アジアチャンピオンズリーグ(ACL)を制した鹿島アントラーズ。その快挙を語る記事の中に、真っ先に現れるのがジーコだ。Jリーグ発足当時は選手として、1999年のセカンドステージには総監督として鹿島とかかわってきたことはご承知の通り。来日当時、鹿島は住友金属鹿島という実業団チームで、日本リーグの2部だった。まさに鹿島の礎を築いた英雄が、今度はテクニカルディレクター(TD)として復帰すると、いきなりクラブ史上最高のタイトルを20冠達成というおまけ付きで獲得した。
 
 ジーコが鹿島にやってきた1991年当時、現在の姿を想像した人は誰ひとりいなかったはず。鹿島にとっては、1000年経っても消えることのない史実となるだろう。まさに神様、仏様、ジーコ様である。
 
 鹿島は千葉県境に近いので、茨城県民はもとより成田や銚子など、千葉県の一部の人にとっても、ジーコは神様、仏様になるのだろうが、その他の地域の人にとってはどうだろうか。神様、仏様だろうか。
 
 とはいえ、20冠にジーコが具体的にどう貢献したのか、TDと一言でいってもその実像は見えにくい。報道によれば、チームの得点源として働いたセルジーニョの獲得に一役買ったと言われている。それはそれで、納得できるが、チームにジーコスピリットを植え付けたと言われても、ジーコスピリットには実態がなく、勝ったからこそ言える、後付けと言うべきものでもある。少なくとも、そのTD就任で鹿島のサッカーそのものが劇的に変わったわけではない。ジーコ色に染まったわけでは全くない。
 
 そもそもジーコが目指したサッカーといまの鹿島のサッカーとは全然違う。3列表記の布陣こそ4-4-2で一致するが、コンセプトが違う。180 度反対といっても言い過ぎではない。
 
 ジーコは2002年日韓共催W杯終了後、日本代表監督に就任した。鹿島で数ヶ月間、総監督の任に就いてはいたが、監督経験は事実上ないに等しい。大丈夫か。元世界的なスーパースターながら、「名選手名監督に非ず」という格言に符合しそうな危うさを、就任当初から漂わせていた。

 不安は的中。日本代表は2006年ドイツW杯で1分け2敗の成績に終わる。ジーコはグループリーグ落ちが決まると、記者会見で敗因をこう述べた。「体力のなさだ」と。試合に負けたことと同じくらい、いやそれ以上にガックリさせられる台詞だった。

 ジーコがドイツW杯で展開したサッカーを一言でいうなら古典的。敗因はジーコと言いたくなるぐらい、ジーコジャパンは欧州サッカーの流れから10年近く遅れたサッカーをしていた。日本代表監督としてのジーコの評価は限りなく低かった。

 その後、フェネルバフチェ、オリンピアコス、イラク代表監督等を務めたが、いずれも長く続かず、「名選手名監督に非ず」という汚名を払拭できずにいたーーという監督ジーコとしての真実と、現在のジーコ評とどう関係づければいいのか。
 
 日本代表監督としてのジーコより、鹿島のジーコに親近感を抱く人と、そうではない人と、世の中には2種類存在する。ジーコを盲目的にリスペクトしている人と、選手時代のジーコは尊敬するが、監督ジーコには低評価を下さざるを得ないと思っている人と。

 そこで現在の報道に目をやると、矛盾を覚えずにはいられない。立場で評価は分かれるはずなのに、ジーコは一様に称賛されている。鹿島周辺のメディアは、神様、仏様、ジーコ様と目一杯称賛してもおかしくないが、東京のメディアがその調子で報じるのは変。懐疑的にならざるを得ないと過去との整合性が取れなくなる。
 
 鹿島周辺のファンの声を代弁するような報道を、なぜ東京発のメディアが行ってしまうのか。鹿島のACLは確かに喜ばしい出来事だが、日本のサッカーファン全員で喜ぶべきものではない。その何時間か前にJリーグ優勝を決めた川崎フロンターレのファンにしてみれば、鹿島に見出しを持って行かれたことは面白くない話なのだ。鹿島周辺のファンと、その辺りに縁もゆかりもないファンとの間に、温度差は絶対的に存在する。その他のファンにとってジーコは神様、仏様では全くない。むしろその逆である可能性が高い。

 地域によって見解が異なる題材であるにもかかわらず、メディアはその違いを表現することができない。不自然だ。ネット社会の盲点、日本の報道の嘘臭さ、批判精神の無さが、ジーコを一方的に崇める報道を通して露呈している。名将ではなかったという日本代表監督ジーコの過去には一切触れず、鹿島周辺で発揮された「スピリット」ばかりを持ち上げる。東京のメディアがそれをしているところに歪みを感じる。ドイツW杯で曝した残念な結果を、忘れてしまったとは言わせない。だとすれば、相当な暢気者だ。クラブW杯を通して東京のメディアは、いかなるジーコ報道を繰り広げるのか。気になるポイントだ。