出る人もいるという。

「81歳という自分の年齢を考えると、“よくここまで来られたなあ”と感慨深いものがあります。両親は70代で鬼籍に入ったし、桐島家の女で80代まで来たのは、私が初めてですから。

 臨月のお腹を抱えて世界旅行したり、ヴェトナム戦争の従軍記者になって銃弾の雨をかいくぐったり。かなり乱暴な生き方をしてきたわりには、よく無事にこの年まで健康で来られたものです。私は本当に運がいいんです」

80代だからこそチャンスがある

 運良く迎えた80代。今後はどう生きていきたいか。

「もうイヤなことはしたくない。つまらない人には会わない。好きなことだけやって、いいとこどりで生きます。80まで来たご褒美だもの。

 遊行期は一般的には“人生の締めくくり、知識を世間に返していく”時期らしいですけど、私はそんな殊勝なことは考えません。だって遊行は“遊びに行く”と書くでしょう。“大いに遊びなさい”の意味だと解釈してます。

 昔は“80代なんて、死ぬちょっと前”という感じで、この年で何をやるかなんて、あまり語られてこなかった。でも今は普通に生きちゃう人が多いから、80代をどう生きるかという研究は面白いと思う。すごくやりがいがあるわね。

 私は70歳になった時“林住期はもう十分楽しみました。これからはエンジンを再始動し、もう一働きします”と宣言して自宅を開放し、大人の寺子屋『森羅塾』を開いたの。たくさん講師と受講生が集まって、70代でも人間力が上がるのを実感しました。

 70代でそうだから、80代はもっと自由だと思う。年をとるって、案外いいものよ。現役時代のようなしがらみがなくなって、いろんなチャンスが巡ってくるんです。

 こう言うと、“そりゃあなたは健康だから”なんて思われそうですが、私は大病こそ経験していないけど、昔からお転婆で、乗馬中に落馬して腕を折ったり、怪我なら数え切れないほど。

 老化だって避けられず、腰は痛むわ、目はかすむわ、記憶力も衰え……(苦笑)。年相応の不自由はありますよ。

 でもね、だからこそ、あえて“80代が楽しみ!”と言うべきだと思うの。この年になったら、みじめったらしくしない。みすぼらしくしちゃダメ。見栄を張って、胸を張って、上を向いて歩こう! その気持ちが大事なんです」

(取材・文/西出真由美)